第8話 アンズ

  朝、6時半に起きてすぐに運動着に着替える。靴紐をしっかりと締めて玄関からスタートした。

 退院後、体力の低下を元に戻すために毎朝走っている。三日坊主にはなりたくないのでとりあえず短い距離でも走るのだ。

 ルートはいつもバラバラで気分による。

 今日は『おにぎりカフェ』が定休日なので恋しくて、そこを通るようにコースを決めて走る。

 そのコースに長い橋があって、川のおかげで涼しくて助かる。

 ふと反対車線を見ると自転車が猛スピードで俺と反対方向へ走っていくのが見えた。

 上にはパーカーを着て、下は俺の通っている制服のスカートだった。くるぶしまでの靴下に黒いローファー、こんな時間に学校と反対に向かうなんて不自然だ。

 それからほんの数分後、目的地に着くと七海さんが店前にいて、そして。

 泣いていた。


-------------------- 不安と、怒り


 「七海さん!どうしたんですか!」

 声をかけると同時に彼女はこちらへ振り向き、そして俺は惨状を目の当たりにする。

 声も出ない、呆れる。誰がこんなこと。

 七海さんが綺麗に手入れして、やっと咲いていた花を一瞬で踏み荒らして。一体どんな神経をしているのだろうか、腹いせに?他にどんな理由がある?どれであっても許されない。

 「聖也くん、これ、もう枯れていくだけだよね。」

 「はい、正直、これから回復するのは難しいです。よかったら家からアネモネ、持ってきましょうか?」

 「ダメなの!」

 彼女らしくないが、声を荒げて硬いアスファルトを思いっきり殴り、折れた茎ごとアネモネを丁寧に救い上げて胸の前でそっと抱きしめた。

 毒で手が皮膚炎になることを知りながら。無造作に。

 「この花、貰い物なの。だから大切に種になるまで育てたかった。」

 どう言葉をかければ分からず、花壇に刺さった花の支えを手に取り、まだ助かりそうな花の応急処置をした。と、言っても。茎は無残に折れているからもう育たないと思うが。

 そして、頭に過ぎる。この花のこと、こんなに大事にしている花は、貰い物だった。

 誰にだろう。


-------------------- 怒りだけが残る


 あれから一度帰ってシャワーを浴びる。壁にもたれ掛かり、上をみると電球がチカチカしていた。

 「もうそろそろ、替え時かな。」


 いつも愛香と会う道に、彼女はいなかった。いつも約束して一緒に登校していたというわけではないけど、少し寂しい気持ちで学校まで歩いた。


-------------------- 鈍感


 「ってことがあってさ。」

 下校中、朝起きたことを愛香に話した。

 「あの花、大事な人から貰ったものだったらしいよ。本当に虚しくなる。」

 「大事な人から、もらった花だったんだ。」

 愛香は少し言葉につまり、こう言った。

 「もし私が聖也に花をあげたら、大切に育ててくれる?」

 その発言に深い意味はあったのかわからないが、ただ気になって聞いたとは思えない表情で。

 俺は「どうなんだろう」と少しはぐらかすことしかできなかった。

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