花火がしたいね

パEン

第1話

「花火がしたいね」

 深夜のコンビニでお茶を選ぶ君の背に、僕はそう言った。

 悩んだ末結局アクエリアスを手に取った君は、こちらを見ずに返す。

「私、もう二十六歳よ? 花火なんてしてたら年甲斐もないって言われちゃう」

「誰も僕らなんて見てないよ」

「気持ちの問題」

 僕は君のアクエリアスと僕の麦茶の入った買い物かごに花火を入れたくて仕方がなかった。目に悪い蛍光色のポップに包囲された花火に手を伸ばす。その手は「だーめ」という君の手に捕らえられ、そのままレジに連行される。効きすぎたエアコンが寒い。

 飲み物だけの割に値が張る会計を済ませ、明るすぎるコンビニをでる。外も建物や街灯のせいで明るくて、蛍って絶滅したのかもと何となく思った。代わりにもならないセミの声がうるさい。

 自分の光より明るいもので溢れた今の地球は、この上なく蛍たちにとって過ごしにくいだろう。花火なんて邪魔でしかないだろうか。

「夏っぽいことがしたい」

 拗ねたような口調になってしまったかもしれない。そう自覚しながら、八歳も年上の君に少しは我が儘を言ってもいいだろうと開き直った。

「なーに。私との深夜のお散歩デートは嫌い?」

「そうは言ってないけど」

「子供ねえ」

「……子供と不倫してる誰かさんはどうなるのかねえ」

「あら、今すぐ帰ってもいいのよ?」

「大人はずるい」

 手を繋ぐわけでもない僕ら。甘ったるい言葉もときめくようなプレゼントもない、身体だけの関係だけど。これは立派な不倫だとお互い分かっていた。

 君の夫も不倫をしているらしくて。目には目を、と僕の横恋慕が狂った形で叶ってしまった。友人の姉でしかなかった君との、おかしな恋。結婚すると聞いたときはおかしくなってしまいそうだったけど、今は完全におかしくなってしまった。

「花火、か」

 偽物の愛の巣———いわゆるラブ・ホテルへ向かう道の中、君はアイスブルーの爪をいじりながらふと意地の悪い笑みを僕に向けた。

「ね。線香花火ならあるけど、する?」

「え!? 持ち歩いてんの!?」

「そういうこと。ほら、手出しなさい?」

 わけの分からないまま、僕は手を差し出す。手のひらに置かれたのは、白い棒状の花火————ではなく、それはどう見ても煙草だった。

「……まだ未成年なんだけど?」

「不倫なんてしている時点でその主張は通用しないわよ」

 君は慣れた手つきで自分の煙草に火をつけ、煙の灰色を夜の濃い青に落とした。

「これでも、真面目に十八年間生きてきたんだけど」

 僕はそう言って煙草を突き返した。たった数センチの短い棒は、僕の人生を決定的に狂わすには十分すぎる長さに思える。

「あら残念。悪いコトを共有するのは楽しいのに」

「間に合ってるよ」

 君は煙草を受け取らない。どうしても僕に吸わせたいらしい。変なところで強情なのは、こんな下らないワンシーンでも変わらなかった。暑さのせいか、僕の手が汗ばむのが自分でも分かった。

「どうしたら吸ってくれる?」

「キスでもしてくれたら吸ってあげるよ。早く行こ」

 君はずっと、キスだけはしてくれなかった。身体は許されているのに。君の中でキスは何かのボーダーラインらしい。僕は子供扱いされているみたいで、それが不満だった。

 今日、明日、これから君との縁が切れるまでのずっと。君は僕にキスをしてくれないだろう。喉が渇いているのに、冷たくもない甘すぎる砂糖水しか与えてもらえない感覚だ。満たされるべき行為をしているのに、満たされたいものは増えていくばかり。

「————してあげよっか?」

「……そんなに吸ってほしいの?」

「生意気言わないの。吸う?」

 ———だから、これはまたとないオアシスとの邂逅だ。純粋に潤いを得られる、またとない機会。

 思えば、僕は花火をするだけだ。花火を受け取りそれに火をつけるだけ。何も悪いコトなどないはず。

 僕は「子供」だから。「大人」のいうことにウソなんてないと信じ込んでもいいのだ。渡されたのは線香花火。それ以外の何でもない。

 僕はそう自分に言い聞かせ、花火を咥えた。

「火、つけたら息吸いこんでね。それで火がつくから」

「ん」

 心臓がマラソンでもしたのかと勘違いして動きを速める。これでも真面目に生きてきた僕に、分かりやすい「悪ぶった」コトは緊張の対象だ。

 「大人」になりたかった。それはキスを貰えばなれるものなのかと問われると、分からないと返すしかない。

 気が付かないフリして煙草を吸えばなれるものなのかと問われると、それはノーだと言える。

 なんにも分からなかった。「子供」だからか、ただ無知だからかも分からない。

 分からないなりに、不器用に前に進む。バカのやり方だけど、これしか僕は知らない。

 君はライターを取り出さず、もう火のついた自分の煙草を咥えたまま僕の煙草にくっつける。とんとん、と唇の横を指でつつかれ「息吸いこんで」と促される。

 何が何だか分からないまま、ゆっくりと息を吸う。君もそれに合わせて、すう、と深く息を吸った。

 煙草に火がつき、口の中に煙が充満する。それを半ば咳込むような勢いで吐く。

「今はふかしでいいよ」

 ふかしの意味も知らなかった。ぼうっとした頭を引き離していくように、僕はとにかく煙を吐く作業に集中する。

「今のはね、シガー・キスっていうの」

 咳込んでしまう僕をじっと見ながら、君はそう教えてくれた。

「私もシガー・キスは初めて。処女ってことかな」

「だったら僕は煙草童貞だ」

 微笑みながら、君はもう一本煙草を取り出した。

 流石花火というべきか、僕の心臓の音がどくんどくんとうるさい。花火が咲いた数秒後のあの音にそっくり。線香花火にしては随分と派手だな、と臭い台詞を頭に描いた。

「ね。キスしてあげたでしょ?」

「違いない。大人はずるい」

 潤いはなかった。むしろ、もっと求めるものが増えてしまったという最悪なオチ。見つけたのはオアシスではなく、詐欺師の素敵な商店だったのだ。

 やけに喉が渇いていた。お茶の気分じゃない。君ならお酒でも欲しがるのかもしれないけど、まだ「子供」の僕はお祭りの出店にでもありそうなラムネが飲みたかった。

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