第三章 牡丹の庭

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「おはようございます、紅華様」


 声をかけられて、紅華は目を覚ました。いつもなら睡蓮が来る前には起きている紅華だが、夕べはなかなか眠りにつくことができず寝過ごしてしまったらしい。



「おはよう、睡蓮。すっかり寝坊しちゃった」


「それほど遅くはないですよ。もう少しお休みになりますか?」


 紅華は、目をしばたかせながら思い切り伸びをする。


「もう起きるわ」


 紅華が寝台を降りると、睡蓮が着替えを手伝ってくれる。



 通常、妃嬪には大勢の侍女がつく。紅華はまだ貴妃ではないが、それに準じる立場として、後宮へ来たばかりの頃は着替えるにも何をするにも大勢の侍女が手伝ってくれていた。


 けれど、貴族の産まれではない紅華は、自分のことは自分でやるようにしつけられていた。そのため、自分が動かなくてもいいという状況に慣れることができず、これを全部断ってしまった。結局紅華のこまごました手伝いをしているのは、睡蓮一人だ。



「夕べは遅かったのですか?」


 睡蓮が、卓に朝食を並べていく。紅華は、あたたかい粥を手に取った。


「ええと……そう、ついつい本を読んでしまって」


 とっさに紅華はごまかした。本当は、昨日のことが気になって眠れなかったのだ。



 あれは、事故ではなかったと天明が言っていた。ならば、そこにあるのは明らかな悪意だ。


 それを考えると、紅華の胸に得体の知れない不安が広がる。


 昨日の天明の怪我も気になる。あんな重そうな天蓋が当たって、本当に打ち身だけですんだのだろうか。様子を見に行こうかと思って気づいた。



(天明様って、どこにいけば会えるのかしら?)


 家で休んでいるとしたら、皇子とはいえ成人しているのだから後宮内には住んでいないはずだ。市井に降りていれば、紅華が家を訪ねるのは難しい。


 昨日の様子を見るに、寝込むほどではなさそうだったのでおそらく今日も出仕しているだろう。



「ねえ睡蓮」


「はい、なんでしょう」


「宮城の図書室に行きたいんだけど、いいかしら?」


 後宮には専用の図書室がないため、本が必要なら宮城の図書室を使用することになっている。


 紅華がなんの目的もなく後宮を出ることは難しい。行事関係以外で外朝に行く用事と言えば、図書室くらいだ。


 外朝に行ったからといって天明に会える確率は低そうだが、それくらいしか紅華が天明に会う手立ては思いつかない。


(どうしても気になるわけじゃないけど。ついでよ、ついで)



「良いと思いますけれど……何か、お探しですか?」


「持ってきた本は読んでしまったから、なにか軽いものでもあれば、と思って」


 少しだけ視線を外して紅華が言った。手持ちの本を読んでしまったのは事実だが、それだけではないことがなんとなく後ろめたかった。


 睡蓮なら天明の様子くらい聞いてこられるだろう。だが、あの後部屋に帰ってからも睡蓮は、痛いところはないか気落ちしてないかと、紅華の方が心配になるくらい気遣ってくれた。なるべく、睡蓮の前で昨日の話題には触れたくなかった。



「かしこまりました。では、使えるように手配いたしましょう」


 本の話題が出ていたせいか、睡蓮は特に疑問にも思わないようだった。


「ありがとう。頼むわね」


 紅華の朝食を片付けると、睡蓮は手続きのために部屋を出て行った。



 一人になると、紅華は少しだけ化粧をした。外朝に出るのなら、それなりに身支度を整えなければならない。一通り身支度が終わったところで、ほとほとと誰かが戸を叩くのが聞こえた。睡蓮が戻ったにしては早すぎる。


 なんとなく予想がついた紅華は、用心深くゆっくりと扉をあけた。


「……やっぱり」


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