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「何を言ってるんですか?」


「やっぱり、晴明なんかやめて俺にしとけよ」


「ですから、私は皇帝の妃です。いくら皇子とはいえ、度が過ぎると皇帝に対して不敬にあたりますよ」


「まだ正式な貴妃じゃないんだから誰のものでもないだろう? お前が気にいったと言ったのは嘘じゃない。俺のものになれよ」


「そういうわけには……」 


 言い争っているうちにあずまやにたどり着いた。女官や侍女たちの前でそれ以上口論を続けるわけにはいかず、紅華は口を閉じる。



「紅華殿、気をつけて」


 天明は、わずかの段差にすら手を添えて紅華を支えてくれる。完全に、周囲を意識した態度だった。それを見た侍女たちは、一様に笑みを浮かべる。


「さあ、こちらへ」


 そうして、紅華の椅子までひいてくれる念のいれようだ。



「皇帝陛下は本当にお優しくていらっしゃる」


「蔡貴妃様は、お幸せですね」


 にこにことまわりの侍女が言うのを、紅華はあいまいな笑顔で受け止めた。


(でも、天明様だということを知らなければ、確かに晴明陛下はこういう方だわ)


 天明の観察眼に、紅華は感心しながらお茶を飲んだ。





 お茶を飲んだ後、二人はぐるりと庭を回って戻ることにした。


「あら。あちらは……通れないのですか?」


 庭の端まで来ると、生け垣の途中に竹でできた扉があることに紅華は気づいた。半分以上葉で覆われているが、頻繁に開けられているのか、地面には扉の跡が残っている。


 手を掛けようとした紅華の手を、天明が握った。


「紅華、そっちは通れない」


「でも、こちらを通ればわたくしの部屋の近くに出るのでは?」


「いや」


 なぜか、天明は眉をひそめて言いよどむ。


 紅華の記憶では、紅華の部屋へ戻るには、位置的にはこの道を進んだ方向で合っているはずだった。


「この扉の向こうには離宮が一つあるんだが……」


 天明は、言いにくそうにしながら続ける。


「絶対、その宮には近づいてはいけない。どうせここは鍵がかかっているから、開けることはできないが、万が一ということもある」


「鍵が? なぜですの?」


 しばらく迷った後、天明は低い声で言った。


「その宮には、一人の罪人が閉じ込められている」


「え……」


 天明は、思いがけず真剣な表情を浮かべている。


「その罪人は、決してその宮から出ることができない。一生」


 思いがけない重い言葉に、紅華は息を飲む。


「何故、ですの?」


 天明は、ちらりとその生け垣の向こうに視線を向ける。繁る葉で、紅華のいる場所からはそちらにあるという宮は見えない。



「俺の口からは言えない。後宮の中はどこへ行ってもいい。ただ、この先だけは、絶対に行ってはだめだ」


「私が、貴妃になってもですか?」


「俺一人の判断で答えられる問題じゃないから、今は何とも言えない。ここは……」


 天明は、眉をひそめてその宮がある方向に視線を向ける。


「後宮にある監獄だ」


「監獄……」


 そこまで言うには、ただごとではない。


  たとえば皇帝を弑しようとした者なら即刻打ち首だ。罪を背負ってなお生かして閉じ込めておくとは、よほどの寵愛を得た妃でもいるのだろうか。


 難しい顔をした紅華に、天明は重ねて言った。


「だから、この先には絶対いかないと約束してくれ」


「それは、私に後宮を去れと言ったことと関係がありますか?」


 不意打ちに尋ねられ、天明は紅華を見つめた。


「あるかもしれないし、ないかもしれない」


「天明様は、今でも、私に後宮を去れ、と言いますか?」


「ああ」


 即答だった。二人は無言で見つめあう。


「わかりました。この先にはいきません」


 それを聞いて天明は、微かに笑んだ。ざあ、と風が吹いて一面の牡丹が揺れる。


 美しかった庭が急に恐ろしいものに思えてきて、紅華は少しだけ震えた。



  ☆

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