九唱 ブライヤー 孤独にして博愛、私は私らしくありたいと願う――イシスに捧げられた聖木の花よ

「名前ならブライヤー。まあ、お前らからしてみれば、悪役ってやつだな」

「悪役……?」

「そう言った方が一番手っ取り早いだろ?」


 言いながら、ブライヤーが枝から飛び降りる。

 揺れる枝葉と束ねられた長い銀髪が、涼しげに跳ねた。

 トーリたちの前に着地したブライヤーが、芝居がかった白々しい語り口で語り始める。


嗚呼ああ、少年は少女と共に竜と契約を結ぶ旅に出る。だがしかし、行く手を阻むのは謎の青年――もとい、麗しの美青年」

「美青年って自分で言っちゃうのかー。まずいなー、この人」


 トーリはつぶやいたが、ブライヤーはきれいに無視してくれた。


「さぁて、少年少女は窮地を切り抜け無事竜と契約を結ぶことができるのか!?」

「めっちゃくちゃつまらなさそう。その物語」


 ずばっと一言。

 胸に手を当て、もう片方の手を虚空に伸ばし、緩やかなかぶりを振っていたブライヤーの動きが止まる。彼はつまらなさそうに眉をひそめた。


「今のお前らと俺の話をそれっぽく言ってやってんのによー。つまらないとはなんだ」

「だってその流れだと、少年少女は困難を乗り越えて無事に竜と契約を結ぶことができましたとさ、ちゃんちゃんっていうのが定番でしょ?」

「さーて、それはどうかな?」


 にやりとブライヤーが口の端を持ち上げる。

 一体いつから話を盗み聞きしていたのかと今さら聞くのは、粋か無粋か。どうでもいいことを考えながら、トーリは相手の出方を待つ。

 と、ふらふらとおぼつかない足取りで前に進み出たのはフリアだった。


「あなたはどうして……」


 ごくりと喉を震わせた後、フリアは何も描かれていない円形のガラスみたいなペンダントをぐっとつかんだ。


「どうして、魔法でそれだけ攻撃的な力を使えるのですか!」

「どうしてってそりゃ……」


 言いかけて、ぴんと来たらしい。ブライヤーが、にやりと底意地の悪い笑みを浮かべる。


?」


 ブライヤーの問いに。

 フリアの反応は劇的だった。


「この!」


 フリアの周囲に、屋根の支柱にも似た骨太の氷柱が次々と現れる。

 ぞわり、とあたり一帯の温度を一時的に下げるほどのすさまじい冷気がほとばしる。初夏ではありえない気温。

 戒魔士としてのフリアの実力を前に、鳥肌が立つのを感じながら、トーリはブライヤーに襲いかかる氷の柱を見送った。

 命中する直前、ブライヤーが軽く手で弾く仕草をした。ガラスが砕かれる甲高い音が鳴り響き、あっさりと氷が砕け散る。


「な――」


 きらきらと光を反射して輝く氷の鏡に、驚愕きょうがくに染まったフリアの顔が映る。

 ブライヤーはぷらぷらと気だるそうに手を振りながら。


「相手を攻撃できる魔法じゃ俺にはかなわねぇよ。守りの方はお前の方が上だろうがな」

「フリア、知り合い?」

「……知りません、あんな人!」


 憤まんやるかたないと言わんばかりに肩を怒らせて、フリアが怒鳴り返してくる。

 肯定したのはブライヤー本人だった。


「そこのお目付け役の言う通り、うそ偽りなく初対面だぜ。まったく知らないってわけじゃあないけどな」


 それだけ言って、ブライヤーがきびすを返した。


「ま、待て!」


 反射的にトーリは駆けだした。

 待てと言われて待つやつはいない――そう頭の冷静な部分がささやくも、踏み出した足は止まらない。ブライヤーの黒いジャケットに手を伸ばす。

 と、ブライヤーが急にぴたりと足を止めた。


「へ? ちょ、あ――ぶ!」


 駆けだした勢いのまま、ブライヤーの黒い背中とトーリの顔面が激突する。


「……ぅう」

「おーい、大丈夫かー?」


 のんきにも首だけ振り返らせるブライヤー。

 トーリがよろよろとブライヤーから数歩離れる。痛む鼻先を押さえながら、その場に座り込んだ。

 わざわざトーリの前にしゃがんでくれるブライヤーを、ずびし、と指さす。


「なんで急に止まるんだよ!」

「待てって言ったのはお前だろうが」

「だからって本当に止まるやつがいるかよ!」

「言う通りにしてやればこれだ……。で、なんか用かよ」

「そ、それは……」


 思わず引き留めてしまったものの、言いたいことも何も思いつかないことに気づいて、みるみる勢いがすぼまる。


「用がないんなら行くぜー。俺、ヒマじゃないし」

「へ? あ、ちょっと待って!」

「ほらほらほら。さーん、にー、いーち、ぜーろ……」

「お、おれたちの旅を邪魔しないでください!」

「すなおかっ」


 純粋に目を丸くするブライヤー。

 トーリはなんだか疲れた気分でがっくりと肩を落とした。


「他にどう言えって言うんだよ! っていうか、そっちこそ、なんでおれらの邪魔をするんだよ」


 にんまり、にっこり。


「邪魔したいから」


 あ、これ教えるつもりがないタイプだ。即刻その答えにいたる。

 背後からフリアがばたばたと追いついて来る。


「トーリさん、そのままその人を捕まえててください!」


 叫んだフリアの周囲には、細く編み込まれた光の鎖。

 鎖のち密さから魔法の規模を見て取ったらしい。ブライヤーはさっと逃げるようにすばやく立ち上がった。


「おっと、お目付け役。お前に本気を出されると困るんだな」

「あなたは……見逃すわけにはいきません!」

「使命感に満ちあふれてるな。だが、お前の使命感は、何のための、誰のための使命感だ?」

「――!?」


 フリアの瞳がこれ以上にないぐらい見開かれる。

 ブライヤーの低く穏やかな口上が、歌声のように流れる。


「意味のない存在、意義のない目的、意志のない力。なら、それこそお前がいうところの“意味がない”ってやつなんじゃないのか?」

「……っ、知った風な口を――!」

「知ってるからな」


 懐かしむようにエメラルドグリーンの瞳を細めながらブライヤー。

 エメラルドグリーンの刃は、博愛主義者のように慈しみに満ちていた。


「……同じだよ、俺も、お前も」

「ぁ……あ……」


 震えたフリアの声は、極度のおびえをはらんでいた。

 そのおびえを反映したように、フリアの魔法の輝きが激しく乱れ、ほどなくして霧散する。

 駆けだしたフリアの足がみるみる勢いを失い、とうとう立ち止まる。

 そのまま彼女は、すとん、と膝から崩れ落ちた。

 うつむいたフリアの瞳はがく然と見開かれていた。理解したくなかった絶望を理解したように。

 朗々としたブライヤーの声が、冴え冴えとした雨上がりの空に響き渡る。


「なら自由に好き勝手やりゃいいじゃねえか。そんなに他者からの肯定が大事か? 他人から定義づけられないと地に足ついて立ってられないのか?」

「何を話してるんだか、正直さっぱりわからないけど――」


 トーリが問答無用で腰から剣を引き抜いた。

 同時、右手で左腕のブレスレットに象嵌そうがんされた法石ほうせきの表面に触れる。

 法石に刻まれた紋章が星のきらめきを放つ。剣がさんさんとした太陽の輝きをまとう。


「――おれは、おれたちはここにいる!」


 天を衝く宣言と共に、剣を一閃いっせん

 後方へ軽やかに跳躍したブライヤーとトーリたちの間に、鋭い光がひらめく。

 たん、と着地したブライヤーを視界の端にとらえながら、トーリは冷静に剣を払った。


「意味があるとかないと関係ないとか、意味がなくてもいいとか、もうそんなことを言うつもりはない」


 激昂げっこうするでもなく端然と言い切り、ブライヤーを真正面から見据え。


「けど、あんたに意味がないなんて言われる筋合いもない!」

「トーリ……さん……」


 座り込んだまま微動だにしなかったフリアがトーリを見上げた。

 ブライヤーがあっさりと肩をすくめる。


「まったくもってして同感だな」


 と、ブライヤーはフリアを見て、ふっ、と笑った。


「緩やかに死んでいくことも活力に満ちあふれて生きることもできず、誰かを恨むことも罵ることもできず、中途半端ないっちょまえの正義感ばかり振りかざして、誰かが殻を破って助けてくれるのをずっと待っているだけの籠の中の鳥が……いやはや感慨深いものだな」

「とりあえずうるさいからその口閉じてくんないかな。うるさいから」

「おまっ、二度言うか」

「言うさ!」

「くきゅ!」


 トーリの肩に飛び乗ったクィーが威勢よく鳴く。

 トーリは剣を振り上げた。二度目は当てる。はっきりとした攻撃の意志を持って、トーリはブライヤーに斬りかかった。

 余裕の笑みを浮かべたブライヤーが手を虚空にかざした。

 すると、大気がざわめき、濃い灰色の雲がブライヤーの上空に渦巻く。嵐を予兆させる不穏な気配に、木々たちが音もなく揺れる。

 ブライヤーの指先が、空間をなぞるように、あるいは目的地を示すように、上から下におろされ――


 前触れもなく、世界が白に染まった。

 一瞬遅れて、空を二つに割く轟音ごうおんが大地を震わせる。


 トーリとブライヤーの間に落ちた雷から放たれる、すさまじい衝撃。

 神経の奥まで響く落雷の余波を食らいながら、トーリは必死に弾き飛ばされないよう足で地を踏みしめる。眼前に剣を掲げ、まぶしさに目を閉じないよう歯を食いしばりながら。

 やがて、ふっと光が収まり、トーリは閉じかけていた目をゆっくりと開いた。

 目を開いた先、後に残っていたのは――竜の爪痕を思わせる巨大な断裂。


「な……」


 息を飲むほどの光景に、トーリがただ絶句する。

 ブライヤーは何事もなかったように話しかけてきた。


「その意気込みを評して、いいことを教えてやるよ。ここから南、エンハンブレ共和国にある海上都市ヴェール・ド・マーレに行ってみな」

「……エンハンブレ共和国?」


 エンハンブレ共和国。ヴェルシエル大陸を二分する国家の一つ。かつてドミヌス王国の君主制を否定し、対立した共和制の国家。


「あそこには、竜がいる」

「え……?」


 ほうけた声は、トーリとフリア、果たしてどちらのものか。

 竜がヴェルシエル大陸から姿を消して、幾百年。

 偶然、あるいは風のうわさで竜を見かけたという話を、定期的に街へ繰り出すセトや〈里〉の外に出た人から聞いたことがあっても、どこかに定住しているという話は一度も聞いたことがない。

 もちろん、セトや〈里〉の人たちから聞いた範囲の話であって、意図的に情報が伏せられていた可能性もある。


 だとしたら、ブライヤーの話もあながち――?


 そこで、草木を踏みしめる音。

 はっと顔を上げれば、今度こそブライヤーが歩き出していた。


「待て!」

「待たねぇよ。サービスは一回までってな」


 ブライヤーが崖下に飛び降りる。

 途中、彼は世間話でもするように話しかけてきた。


「ああ、そうそう、竜と約束を結び直すとか能天気なことを言ってるお前に、老婆心ながら教えてやっぜ」


 ばっと、トーリは崖下を見下ろした。

 永遠を思わせる美しい樹海に吸い込まれながら、ブライヤーが両腕を広げて落下していくのが見える。まるで、深いコバルトブルーの海の底に沈むように。


 ――虐げられた者に、道徳を望むというのは高慢ってもんなんだぜ?


 預言かなにかのように。

 姿が消えた後、聞こえないはずのブライヤーの声が、虚空にこだました。







……一譚 「大気を統べ、天候を支配する天空の覇者――竜」 閉幕

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る