三章7 『再会の約束』

 目を覚ました時、視界はどこまでも続く暗闇に包まれていた。

 寝起きの頭はしばらく僕の覚醒に気付かず怠けていたが、何度か頭を振るとようやくまともに働き始めた。

「……そうだ、確か僕はノゾムを助けようとして……。ノゾム、どこだ!?」

 声はトンネルの中のように反響して自分に返ってきた。

 僕はノゾムを探しに立ち上がろうとした。だけどその必要は無かった。彼女はすぐ隣で眠っていたのだ。


「ノゾム、ノゾム、しっかりしろ!」

 少しゆすると、彼女はすぐに目を覚ました。

「……愛。無事だったんですね」

「何言ってるんだよ、ゲームなんだから死ぬわけないだろ」


 ノゾムはゆっくり起き上がり、そのまま僕の首に腕を回して、抱き付いてきた。彼女の温もりが心さえ包み込んでくれる。嗚咽交じりの声と鼻水をすする音がすぐ近くから聞こえてきた。今、本当に彼女が僕の傍にいるんだと思うと、緊張がゆるんで涙があふれてきた。

「……よかった、本当によかった……」

「大げさな。お前こそ、よくあの状況で信長に勝つことができたな」


 僕がそう言った瞬間、彼女の嗚咽はぴたりと止まった。

「私、信長さんに勝ってませんよ?」

「……へ?」

僕等は顔を見合わせ、同時に首を傾げてしまった。今更気付いたが、僕の格好はまだ巫女服のままだった。手も元の体より小さく、肌の色素も薄かった。

「な、何でお主等二人とも無事なんじゃ?」

 背後から信長の声がした。やはり決着は付いていなかったのか。だがプログラムデータには現在勝負中であるという情報が無かった。


「だからー、言ったでしょう。私達は皆、土砂に巻き込まれちゃったんだって~」

 のんびりと冬姫は言った。

「う、うむ。お主の言ってたことは信用していたが、よもや本当にこんなことが起こるとはな」

「それを疑っているっていうんだよ~」

 さっきまでとは違い、今は冬姫の方が主導権を握っているようだ。何だかよく分からない奴等だな……。

「あの、冬姫さんはここがどこなのかご存じなんでしょうか?」


 その質問を受けて、冬姫はぽりぽりと後頭部を掻いた。

「あ~……。あのさ、本名をあんまり言われるの、気分よくないってゆーか。今もまだ放送されているみたいだしさ」

 彼女は空中に浮かんでいるビジョンを親指で指した。そこには彼女の本名に関するコメントが流れていた。

「あわわ、すみません!」

「ま~、いいけど。顔曝してないし、個人特定する暇人もいないっしょ」

「でもコメントで、アバターは個人の容姿が参考にされるって見たことあるんですが……」


 それを聞いた冬姫は腹を抱えて笑いだした。

「あははは~、ちゃんと設定しなかったらね。確か初期設定って、個人の容姿と趣味嗜好が大きく反映されるんだけどさー。そんなのナルシストでもなきゃ、そのままにはしておかないよ」

「……だそうですよ、I」


 僕は余計なことを言うなという意味を込めてノゾムを睨んだ。

 冬姫達には聞こえなかったのか、ノゾムの言葉に彼女等は何の反応もしなかった。

「それでもう一度聞きますが、ここがどこかはご存知ですか?」

「いや、儂等も知らんな。……む、ビジョンに何か映ったぞ」


 言われて見ると、ビジョンからエールパワーのゲージが消え、コメントとは違う明朝体の文字が映し出された。

「なになに……『いつもSTをご利用いただき、誠にありがとうございます。今回のI様と今、眠い(-_-)zzz様の試合ですが、両者同時にHPがゼロになったため、引き分けとさせていただきます。しかし今作ではまだ引き分けの際の判定方法が決まっていないため、今回は双方が納得できる方法で決着を付けていただきます。大変申し訳ありませんが、ご理解の方をよろしくお願いします』だってさ~」

「βテストとはいえ、それぐらいは決めておくべきだろうが……」


 こういう適当な運営をするゲームが早々にサービスを終了するんだ。

「それでどうする? 文面によると、勝負の決着方法は儂等が決めていいみたいじゃが」

 僕達の間に重苦しい沈黙が落ちた。その静寂の中、ノゾムがおずおずと手を挙げて言った。


「あの、ここは無難にジャンケンで決めませんか?」

 僕はこんな時だけど、なんだか妙な感動を覚えた。ああ、真剣なこういう時でもジャンケンは使われるんだ、と。

「うむ、儂はそれで構わないぞ。冬姫はどうじゃ?」

「私もそれで構わないよ~」


 こうして僕達は絶望的だった戦いを奇跡的に運任せな勝負に持ち込んだ。

「では冬姫、後は頼んだぞ」

 信長は主君の背中をぽんと叩いた。冬姫は不思議そうな顔で彼女へ振り返った。

「……信長、私でいいの?」

「うむ、ばしっと決めてくるのじゃ」

 にかっと笑って、信長は冬姫を送り出した。一瞬、信長の顔に影が差したような気がしたんだが……。

 そんな疑問はノゾムの無駄に明るい鼓舞で吹き飛んだ。


「じゃあこっちも頼みましたよ、I!」

「おいおい、これで負けたらお別れなんだぞ。少しお気楽すぎやしないか?」

 言ってからしまったと思った。ノゾムの笑みに隠れていた悲しみの色が滲んでしまった。負けたらお別れ、そんなことは彼女だって分かっているはずだ。それでも彼女は無理して笑っていてくれていたんだ。訪れてしまうかもしれない最後の瞬間を、悲しいものにしないために。

 もし負けてしまうとしても、この勝負に限っては恵まれた最後なのかもしれない。戦いでは気持ちの整理もつかぬまま、相棒の命を奪ってしまう。だけどの勝負なら、笑顔で別れることができる。

 でもやっぱり、負けてもいいかなとは思えなかった。


「行ってらっしゃいです」

「……絶対に、勝ってくる」

 僕は胸に手を当てて、彼女を安心させるように笑みを作った。だけど心の中は不安でいっぱいだった。自分のせいでノゾムが消えてしまうかもしれない。そう思うだけで胸が張り裂けてしまいそうだった。


「……やるか」

「うん、そうだね~」

 のほほんとした声で答える冬姫。どう見ても気負った雰囲気は無く、自然体で笑っている。彼女には緊張感というものが無いのだろうか……。

 対する僕の手はぶるぶると震えていた。


「そんなに怖がること無いよ、もっと気楽でいいんだよ~」

冬姫に動揺しているところを見られているのに気付き、僕は慌てて手を背中に回して隠した。それがおかしかったのだろう、彼女はくすくすと笑いだした。

「別にさ、隠すことは無いよ。どうせじゃんけんするなら、相手の手は見ることになるんだからさ~」

「……お前は怖くないのか? もしも負けたら、信長は……」

 言葉にするのが辛くて、最後まで言うことはできなかった。そんな僕に構わず、彼女はにこにことしながらグーを前に突き出した。当然、手は震えてなどいない。


「それじゃ、行きますよ~。最初はグー!」

「ぐ、グー」

 慌てて彼女に合わせ、グーを作る。彼女は普段ののんびりとした雰囲気からは考えられないような俊敏な動作で、手を動かす。僕は付いていくだけでも精一杯だった。

「じゃんけん、ぽ……」


 パン……。


 乾(かわ)いた音が鳴り響いた。

 じゃんけんの結果は僕がグーを作りかけていて、彼女は手を開きかけていた。

 けれどもう、勝負の必要はなかった。

 冬姫は壊れかけたロボットのようにぎこちない動作で、背後を振り返る。そして音程の安定しない声で、信長に問う。

「ど、どうして……?」


 信長は自分のこめかみに突き付けていた短筒を地面に放った。銃口の触れていた部分からは血は流れていなかった。それでも僕達には信長の最後が近いことが分かった。だって彼女の足が砂上の楼閣が崩れるように光の鱗粉となり、それがタンポポの綿みたいに空へと噴き上がっていくから。


「儂はな、負けていたんじゃ。ただの一度裏切られたぐらいで、部下を恨み憎むようなちっぽけな女が、あやつ等に敵うはずが無いのじゃ」

「何を言ってるの!? 今の勝負は、ジャンケンでしょ……」

「確かに、そうじゃな。でもな、冬姫。今の儂では、お主を支えられない。この場は凌げても、きっとこの先の戦いは絶対に勝てない」

「何が、何が言いたいの、信長っ!」

 信長は愛おし気に冬姫の頬を撫で、優しい眼差しで彼女の顔を見つめた。


「儂は口ではあんなことを言いつつも、お主のことを本気で主君とは認めていなかったのじゃ。その証拠に、お主に命を仰いだことはなかったろう?」

「そ、それは私のやる気が無かったから……」

「だとしてもじゃ。家臣は何よりも、主君の意向を大切にしなければならん。それなのに儂は光秀のような裏切者になりたくない一心で、冬姫のためになると思ったことを勝手にやっただけだった。家臣失格じゃ。主君の気持ちを全然汲んでなかったんじゃからな。もしかしたら、光秀と何も変わりないかもしれん。だがI達は何があろうと、互いの心を、言葉を、行動を信じあった。あの二人ならば、頂点に立つことができるかもしれん。儂はあやつ等に賭けてみたくなった。だから此度の戦では勝利を譲ることにしたのじゃよ」


 冬姫は信長の胸に顔を埋め、彼女に拳を打ち付けた。けれどそれは全く力のこもっていない、弱々しいものだった。

「バカ、バカ……。別にそんな下らない理屈なんて、どうだっていいよ。だって私はあなたのこと、家臣だなんて思ってない。家来だなんて思いたくない……!」

「ははは、手厳しいな。つまり儂はお主に使えるほどの器では無かったということか」

「そんなこと言ってないでしょ! あなたは家臣とかそういうんじゃなくて……」

 そこで目を逸らし、恥ずかし気に小さな声で言った。

「私のたった一人の、……友達だもん」


 信長はきょとんと眼を見開き、そして照れくさそうに頭を掻いた。

「友達、か……。よもやその言葉を掛けてもらえる日が来るとはな」

「……あなたがいなくなったら、また私は一人ぼっち。休みの日は真っ暗な部屋の中でずっと画面を見続ける生活に逆戻りだよ」


 弱音を吐き続ける冬姫。信長はそんな彼女の額に軽くデコピンを食らわせた。

「それはダメじゃ。お主がどんな生き方をしても儂は支えるつもりじゃが、自分を不幸にするような道だけは許さん。もう二度とあのような顔は見たくないからな……」

「……うん」


 信長は冬姫の頭をわしわしと撫でて言った。

「しばしの別れじゃ。大丈夫、お主の人生はまだまだこれからじゃ。いくらでも可能性はあるじゃろうて」

「うん。またゲームで会おうね……」


 信長の体から舞う鱗粉の光が一層眩しく輝き始め、真っ白な閃光を最後に、風に吹かれたように消えた。

 ビジョンにはDRAWの文字が浮かんでいたが、いつも通りノゾムにはEXPが入った。信長のステータスは当然変化は無かったが、その数値は想像を絶する高さだった。


「……よく引き分けられましたね」

「本当にな」

 ぼんやりとした思いでビジョンを眺める僕等に、冬姫は穏やかな声で言った。

「何言ってるの、君達の勝利だよ。紛れも無く、ね」

「……お前がそう言うなら、そうなのかもな」

 黒い空間に白い光を伴ったヒビが入る。ほっと気が抜けると、長い映画を見終えたような疲労感が体中に溜まっていることに気付いた。


「……これで私のゲームは終わっちゃったんだね」

 冬姫は天上の一際細かくヒビが入った場所を見上げて呟いた。

「……冬姫。お前にとってのゲームってなんなんだ?」


 僕はふと思った疑問を口にしていた。彼女は少しびっくりしたように僕の顔を見やったが、すぐに眉を寄せて笑った。

「う~ん……、なんなんだろーね。でも……」

 彼女は自分の左胸に両手を置いて言った。

「今、この瞬間に何かが終わって。新しい何かが始まったような気がするんだ」

「そうか……」

 空間中にヒビが行き渡ったと同時に、闇はシャンデリアが割れたような音を立てて崩れ落ちていった。


「……ねぇ、I。一つ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」

 冬姫はくるっと回り、僕に背を向けて言った。

 闇が剥がれ落ちていくにつれて、彼女の全身を市松模様が包んでいき、四角は徐々に細かくなっていく。やがて元の大きさに戻っていく。片面はジャージ姿のさっきの冬姫。もう一つは元の彼女の姿。


「おいおい、頼み事は相手の目を見てするもんだろ?」

 僕の言葉を無視して冬姫は続けた。

「あのさ~。その、もしよければだけど……」

 彼女は片足で器用にターンして、こちらへ振り返った。それに合わせるように周囲の光景は現実のものに戻り、冬姫の姿も完全に彼女自身のものに戻った。


 長く美しい黒髪はそのままに。眼鏡は闇に消え、その下から現れたのは優し気に垂れ、黒く濡れた瞳。だらしなく伸びきったジャージは影も残さず消え、今は桜の花弁が舞う艶やかな小紋が彼女の体を包んでいる。ほっそりとした体に着物はよく似合っており、背中で揺れる黒髪とのコントラストはまるで夜桜を見ているかのようだった。


 今の冬姫は、どこからどう見ても良家の令嬢そのものだった。

「私と、友達になってくれないかな?」

 だけどやっぱり、その声はのほほんとした雰囲気に包まれていた。

 僕は手近なビルを見上げ、頬を掻きながら言った。

「……まぁ、僕でいいなら」

 彼女はくすりと笑って、僕の手を取った。

「……ありがとうね、I」

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