三章1 『魔境、秋葉原』

「日本国首都、東京。噂に聞いたことはあるが、まさかこれほど混雑した街とは……」

 僕達は秋葉原という、この世の地獄にいた。


 周囲は見渡す限り人、人、人ばかり。もう目が回るぐらいに、人がいる。おまけに無駄に高いビルも乱立している。誰かに今、自分が見下されているのだと思うと無性に腹が立つ。だからといって、自分も誰かを見下ろしたいという気持ちは湧かない。そんなことで得られる愉悦感が下らないものだということは、身に沁みて分かっている。

 ああくそ、なんなんだ、この無表情の人の群れは。ゾンビ映画でも撮っているのか。僕は群衆に向かってブーメランを投げる。僕だってずっと無感情にゲームをやっていたのだから、人のことは言えない。だけどこれを見ては、そう思わずにはいられない。

 ビル街は負の感情の巣窟だ。いるだけで気分が暗くなる……。


 ふらふらした足取りの僕を星夜は支え、ノゾムは額の汗を拭いてくれていた。やれやれ、感謝してもし足りないな……。

「しっかりしてください、愛様。新宿駅内はこの十倍ほどの人口密度です。これぐらいならまだマシな方です」

「そこ、養豚場とかじゃないよな?」

「どちらかというと、この街の方がその名にふさわしいですね」


「なぁ、ノゾム。今の星夜の言葉は、どういう意味だったんだ?」

「わ、私にも分かりませんよ」

「つまりオタク共がわんさかいるって言いたいんだにゃ」


 なぜか心も付いてきた。春休みで暇だから、旅行がてら東京に行くのもいいかなとのこと。

「……心、僕は旅行で来た訳じゃない。軽い気持ちで同行されても困る」

「何言ってるにゃ。愛っちはゲームのために来たんにゃろ?」

 僕はビルに切り取られた空を見上げて言った。

「確かにゲームは遊びだ。だけど人生でもある。いい意味でも悪い意味でもな」

「……にゃあ?」

 空は一面、白い雲に覆われていた。




 最初、僕はSTを森の中の木の葉作戦で乗り切ろうと思った。その名の通り、参加者に埋もれて戦いを避けようという作戦だ。しかしそれは不可能だとノゾムにダメ出しされた。参加者は三日の間に一度は戦闘を行わなければならないというのだ。それにこれは最後の一人になるまで続くデスゲームだという。そして勝てば勝つほどレベルが上がり、バトルに有利になる。ならばこそこそと隠れている意味は無い、というより自ら負けを決め込んでいるようなものだ。


「だから僕は作戦を変更しようと思う」

「……その前に、一つだけ訊いていいですか?」

「構わないぞ」

「どうしてファーストフード店なんですか?」

 ノゾムはそう言って頬を風船のように膨らませた。


 僕達はM字の某ファーストフード店で少し早めの昼食を取っていた。

「そうだにゃ、そうだにゃ。たんまりお金を持ってるんにゃから、高級料理ぐらい振る舞ってくれても罰は当たらないと思うにゃ」

 そんなかしまし二人組の不満を星夜は咳払い一つで制した。

「お二人とも。あなた達は愛様に奢ってもらう立場なのですから、そのような申し立てはすべきではありません。違いますか?」


 僕は彼女の言葉に大きく頷いた。心の前にはフィッシュバーガーコロッセオが出来上がっているし、ノゾムの前にはチーズバーガータワーが聳え立っている。何だかんだ言って、結局こいつ等は満喫しているじゃないか。


「……それはそうと、お前はそれだけで足りるのか?」

 星夜はパンケーキとコーヒーだけ。見ているだけでお腹の空きそうな食事だ。

「いえ、大丈夫です。お金は有限なので」

「あのな、別にハンバーガーぐらいならいくら食べてくれてもいいんだぞ。むしろ体調を崩された方が困る。それとも別の所に行くか?」

「いいですね!」

「にゃにゃ!」


 かしまし二人組が声を揃えて賛同するが、星夜は首を横に振った。

「いいえ、私めはこれで十分です」

「そうか。腹が減ったらいつでも言ってくれ、どこかに寄るから」

「ありがとうございます」


「う~っ、どうして星夜さんにだけ優しいんですか!」

 憤慨するノゾム。

「……目の前のバーガーの量を見てから言ってくれ」


「こっ、これはですね……。そ、それにまだ聞いてませんよ、昼食をここにした理由! お金持ちの君が普段からこんなもの食べているわけないでしょう!!」

「まぁ、いつもは星夜に作ってくれたものを食ってるし」

「食材はキャビアかにゃ!? それともフォアグラ、黒毛和牛、白トリュフ……じゅるる」

 妄想している内に、心は別世界に旅立ってしまったようだ。


「お前等も昨日食べただろ。普通の家庭料理だよ。ここにしたのだって安い値段が理由だし」

「なんでそんなにケチなんですか? 実はあまりお金を持ってないとか……」

「愛様には無人島を二、三百はぽんと購入し、風月無辺な景色になるよう整備し、五十年はその風景を損なうことなく管理し続けるぐらいの資産はあります」

「……えーっと、それは具体的にはどれぐらいでしょうか?」

「確か日本で買うなら一島安くて五億ぐらいだった気がするにゃ。サバゲ用に一つぐらいは欲しいにゃ~」


 指折り計算し始めるノゾム。幼子のように無闇矢鱈にやっているのかと思いきや、その折り方には何やら法則があるようだった。彼女の顔は徐々に驚愕で青くなっていった。

「て、天文学的な数字じゃないですか!? そんなに持っているのに、どうして節約する必要があるんですかー!?」


「ゲームのガチャって金が掛かるんだよ、目的のレアキャラを一人出すだけでも五十万ぐらい必要だったりな。それに加えて一つのゲームで一か月の内に新キャラが四人登場すると全員揃えるのに二百万、そこに覚醒やらスキル強化でさらにそれぞれ五人集めるとして一千万、僕は二十前後のゲームをしているから、ざっと二億円。丁度普通の人間が一生に使う額か。まぁ、これは大雑把な計算だしゲームごとによってシステムも違うから実際は違った結果になるかもしれないが、目安としては妥当な数字だろう。……ノゾム、ジュースを吹きだすのは女子としてどうかと思うぞ」


 僕は紙ナプキンで自分に掛かったグレープジュースを拭き取った。目の前で起こった惨状を再現すると、彼女は四百万で目を回し、二千万でただでさえ青かった顔をさらに青白くさせ、二億で吹き出した。吹き出されたグレープジュースを僕の顔に直撃し、その周囲にも流れ雫が飛び散り隣に座っていた星夜にも巻き添えになったという感じだ。まぁ、彼女は咄嗟にトレイでガードをしたからあまり被害は無かったようだが。

「ちょちょちょ、ゲームにどれだけ注ぎこんでいるんですか!? 遊ぶ分だけお金を払えばいいじゃないですか!!」


「ノゾム、よく聞け。働いたからって金がもらえる訳じゃないんだ。ブラック企業が教えてくれる。楽しくなかったからって金を払わなくていい訳じゃないんだ。課金が税となる。つまりそういうことだ」

 ノゾムは虫けらでも見るような目で僕に毒づいた。

「結局君って、ゲームに依存しまくってるじゃないですか」

「そうだな。金があって働く意思の無い人間が唯一、頂点に立てる場所だ。居心地は悪くない」

 だけどやっていて、面白いものでもないんだけどな……。

「もうそんな話はいいだろ。作戦会議を始めようぜ」


 僕は自分の気持ちを誤魔化すように、無理矢理話題を変えた。

「言っちゃ悪いけどぶっちゃけ、そんなルールで底辺クラスのノゾムっちが勝ち切るのは不可能だと思うがにゃ」

「私めも同感です。ここは一つ、愛様がいつもおっしゃっていたリセマラというものをするべきでは」

「……それって遠回しに、お役御免って言ってません?」

「いえ、直球に申し上げていますが」

「ううーっ、酷いですっ!」


 騒がしい面子を僕は咳払いで黙らせる。一瞬にして場は静まり返った。なんだかんだ言って、負けたらノゾムが消えるという事態に真剣になっているんだろうか?

「そうですね……。ノゾム様が負けてしまうということは、あのむかつく女がトップになる、ということですし」

「それは許せないにゃ」

 あ、そういうこと……。

 まぁ、所詮こいつ等は観客でしかない。危機感とかそういうものは、ノゾムとだけ共有できればいいか。


「愛、それでこれからはどうするんです?」

 ノゾムは小首を傾げて聞いてきた。唇の下あたりに指を当てるのは世間的に言えばあざといのだろうが、彼女がやるとあまりに自然に見えて逆に目立つ仕草になっていた。

「またあんな化け物に会った時、対抗する手段は一つしかない」

「レベル上げでございますね」


 星夜は僕の言葉を先取りして言った。

「その通りだ。ひたすら戦って強くなるしかない。これはたった一つ残された、僕達の対抗手段だ」

「そうですね! 早速行きましょう!!」

 駆け出そうとするノゾム。僕は彼女の後ろ襟を掴んでそれを止める。


「ぐえっ……。何をするんですか~!」

「そう慌てるな、まだ話は終わってない」

 けほけほと咳き込みつつ、彼女は僕を恨みがましそうな瞳で見上げた。

「ううー、話長いですよ」

「いつものことだから仕方ないにゃ」

 かしまし二人組はすっかり飽きてしまったようだ。

「……仕方ない、歩きながら話してやるよ」

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