四章1 『友の夢』

 残り参加人数五人。いよいよ優勝候補が絞られてきた。

相変わらず僕は三位だが、一位との勝利数は僅か四勝。そして四位とは十勝以上も引き離している。

 とはいえ、決して油断はできない。どれだけEXPを稼ごうとも、ノゾムがNであることに変わりは無いからな。


 そんな彼女は今、目の前で膝をついて、僕の服を伸びるんじゃないかってぐらい引っ張っている。よく子供のやる必死なおねだりってやつだ。ここがホテルの一室だからいいが、もし街中でやられたら僕は羞恥心で卒倒するぞ……。


「後生のお願いです、行きましょうよー」

「ダメだ」

「なんでですか、何がダメなんですか!?」


 ノゾムがなぜこんなクソ面倒臭い駄々っ子になってしまったのか。

 別に子細に話すことでもないし、大雑把にまとめよう。




 全ては一枚のポスターから始まった。

 発端の場所は秋葉原。かつての闇市は今や電気街、あるいはオタク街として知れ渡っている。


 東京の他所に漏れずこの街も多くのビルが面積の大半を占めている。だがここでは、外装からして異質な建物を見かけることが多い。それはアニメやゲームなどのサブカルチャーの専門店がインパクトのある広告を掲げているからだ。ノゾムはその広告の中の一つに興味を持ち、足を止めた。


「愛。あれ、私が出演しているゲームですよね?」

 彼女はビルの広告を指さして訪ねてきた。それは今度やるイベントの告知だった。チケットの販売は一昨日からのようだったが、もうとっくに売り切れているだろう。いくら世事に疎い僕でも、超人気イベントのチケットが即販売終了になるせいで入手困難だということぐらいは知っている。


「ブレーメン☆ガールズ五周年大感謝コンサート。チケット、ただ今絶賛発売中、ですか」

 絶対に売り切れると分かりきっているチケットの宣伝、ねえ。……あの広告、作る意味あったのだろうか? あのスペースと掛かった広告費があれば、もっと有益なことが行えたような気がするぞ……。


「愛、愛、愛」

 名前を連呼して服の袖を引っ張ってくる。その頬は興奮で紅潮していた。僕は嫌な予感を抱きつつも、とりあえず興奮の理由を訊いてみた。

「何だよ、ノゾム」

「私、あのイベントに行きたいです!」




 そして今に至る。

 僕は机上に置いたプログラムデータを弄びつつ、却下する理由を順に挙げていった。


「問題は二つある。一つはチケットが売り切られていて入手手段が無い。もう一つは僕は人混みが苦手だ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 二つ目は完全に愛の勝手な都合じゃないですか!」

「ああ、確かにそうだ。だけど基本的に僕達は、一定の距離以上離れることができない」

「それは……、そうですね。……うう、今みたいなメンテナンス時間が一日中続く日があればいいのに……」


 ノゾムが言うように、ゲームのメンテナンス時間だけは普段の制約がなくなり、どれだけでも離れることができる。

「まぁ、だからコンサートは諦めてくれ」

 僕は彼女に背を向けるようにソファに寝転がり、ゲームを再開しようとした。いくら飽きたとはいえ、やはりすぐには止められない。でもいつか、自分の好きなゲームだけを残し、他のゲームはアンインストールすること。それが今の僕の目標だ。


「……あの、愛様。そのことなのですが」

 星夜はエプロンドレスのポケットから何かを取り出した。目を細めて見てみると、それは二枚のチケットだった。心なしか、紙面にはついさっき街中で見た広告のイラストとよく似たものが印刷されているような気が……。

「……それは?」

 星夜はすまなそうな顔をして、ぼそぼそした声で言った。

「黒森愛の挿入歌を聞いて以来、ブレーメン☆ガールズに熱中された心様がイベントに参加する決意をされまして。けれど一人で行くのはハードルが高いと思われ、それで愛様たちと共に行きたい、と……。あ、お金は別に払わなくてもいいとおっしゃっていました」


 ノゾムはきらきらと瞳を輝かせてその二枚のチケットを眺めていた。まぁ、そりゃそうだろう。こいつにとっちゃ渡りに船な訳だから。僕は心が曇天で覆われたがな、心のせいで。

 ちなみに彼女は春休みがそろそろ終わるらしく、しぶしぶ帰宅した。


「愛、これは運命ですよ! デスティニーですよ! 私達にイベントに行けという、神様の粋な計らいですよ!」

「いやいや、ただ心が勝手に買っただけだろうが。というかお前さ、何でそんなにイベントに行きたいんだ? 確かにブレーメン☆ガールズのイベントだけど、Nなうえに人気も無いお前なんざ、名前すら呼んでもらえないと思うぞ」

「そんなの分かってます! ただ……」


 そこで一度言葉を切って、ノゾムは窓の外に広がる夕空に視線をやった。

「夢、だったから」

「夢? イベントに行くのがか?」

「いいえ。ナルミちゃんのですよ」


 ナルミ……、夢葉ナルミか。何でここで彼女の名前が出てくるんだろうか?

 僕は口を挟まず、彼女の話に耳を傾けた。

「ナルミちゃんはずっと夢を見ていたんです。自分の歌声で皆を元気にしたいって。あの子は誰よりも臆病で、だけど誰よりも歌を愛していました。歌を歌うことで人々を幸せにする、歌手やアイドルに憧れていたんです」


 懐かしむように目を細めて、彼女は先を続ける。

「私はナルミちゃんの語ってくれた夢が大好きでした。そしてその夢に向かって努力する彼女を眺めているのも好きでした。ずっと、ずっと思っていたんです。いつかそれが叶う瞬間をこの目で見てみたいって。それがこの世界ではもう叶っている。だから私は見てみたいんです。このイベントはコンサートなんですよね。だったら、ナルミちゃんの歌を聞けるかもしれません。その歌声を皆さんがどんな顔をして聞いているのか、私は見てみたいんです。……愛、お願いです。私と一緒にコンサートに行ってください」


 まるでオペラの歌姫のように、流れる口調で語るノゾム。その淀み無い口調は彼女の思いがとても真摯なものだということを表しており、思わず僕の心は動かされそうになった。


「お前の思いが本気だということはよく分かった。確かにナルミの歌は選曲されるだろう。彼女はブレーメン☆ガールズの主役、いわば顔だしな。だけどそれは彼女に声を当てている声優が歌うんであって、別にナルミ自身が歌う訳じゃないぞ。それでもいいのか?」

 ノゾムは躊躇なく頷いた。

「はい。だって声優さんの声は、私自身の声でもあるんですから」


 僕は溜息を吐いた。やれやれ、こんな頼まれ方をされたら、どんな風に断ればいいのか分からなくなってしまうじゃないか。

 ……そういえば。


「お前、ナルミのことを臆病だって言ってたよな?」

「ええ」

「でも、あいつはどう見たって臆病って感じじゃないぞ。ぶっちゃけお前をまんまコピーしたようなうるさい性格だ」

「う、うるさい性格って失礼ですね……。でも、私も不思議なんです。記憶の中のナルミちゃんと、この世界のナルミちゃん。二人の性格が全然、噛み合わなくて……」


 まるでお前の二重人格のようだ、と言いかけて僕は口をつぐんだ。

 ふいに豹変するノゾムに、記憶と現実で食い違うナルミの性格。一体、何が原因なんだろうか……。

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