終章 『ただいまです!』

「……じゃあ、今日はこれで終わりだ。委員長、号令」

「きりーつ、礼」

 途端に教室中が騒々しい喧騒に包まれる。

 別にそれはいいのだが、通路を塞いでの集会は勘弁してもらいたい。楽しくおしゃべりしているお前等はいいかもしれないが、帰宅部兼ぼっちもとい直帰族の僕からしてみれば邪魔以外の何物でもない。


 僕は内心冷や汗をかきながら、女子の集団に声を掛けた。

「あの、ちょっと通りたいんだが……」

 笑い声が響いた。僕のことを笑ったのでは無い。自分達のおしゃべりに夢中になって、こっちに気付いていないのだ。


 仕方無く、他に通れるところが無いか探す。あっちの通りは男子の集団がいるし、黒板の入り口側は男女混合の仲良しグループが塞いでいる。

 せめて席が廊下側だったら、号令と共にダッシュで外に出ることが出来たろうに……。やれやれ、窓際の席になったのが運の尽きだったということか。というか僕はなぜ、自分の教室でダンジョン気分を味合わなければならないんだ……。


 世界最高級の理不尽を味わいながら立往生をしていると、教室の外から救いの声が聞こえてきた。

「愛っち、一緒に帰るにゃー!」

 僕は胸を撫で下ろして、廊下で待つ心の元に向かった。彼女の一声のおかげでクラスの奴等は僕の存在に気付き、道を開けてくれた。


 廊下に出てまず最初に、心に礼を言った。

「ありがとな、心」

 彼女は何のことか分からないようで、首を傾げた。

「にゃ? あたし、何かお礼されるようなことしたかにゃ」

「いや、ちょっとダンジョンで迷ってたからさ」

「……にゃるほど。教室から出たかったけど、道を塞いでいた人に声を掛けられなかったと」

「ピンポーン。さすが、付き合いが長いだけあるな。大正解だ」

「……ピンポーン、じゃないにゃ」


 肩を落とし、呆れたような眼差しを向けてくる心。じとりと湿った視線はコケが生えるぐらい向けられたので、もうすっかり慣れ切っていた。

「まったく、せっかく学校に通うようになったんにゃから、次はもう少しコミュ力を付けるように頑張るにゃ」

「難易度跳ねあがってないか? そんな鬼畜ゲー、三ヶ月もサービス持たないぞ」


 僕は先月にサービス終了したゲームを回想した。ゲーム自体の内容は独特で良かったものの、ローディングの長さと難易度、おまけに単調さからサービス初日で投げた。そして事前登録者がだんだんと離れていき、新規も集まらず、早々にサービス終了してしまった。

「大丈夫にゃ、レベル上げれば十分突破可能にゃ」

「うわ、ゴリ押しかよ……。せめて特攻キャラを教えてくれ」

「明るくて人見知りせず、周りの空気に瞬時に合わせられるキャラがお勧めにゃ」

「それ、性格じゃねーか!」

「当たり前にゃ! 人生でできるキャラクターセレクトは自分の心の中だけにゃ!!」

「使用キャラ一人とか……。STかよ」

 ST。その言葉を口にした瞬間、脳裏にあいつの顔が浮かんだ。

 心は急に神妙な顔になって、気遣わしげな声で口にした。

「……そういえば、正式サービスの開始は今日だったにゃ」


 なにげなく窓の外を見た。木々は青い葉をつけ、地面に暗い影を落としている。青空には白い雲が漂い、退屈な空模様を描いていた。

「そうだな」

 平静な声になるよう努めて返事を返す。

「愛っちは、またやるのかにゃ?」

 胸の奥につっかえたものを吐き出すように、僕は答えた。

「誰がやるかよ、あんなクソゲー」




 僕はあれ以来、学校には通うようになった。


 しかしだからといって、生活に大きな変化は訪れなかった。

 放課後と休日は今までのようにゲーム三昧だし、学校でも隠れてゲームをしている。

 それでも成績はトップクラスだった。まぁ、実家にいた間に大学クラスまでの学習は終えている。今更勉強する必要も無い。

 それが原因でいじめられることは無かった。運動ができなかったのをバカにされることで、プラマイゼロになっていたのかもしれない。

 だけど友人はできなかった。元から人付き合いは悪かったし、長いこと引き籠っていたのがそれに拍車をかけたのだろう。


 だからといって、寂しくは無いが。別のクラスだけど心がいたし、学外にしつこく構ってくる奴がいるからだ。


「あ、愛っち! メールが来てるにゃよ」

 僕のボックスから失恋のペシミズムのメロディが流れる。以前までは単調なコール音だったのだが、心の命令で無理矢理変更させられた。

「……二通来てるな」


 一通目は守からのもの。今日、ニューシングルが出るから買えというもの。

「わざわざこのためだけに送ってくるとか、あいつ暇なのか?」

「何言ってるにゃ! 歌手にとって歌の売り上げとコンサートの入場者数は死活問題にゃ!」

 ソシャゲの課金額のようなものだろうか。どこの世界も大変そうだ。

 もう一通は冬姫からのものだった。こっちは素朴な内容で、家庭科の実習でちょっとした失敗をしてしまったというもの。

「……実習で砂糖と塩を間違えるとか、大参事だと思うんだが」

「まぁ、醤油とソースよりはマシなんじゃないかにゃ?」

「それは粘度の時点で気付けよ」


 二人共忙しいくせにしょっちゅうメールを送ってきて、時には遊びに誘ってくる。何が面白くて僕に付きまとってくるのかは分からないうえに、面倒くさいから最初の内は断っていた。だが付き合ってやると存外に楽しそうにしてくれるので、自然と断ることは無くなっていった。それに、僕もつまらなくは無かった。心の底から楽しめているかと問われると、微妙な気分になってしまうが……。

「愛っち愛っち、来週の約束を覚えてるかにゃ?」

 ふいの心の質問に、僕はすぐに適切な回答を用意することができなかった。


「……なぁ、心。漫才師とマッサージ師って似てないか?」

「にゃ? 音は確かに同じ所があるけど……」

「人のツボを突くところがな」

「そこかにゃ……。というか、覚えていないことを誤魔化すにゃ!」

 なかなかノリのいいツッコミだった。


「悪い。で、約束って何だよ?」

「メンガの五周年コンサートに行くっていう約束だにゃ」

 ……心の傷が疼いた。塩水でもぶっかけられた気分だ。

「さっきの気遣わし気だったお前はどこに行った?」

「あれはあれ、これはこれにゃ」


 自分の好きなものの前には、僕の悲しみなんて些末なことらしい。まぁ、彼女にとってあいつはゲームのキャラクターでしかないのだから、当然といえば当然かもしれない。

「僕は行かないぞ」

「そっかにゃ。分かったにゃ」

 それでも簡単に引いてくれたのは、心は心なりに僕のことを考えてくれているからなのかもしれない。

「じゃあ守っちと冬姫っちを誘ってみるにゃ」

 もしかしたら、ただの数合わせだった可能性もあるが……。




 家に帰ると、台所から香ばしい匂いが漂ってきた。

 香りに誘われて居間に行くと、星夜が焼いたクッキーをさらに盛っている所だった。

「ただいま、星夜」

 彼女は僕に気付くと、畏まった態度でお辞儀をした。


「おかえりなさいませ、愛様。学校の方はどうでしたか?」

「いつも通りだよ」

「そうですか。お疲れ様です」

 僕が席に着くと、彼女は紅茶を入れてくれた。

「……ダージリンか」

「左様でございます」


 この香りは確か、雨雲山で嗅いだものだ。あの時は確か、あいつが上から落ちてきて散々な目に会ったな……。

 そんなことを考えて食べていたせいで、結局クッキーはほとんど味わうこと無くお腹の中に消えた。

「ごちそうさん」

 空っぽのカップをソーサーの上に置く。カップの中にはまだ数滴の雫が残っていた。




 階段を上り、自室の扉を開く。

 肩に背負った重荷を床に放り出して、ベッドに倒れ込む。

「づがれた……、もうじぬぅ……」

 声にならない声を上げて、枕に顔をうずめる。

「ん……?」


 匂いがした。嗅いでいるだけで頭の中に花畑が広がるような、甘い匂い。洗剤のように主張するような強いものでは無く、体に溶け込んでしまうような優しい香り。僕はこの匂いをどこかで……。

 突然、後ろに人の気配がした。

「……もしかして」

 期待に胸が鳴る。どくん、どくんと脈を打つ。でも裏切られたくないという思いが、言葉の続きを発させてくれない。

 だけどそんな杞憂は一瞬で吹き飛んだ。


「お久しぶりです、愛」

 弾むような明るい、少女の声がした。僕は勢いよく振り返った。

 入り口の開け放された扉がゆっくりと閉じていく。その後ろから徐々に、声の主の姿が見えてくる。だけど僕は目にする前から、少女が誰か分かっていた。

 それでも僕は扉が閉じきるまで、じっと目を凝らしていた。


 ぱたんと音を立てて閉じ切った瞬間。僕の頬を温かな雫が、一筋伝った。

「……お帰り、ノゾム」

 彼女は懐かしい笑顔を浮かべて言った。

「ただいまです!」

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うちにレアリティNの女の子が来ました! でも可愛さはHR級です!! 蝶知 アワセ @kakerachumugi

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