有象夢想

陸脚

そんな理想を、夢想する。

 月曜日

 

 誰かと話そうとするだけで、この喉は締め付けられた様に苦しくなる。

 自然に微笑もうと努力する程に、口角は引きつって動かなくなる。

 だから私は、諦めることにした。


「格好良く呟いてるけど、それはただの言い訳じゃないかなぁ」

 __突然、背後から声がかかった。振り返ると、開け放たれたドアの前に彼がいた。

 何時ものごとくレジ袋を左手に持って、人懐っこい笑みを浮かべて。

「聞いてたの。」

 もっとも、この昼休みに屋上に来る人はそうそういない。聞いているとしたら私か、彼か、屋上の古びたフェンスか……この時期なら入道雲位のものだろう。びっくりしたけど、彼なら良いや。

 私は食べかけのサンドイッチを手に持ったまま、ちょっと笑った。

「そうだよ。言い訳。逆に、それ以外何があるの?」

 誰とも馴染めない駄目人間の、立派な逃げだ。完璧な逃げ、お一ついかがでしょうか。

 自虐っぽい台詞。わっはっは、と二人で阿呆らしく笑う。わざとらしい笑い声が、吹き抜けた風に混じって消えていった。


 レジ袋の中身は何時ものごとく、購買で買った二つの菓子パン。今日はメロンパンにクリームパンと何とも女子らしい(偏見)組み合わせだった。彼が甘い物好きなのは知っているが、毎回こうで栄養足りるんだろうか。何度見ても私には男子高校生の昼食だとは認識出来ない。

「……そんなにメロンパン食べたいの?」

「え、いや。別に」

 じっと見つめたのを勘違いされたらしい。私はふいと目をそらし、手作りのサンドイッチ(因みに具はトマトとチーズ)を頬張った。うん、美味しい。

 これが私達の日常。昼休みに屋上に集まり、ぐだぐだしているだけの日々。一緒に笑って、お昼食べて、怠惰な時間を過ごして。生産性の無さを二人で満喫する。

 だが勘違いしないで欲しい。

 私と彼は別に付き合っている訳じゃない。あくまで私達は「同士」。

 お互いに相手の情報は「同級生、名前、性別」位しか無いし、一緒に帰ったことはない。休日会ったこともない。デートなんてもっての他だ。

 ただ昼休みに屋上で会って、そして昼食を取って、愚痴を言い合う。それくらいの仲。

 そして今日だって、それは変わらない。

「……で?」

 今日は一体どうしたの、と彼は問う。何かを面白がるように、ちょっと笑う。私は肩をすくめ、別に? と言った。

「何時ものつまらない話だよ」

 人間関係が上手くいかない、ってだけだ。私達を結びつける、唯一の共通点。

 彼もその一言で判ったらしい。あぁ、と頷いて、私と同じ方を見上げる。考えていることは多分一緒だろう。

 心を許せるのは唯一、私が彼といる(彼が私といる)この昼休みだけ。

「「……」」

 暫く二人で空を見つめた。

「……人間関係なんて物はさ、サンドイッチと同じなのかもしれないね。」

 数刻の後、ふと彼がこちらに目を向けた。

「は?」

 怪訝な表情で聞き返せば、笑って私の手元を指す。

「具も人も、たくさんあったら美味しいし楽しい。だけど多すぎれば逆に食べづらいし、厄介なものになる。」 

「……座布団一枚。」

 言うことが上手いな。

 そのコメントに、彼は嬉しそうに笑った。笑うと幼く見えた。その笑顔に、私も思わず笑みがこぼれる。

 そうして二人で、また大笑いした。今度は自然にこぼれた、まぎれもない本物の笑顔で。


 ……まったく、世の中は不思議なことばかりだ。

 皆いろんな顔を持ってて、仮面被ってばかり。                                   

 私だけはその輪が嘘に見えて、疎外感と孤独をひしひしと感じていたり。

 私はともかく、ユーモアセンスも、笑顔も、スタイルも、顔も(ここ大事)良い彼がクラス全員から無視されてたり。

 そんな二人が出会って、今度は孤独を一緒に分かち合ったり。




 火曜日


 一人の登下校はぶっちゃけ辛い。周りで、クラスメイトとかが談笑しているのを見ると勝手に自己嫌悪に陥ってしまうのだ。特に一斉下校とかもう地獄。なんの当て付けなの? ってよく思う。私何かしたの? やらかしたの? ってなっちゃう。そう思う自分も嫌いだし。

 そんな訳で、私は朝は早く登校するようにしていた。周りに人がいなければ孤独感も感じないし、自己嫌悪に陥らなくて済む。決して、負け惜しみなんかじゃない。

 早足で通学。回りのことには目もくれず、一心不乱に歩き続ける。早く行けば行った分だけ、一人の時間が多くなる。

 ……だから、左手から差し伸べられたチラシを受け取ったのは、ほぼ無意識下の行動だった。


「ってな訳で、貰ったのがこのチラシなの。」

 そして現在。昼休み、屋上。私はそのチラシを広げて見せた。彼は少し目を凝らし、こちらを見、ぼそりと一言。

「宗教勧誘?」

「ご名答。」

 左手で、鳴らない指パッチン。私は天使やら何やら、白系統で統一され描かれたチラシを手渡し、昼食のいなり寿司を一口、二口。受け取った彼はチョココロネを食べながら、ふーんと気の無いように相槌を打った。

「神様に地獄に楽園に……ねぇ、君は何か悟りでも開いたの? それとも宗派変えるの?」

「んな訳無いでしょ。宗派変えるにしたって急だわ。」

 それもそうだね~、と彼が言う。うんうんと頷くところを見ると、どうやら本気で尋ねていたらしい。そんな訳……ある人にはあるけど、私にはない。くすっ、と笑って私は続けた。

「そもそも、私は神様を信じてないの。だからこのチラシ、貰っても困るんだよね。」

 ふん? と彼が、さっきよりは興味がありそうに先を促した。あんぱんの袋を開けながらじっとこちらを見つめてくる。

 私はそれを受けて、そっと言葉を紡ぐ。困ったように、笑って見せる。

「だって、もしこの世に神様がいて、私達の願いを聞き入れてくれるならさ。そもそも私達みたいに悩む人間はいないんじゃないかなぁ。」

 そう思わない?




 水曜日


「今日の運勢、第一位は九月二十三日~十月二十三日生まれ、天秤座の貴方!! 何時もよりも沢山の人と関われそうな予感の一日。金銭運、仕事運は特に最高潮! ラッキーアイテムはバレッタ、フレンチトーストもお勧め。だけど無理はしないことが大事! 今日も良い一日を♪ 」


 歌うように滑らかに、今日のニュースの運勢を語りおえた瞬間、彼は何かに気づいたようにあぁ、と頷いた。

「道理で今日は髪型が違うと思ったんだ。お昼被ったのもそのせい?」

 そんな訳で、今日の昼食は二人共にフレンチトースト(彼は+クロワッサンだけど……クロワッサンって菓子パンなの? )だった。

 私は彼の言うことにふてくされ、ちびちびとラッキーアイテムを齧る。何時もと違う髪型のせいか、肩に掛かる髪にどことなく違和感を覚える。彼はそんな私を見て、静かに笑った。

「しかしまぁ君は……ふふっ、神様は信じないのに……占いは信じるなんて、中々ロマンチックな……ぶふっ」

「うるさいなぁもう!! 」

 顔に熱が集まるのが判った。まったく、こういうところはたちが悪いなあ、彼は。やけになってフレンチトーストをがぶりと食いちぎる。

 言える訳ないじゃないか。……ちょっと、すがりたかったたなんて。そんな不確かな物にすがりたいくらい、最近追い詰められている、なーんて。流石に冗談だけどさ。

 プイッとそっぽを向くと、彼が笑いながら謝ってきた。

「ごめんごめん、拗ねないで。クロワッサン食べる?」

「いい。いらない。」

 さりげなく食べ物で釣ろうとしてくるし……。まあ、良い。許そう。

「当たり障りのないことしか言ってない、っていうのは判ってるんだけどね。」

 お茶を一口。

 それでも、ほんの一縷の望みを夢見てしまうのは。神様を信じない私にとって、禁止事項なのかな。

「……君は? 」

 これ以上考えたくなくて、私はそう話題をそらした。彼はフレンチトーストをくわえながら、怪訝な顔をする。

「ん?」

「占いとか、信じるの? 」

「信じないね。」

 私の質問を、一言で切り捨てた。

「そうなの。」

 自分の拠り所を否定された気がして、なんだかもやもやする。そう、と相槌を打った声が掠れたのは、きっとそのせいだ。

 だから、次に発せられた彼の言葉は、私にとって少し意外なものだった。

「そんな不確かなもの信用する時間があったら、君と愚痴り合ってるよ。」

「……そう、なの?」

 聞き返せば、彼は当然、とばかりに頷く。

「というより、今は君と話している時間が一番楽しいんだけどね。」

 だからそのお礼。そう言って、彼はクロワッサンを半分ちぎって差し出す。ぽかんとしながら、それを受けとる。

 ……喜んで、良いのかな? 勿論クロワッサンじゃなくて。

 手渡されたそれは、バターが香ってとても美味しかった。それはもう、ラッキーアイテムのフレンチトーストなんかよりも、よっぽど。





 木曜日


 雨が降った。

 前に小雨でもえらい目にあったことがある。今日は屋上には行けそうにない。多分、彼も来ないだろうし。

 一人の昼食は久々だった。そのせいか、旬のはずのデザート、桃ですらどこか味気なかった。おかしいな、何時もは大好物のはずなんだけど。

 はぁ、とため息をついて顔を上げた。

 クラスメイトがいる。皆、楽しそうに談笑している。……だけど、そこに私の入る場所はない。

 もう一度ため息をつき、天井を見上げる。

 久々に、最悪の気分だ。




 金曜日


 やっと一週間が終わる。土日だやっほーい。

 ……そんな喜びに浸る間もなく、朝から数学、生物と苦手な科目が二連続である。文系(自称)な上、席が一番後ろの私にはちと眠気を誘わせた。今も頭がボーッとしている。

 これで三限が古文とかならまだ気持ちも安らかだっただろうに、スピーチ練習、っていうからそうもいかない。しかも、よりによってグループワーク。

 テーマは……なんだっけ。ああそうだ、

「人間関係について」。


「やっぱり、なくてはならないもの、しかなくない? 」

 班のリーダーである女子がそういった。その言葉に、他のメンバーもうんうんと頷く。

 私の班は女子班だ。それもあってかこういうとき、意見がまとまるのが非常に早い。たとえ違うことを思っていても、その子を内心快く思ってなくても即座に同意する。本当、びっくりするくらい表情がころころ変えられて、腹の中では探り合い。同じ女子の私からしてもお見それいたしますよ。ほーんと。

 ……話がそれた。まぁ、かくいう私も普段は何も言わないんだけどさ。

 班のメンバーは皆、だよねー、だのわかるー、だのと貼り付けたような笑みで言葉を交わしている。私は黙って右手の爪を眺めた。何時も何も言わなければ、皆放っておいてくれるから。

 私の意見? 別に良い。黙ってて、空気になるのが楽だ。

「他に何かない? 」

 リーダーが問いかける。反応がないのを確認して、じゃあ原稿作ろっか、と明るく言った。

 皆が頷く。私もだ。そして各々役割を決め始める。私も紙にシャーペンを走らせ、原稿を書き始める。……ほぅ、何とかいざこざが起きずに済んだ。このまま黙って、進めよう。

 安堵の息を吐いた、その直後。


「まぁさ、あっても面倒臭いだけだったりするけどね。人間関係なんて。」

 リーダーが、そう言った。


 わかるそれな~!! と周りの女子がはしゃぐ。だが、私はその一言に、目を見開いた。

 そうして、また女子の話が弾む。だが、私はその一言に、黙り込んだ。

 ……面倒臭い? 今、そう言った?

 急速に思考が回転し、頭がかーっと熱くなる。自分で自分を止められず、私は目を見開いたまま思考の沼にはまっていく。


(それがどんなに私の欲した物か知っているのだろうか)

(どうしても、私がこんな、人との繋がりが嘘に見えてしまうから。だから手に入らないそれを)

(面倒臭い)

(……いや、私は仕方ないのかもしれない)

(ただ、繋がりが嘘にしか見えなくて。始めから信じようとしないから。私に人間関係なんて、ほぼ無いに等しいのは当然なのかも)

(でも、じゃあ)


 彼は?


(無視されて、築こうとしても築けない彼は)

(その権利すら剥奪された、彼はどうなるの? )

(……そんな、「面倒臭い」ものを今まで追いかけていた、とでもいうの? )


 がたっ、という音がした。私の、立ち上がった音だった。

 班のメンバー達が、驚いたように私を見つめる。私はその目線を無視し、リーダーに問いかける。

「ねぇ、さっき”他に何かない? ”って言ったっけ。」

 返事は聞かない。自分の声が、いやに低かった。頭は相変わらず熱いが、芯は恐ろしく冷えている。

 ……あぁ、今私、すっごく怒ってるのか。 

「ちょっと、言いたいことがあるんだけど。」


 授業が終わった。ついでに、人生も終わった気がする。私ははぁ、とため息をつきながら、弁当箱を持って廊下を歩いていた。昼休みが始まったばかりのためか、まだ廊下に人は少ない。

 正直、あの後のことはあまり覚えていない。「じゃあ願っても手に入らない人にとっても面倒臭いものなの? 」とか何とか言ったような……。もう、学校生活終わったとしか思えない。

 だけど、どうしてかなぁ。今私は、とても満足していた。言いたいことが言えてスッキリしたのかもしれない。あるいは、彼のことを自分なりに思いやれたっていう自己満足、とか。

 どっちだろ?

 だけどそれを考えている暇はなかった。

「春藤さん」

 声をかけられ、思わず振り返る。そこにいたのは、先程のリーダーだった。

「どうしたの? 」

 彼女は表情も声も鋭かった。私は口に引きつった笑みを乗せ、そうたずねる。すると、彼女の眼光がますます鋭くなった。あのさぁ、と苛立ったように、彼女は私に言う。

「調子に乗らないでくれる? 」

 一瞬、何を言われたのか判らなかった。

「は……ぃ? 」

 怪訝な顔で、掠れた声でそう聞き返せば、彼女はだから、と続ける。

「さっきの発言みたいな。ああいうの、マジでやめてくれない? 」

 もはや苛立ちを隠そうともしない。さっきの発言って言うと、「面倒臭い」って一件、だよね。

「どういう、こと? 」

 私は本当に意味が判らず、首を傾げる。対して彼女は私の一言でせきが切れたのか、吐き捨てるように話し始めた。

「折角人が意見まとめて、リーダーの仕事やってたのにさぁ。いきなりあんな発言するとか何様? グループワーク引っ掻き回して何が楽しいの? 」

 こちらを見るその表情は、憎しみにみち満ちていた。

 私は必死に言葉を探した。そりゃ、あのときは確かに怒っていたけど、私は私の意見を言いたかっただけ、なのに。

「ご、ごめん。でも待って、私はそんなつもりじゃ」

「はぁ? あれが悪意じゃないの? 悪意がなければ何でも良いんだ? 」

 私の怒りが否定されていく。もう、彼女には何を言っても通じない気がした。 

 それでも私は言葉を探した。彼女を困らせたい訳じゃなかった。誤解を解きたかった。

「で、でも。他に何かない? って言うから、」

「言い訳のつもり? 普通そんな意見出てくるなんて思わないでしょ。いっつも思ってたんだけどさ、ちょっとは空気読めないの? 人のこと考えてくれない? 」

 駄目だどうしよう、どんどん彼女の表情がきつくなってくる。

「あ、え……」

「何あ、え……って。黙ってればどうにかなると思ってんの? 」

 私が、彼を思って怒ったことが。今彼女のことを考えていない理由になっている。  

 普通の人が言わないことを言う私は、普通じゃない。

 彼女の言葉が鼓膜を震わす度、自分自身が斬りつけられたような痛みを錯覚した。

「ご、ごめんなさい。気分を悪くしたなら、謝る。」

 それでも、私には謝ることしか出来ない。そして彼女は、そんな私を鼻で笑う。

「それでどうにかなるの? 本当、ムカつく。」

「じゃあどうすればいいの? 」

 反射的に口にしていた。そっと、逆ギレだとか言われないように。でもはっきりと。

「どうすれば許してくれるの? 言い訳すれば良いの? 謝れば良いの? 」

「逆ギレしないでよ!」

 こいつ……っ!!

 あまりに予測通りの反応で、今度こそ本当にキレそうになった。意思の力がなければ、弁当を入れた袋の紐で相手の首くらい絞めていたかもしれない。

 だが、こちらも黙っていられない。

「よってたかって自分を無視する、そんな人達がいる学年で。それでも彼は__夏牧は、人との繋がりを求めた。それを……そんな、面倒臭い、だなんて……っ!」

 その一言で片付けられるのだけは、納得いかない。

 何の話よ!! と叫ぶリーダーを見ずに、勢い良く駆け出した。目指すは屋上。視界がぼやけて、涙が滲んだ。彼女にだけは、見られたくなかった。


「……道理で今日は、珍しく僕の方が先に来たと思ったんだ。」

 そして現在。

 私は彼と向かい合って、大泣きしていた。おーよしよし、と言う彼も少々困り顔である。

「わ、たし……本当に、そんなつもりじゃあ、なかったのに」

 判ってる判ってる、と彼は私の肩をぽんぽん叩く。その優しさが余計に身に沁みて、更に涙がこみあげる。

 うあーうあぁー、と子供みたく泣いた。彼は見かねてティッシュを差し出してくれた。

「うぇえっ……ありがとう、あと、」

 ごめん、なさい。

「ごめんなさい? 」

 彼が怪訝そうな顔で復唱する。私は頷き、しゃくりあげながらも必死に彼に伝えた。

 勝手に、気持ちを判ったようなことを言って。

 その上、思いやれたなんて自己満足に浸って。

「私、最低だ……!」

 何を言われても文句は言えない。彼の気持ちを踏みにじったのだから。

 彼が口を開いた。私は思わず、ぎゅっと目を閉じる。

 そして、


「……あっははははははははははは!!! 」


 笑い声が、聞こえた。紛れもなく、彼の声だった。

 へ? と目を開ければ、そこには屈託もなく笑う、彼がいた。清々しい声と本物の笑みで、空を見上げ、高く笑う彼が。

「いやぁ、何を泣いてるかと思ったらさ……。そんなことだったの!? 」

 そしてそんなこと、と。間違いなくそう言った。

「だ、だって! 私は、君の気持ちを」

「ねぇ春藤、」

 彼に名字で呼ばれるのは久しぶりだ。

 思わず言葉の詰まった私に、彼は笑いかける。

「もし見方を変えたら、君は僕の気持ちを利用した下劣な人間なのかもしれない。」

 私の表情がこわばる。だが、言葉は続く。甘んじて受け入れなければいけない。

「ひょっとしたら、僕は君を怒るべきなのかもしれない。最悪だ、最低だ。そう罵るのが普通なのかもしれない。」

 思わず俯く。でも、これは当然のこと。聞きたくないけど、聞くしかない。

 そして、彼は最後にこう締め括った。


「でもさ。どんなに君が僕の気持ちを汚したって、君が僕のために怒ってくれたことには変わりないじゃないか。」


 声が、出なかった。

 そもそも、大前提をひっくり返すような言葉だった。

「そ、んな。」

 ゆるゆると首を振る。呆然として彼の目を見つめるが、彼の笑みは揺るがない。

「まち、がってる。」

 今度は、彼が首を振った。

 私は責められるべきはずの人間、なのに。どうして、そんな顔で笑いかけてくれるの?

「どうしても、君の気がおさまらないならさ。」

 そう思ったら、心を読んだように彼が言った。

「またここで、一緒に愚痴りあってよ。」

 目から新しい涙がこぼれた。それは雫から、雨へ。そして滝となって、私の頬を濡らした。

ただし、今回のは悲しいからじゃなくて。嬉しいから、溢れた涙だった。


「……あー、結局お昼食べる時間なかったね。」

「うっ……ごめん。」

 二人で苦笑い。だが、この感じがやっぱり良い。心地良い。なんだか、もう何で泣いたか忘れてしまった。

 戻ろっか、とどちらからともなく一歩を踏み出す。そろそろ授業の時間だ。どうしてだろうか。今まで戻りたくもなかった教室が、少しだけ懐かしいように思える。

「……あ、ねぇ。夏牧。」

 そんな柄にもないことを考えたせいか、彼が校舎に続くドアに手を掛けたとき、私は彼に呼び掛けていた。

 背を向けたまま、うん? と彼は返事をした。私はその背中に向かって、そっと問う。

「どうして、君は私を許してくれたの? 」

 案の定、彼はそんなことかぁ、簡単だよと言って笑った。ドアを開けながら、私の目をじっと見つめる。

 そして

「……友達だから、じゃないかな?」

 そう言って、微笑んだ。



 __その教室は、異様な雰囲気に包まれていた。

「……以上が、春藤が死ぬ一週間前からつけていた日記だ。」

 担任の重々しい声に、何人かの生徒が後方を振り返る。今、彼らが見た方向の机には生徒の代わりに、花の入った花瓶が一つ置かれている。それを見て、更に何人かが俯いた。

 担任はスライドの電源をパチリと切り、クラス全員の顔を見回す。いいか、と声をかける。

「彼女が自殺したのは先週金曜の昼休み、屋上から転落した。」

 全員の表情は、暗い。少なからず責任を感じているのか、それとも何か別の理由があるのか。

 結局、そのクラスは授業中ずっと黙ったままだった。


 休み時間。

 春藤の班のリーダーであった少女は、呆然とした表情を浮かべていた。そんな、と呟き、小刻みに体を震わせ、あぁとため息をつく。

「まさか、まさか」

 だが彼女が驚いているのは、春藤が自殺したことではない。

 あの日記。

 クラス全員が判ったであろうことだが、春藤の書いていた日記には、いくつか、おかしな点があった。

 まず、彼女が昼休み中教室から出るのを誰一人として見たことがない、ということ。

 リーダーである彼女は、金曜日確かに春藤と言い争った。だが、その直後彼女は教室に戻る春藤を見かけている。それなのに、「屋上に行った」という記述が多いのはどういうことなのだろうか?

 更にもう一つは、もっとおかしなことだった。


 この学年に、「夏牧」という名字の生徒は存在しない。


 いいや、学年に限った話ではない。一年生二年生三年生教職員学校関係者その全てを調べても、「夏牧」という単語はどこにもなかった。それなのに、日記はまるでその「夏牧」ととても親密だったように書かれている。彼女自身春藤の「それでも、彼は__夏牧は」という言葉を聞いている。いもしない人物と、彼女は一体何を話したというのだろうか?             

 ここで少し、話を戻そう。

 先程彼女は「まさか、まさか……」と呟いていた。その言葉の通り、今彼女には信じられないほど突拍子の無い、一つの考えがあった。


 もしも、「彼」が実在する人物ではないとして。

 それは、春藤が人恋しさに産み出し、いると思い込んだ、想像上の人物だとしたら……?


 季節は夏。うだるような熱さの中、しかも重苦しい空気の教室で。

 自分にも非があると判っていながら、彼女はその恐ろしい考えに震えが止まらなかった。


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有象夢想 陸脚 @Rikuashi

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