第二章 一人だけの後宮

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 後宮は閑散としていた。


 本来なら、時の皇帝のための妃や女官で溢れかえる華やかな場所だ。だが今この後宮にいる妃は紅華一人だけで、綺麗に磨かれた玉造りの廊下も、ときおり女官や侍女が軽い衣擦れの音をさせて通っていくだけだ。


「静かね」


 窓から明るい庭を見ながら、紅華が言った。


「そうですね。でも、昨日までは大変な騒ぎでしたのよ」


 紅華の前に、ことりと睡蓮がお茶を置く。爽やかな青い香りが広がった。



「たった三日でここまできれいにすっきりしちゃうのって、すごいわ」


 皇帝崩御から三日。葬儀と晴明の即位式は滞りなく終わり、紅華もこうして後宮へと無事に居を移すことができた。


 紅華の住まう翡翠宮は、壁紙や窓の引幕も新しくされ、蔡家から持参した調度品が揃えられている。部屋の中に漂う上品な香の中には、新品の布の匂いがかすかに混ざっていた。



「蔡貴妃様には、慌ただしくて申し訳ありません。ご不自由はありませんか?」


「いいえ、いたれりつくせりで申し訳ないくらい。あ、でも、ひとついいかしら」


「なんでございましょう」


「私はまだ正式には結婚してないんだから、貴妃と呼ばれるのは少し照れくさいわ。結婚するまでは、できれば紅華と呼んでほしいの」


「まあ」


 睡蓮は、少しだけ目を丸くすると微笑んだ。



「かしこまりました。では、紅華様と呼ばせていただきますね」


 その時、女官が廊下から声をかけた。


「蔡貴妃様、失礼いたします」


「どうしたの」


「陛下がお越しになります」


「陛下が? え、急に? どうしたらいいのかしら」


 紅華は、あわてて立ち上がる。



 その他大勢のつもりで後宮へ来た紅華は、実際のところ皇帝とどのように過ごすかなど考えてもいなかった。


「落ち着いてください、紅華様。こちらへ。まずは御髪を整えましょう」


 あたふたする紅華の身支度を整え、睡蓮は知らせに来た女官にお茶の用意などをてきぱきと支持する。ほどなく、再び扉を叩くものがあった。


「はい」


 睡蓮が扉を開けると、晴明が入ってきた。紅華を見つけて、にこり、と笑う。



「やあ、紅華殿」


「こんにちは、陛下。まだお忙しいのではないですか?」


 紅華の言葉を聞く晴明は、どことなくやつれて見えた。


「そうだね。朝議も多いしもうしばらくは忙しいかな。でも、あまり顔を出さないと、紅華殿に忘れられてしまうからね」


 少しやつれた頬で微笑む晴明は、やけに色っぽく見える。



「そんな心配は無用でございますわ。今日は、お越しくださいましてありがとうございます」


「私も、こちらへくる時間を心待ちにしていたんだよ」


 晴明は、睡蓮に促されて長椅子に座る。その睡蓮の様子が紅華は気になった。


 (まただわ)


 椅子に案内して茶を用意する睡蓮の表情は、つきあいの長くない紅華から見ても、やけに硬い。他の女官などと話すさまを見ていても、明らかに晴明だけは態度が違う。



「今日は紅華殿に報告があるんだ」


「あ、はい。どんなお話でございましょう」



 我に返った紅華に微笑むと、睡蓮が目の前に置いたお茶を晴明は優雅な手つきで持ち上げた。温かさが胸にしみたのか、一口飲んで、ほう、とため息をつく。安堵が広がるその表情があまりにも優し気で、紅華は我知らず見とれてしまった。


(美しい方……)


 気を利かせたのか、いつの間にか睡蓮は部屋を出ていなくなっていた。二人きりになると、緊張が余計に高まってしまう。

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