最終話 アネモネ

 七海さんは俺の心臓に耳を当て、徐々に静かになる心臓の音は彼になっていった。

 「私、今なら手紙読めるかもしれない。」

 そう言うと涙でいっぱいになった瞳を強く拭き、頬を少しだけ赤くした。

 「この手紙自体が祥太な気がして、読めば終わると思ってた。でもあなたがいる。私には、そこにはまだ祥太がいる。」

 「その、少しでも気持ちが楽になるなら、俺のこと祥太さんだと思って読んでください。」

 「ありがとう。でも。」

 正直、好きな人の思う人になるというのは嬉しいけど。手紙を読み終えるその時にはもう俺は俺、七海さんからして聖也に戻ってしまうのなら、とても辛いけど。悲しいけど。悔しいけど。

 好きな人が幸せで俺が不幸になるわけない。

 「いいんです、さあ。」

 少しだけ見つめて、目が離れる時にはもう封筒が開いていて、中から1枚の紙を取り出していた。

 開けずに見つめて、深くため息をして、目を強く閉じて、自問自答をするように七海さんは頷いた。

 「読むね、祥太。」

 手紙の内容はなんだろう。

 出会った日の思い出?

 サークルのこと?

 珈琲とおにぎりのこと?

 もしくは頼みごとか、あの人にはこう言って、あの人にはこれを渡して?

 もっと単純かもしれない。


 『愛してる。』


 何日も開けずにいた1枚の紙切れには、そうひと言だけ、その感情だけが立ち止まったままだった。

 遺言というのには少し違う、いや全くだ。

 これは歴とした『恋文』だ。

 単語だろうと一文だろうと、愛を伝えるのだから。

 「遅いよ、祥太。」

 溢れて止まることを知らない涙は容赦しない。

 1枚のその紙をどんどん白から灰色のような色にしていき、裏からでも文字がわかるくらいに滲んでいった。

 「本当に君のこと、祥太だと思っていいの?」

 「勿論、この一回きりだけど。」

 だってもう、俺も耐えられないんだから。


 「私も好きに決まってるじゃん。」


 ただをこねる子供と言えば悪口かもしれないけど、そんなふうに思えた。


 その言葉は俺が彼女に

 彼女が俺に

 彼女が彼に

 彼が彼女に


 放った一文でしかない。

 

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アネモネと珈琲 狗帆小月 @koki_1216

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