魔法少女回帰譚

楠木黒猫きな粉

会奇【前】

幼い頃アニメの世界に憧れた。空を飛んでカラフルな魔法を使う少女たちはいつも誰かの夢だった。

不思議な生き物と共に変身して悪と戦う少女の姿に心を動かされた。愛情も友情も彼女らの世界に詰まっていた。

——

夕暮れ時の一瞬なにかを感じた。謎の異臭と存在感。鼻の奥で止まる異臭の正体を私は知らない。知ってはいけない臭い、そして背後の気配には気付いてはいけないと本能が叫び出す。

どっと汗が噴き出すのがわかる。鞄を握る手が硬くなり掌に爪が刺さる。足音はない。けれどゆっくりと確実に近寄っている。

圧迫された雰囲気が路地を支配する。動悸が速くなる。呼吸がまばらになり視界がぼやけた。来るなと念じようとも事態は変わらない。

瞬間のことだった。日の色と見間違いそうになるほどの紅が飛来する。ゴミの山と激突する。くだらない落書きのように隙間の壁が染まる。粘っこく鉄臭い匂いが頭を殴る。

間違いなく血の匂い。ぼやけた視界に映る快楽と冒涜の形から溢れる本物。千切れて落ちた腕も、明後日を向いた両足もそれが何なのかを決定づけさせる。

人だった。人の形をしていた。しているだけだ。

ゴシャリとゴミ袋が潰れ、はっきりとしなかった存在が足音を立て始める。接近する死の匂いに脚が震える。ここからは逃げ出せない。逃げるという行動に至る事すら不可能だと理解する。

私という私はこれで終わる。これは理不尽な死ではないと解釈を捻じ曲げる。私が選んだ事にして逃げ出したい。民家の外壁を削り近づく化け物は、道の端に落ちたパーツを拾い集めているのだろう。

目を閉じた。せめて飛び散る自分の姿を見ないように。唇を硬く閉じた。自分の選択の悔いを吐きたくなかったからだ。

重い足音と震える心臓が世界を包む。覚悟も何もない死が迫る。

その時だ。心臓の高鳴り以外の音が混じる。引きずって動くようなそれでいて水気を含んだ音。

目を開けた。理由なんてない。好奇心で揺らぐ程度の忌避感ではなかった。だからこそ理由がない。わからない。

けれど目を開けて理解する。目があった。ただの形だった物と。冒涜を体現したそれは、化け物に向かって進み出す。顔に似た部分で地面を這っていた。

「…ah…が…こう…し」

グチャグチャになっていく顔面がそんな声を上げる。伝える事なんて不可能だと分かっているはず。しかし懸命に化け物に向かい何かを伝える。命乞い、助けを呼ぶ声、生きたいという祈り。そのどれも含まない声に私は耳を澄まし続けた。そんな事しか出来なかった。

這うそれが私の横を通り過ぎようとした時だった。地面に重い物が落ちる音とピチャリと水を踏みつけた音が響く。次いで息を吸う音響く。

「aaaaaaaaァァア!!!!!」

咆哮。同時に私の足元を這っていた少女が高速で移動する。赤色をした風が駆け抜け、夕焼けと見間違う程に壁を汚した。

削られた壁とアスファルトだけが残る。

「aaaa…アァahiャッッ!!」

猟奇の叫びが木霊する。音より少し遅れて少女の形がバウンドをして現れる。

「…ぉ、ぅん…ぃう…」

少女は成り損ないの声を張り出している。その喉には釘を執拗に打ち込まれ、唇は頬を貫いていた。

遊ばれている。簡単に殺せるのに加減をし続けている。おもちゃを自分好みにアレンジする様に形を異形にしていた。

しかしそれも終わりを迎える。

「ヒeHャッ!」

上空から飛来したそれは当たり前に踏み潰す。飛び散った目玉が左肩を掠めて飛んだ。

潰れたトマトのようだった。人がしていい死に方ではなかった。

化け物は次を探すように首を振り、そして私を見つけ出す。虚と邪悪に歪んだ瞳と目を合わせた瞬間だった。

死の圧が消えた。合った目はそこにはない。消えたのだ。壁に散った飛沫も、潰れたゴミ袋も全て。

日常に散らばった非が姿を消した。詰まった息を必死に吐き出した。突き立った爪が血を落とす痛みで我に帰る。

白昼夢と言われても信じてしまいそうな程に何もない。けれど途切れる息が全てを証明する。

「…なに、あれ」

言葉を吐き出す。タチの悪い幻であって欲しいと今でも思う。濃密な死すら偽物で、この震えを止められない脚も勘違いならばどれほど良かっただろう。

途切れながら息を吐き歩き出す。この場から離れたい一心だった。

『君は、あれが見えたのかい?』

刺すような声が耳に届く。振り返る事を躊躇った。どれだけ無意味な日常でも死よりマシだ。誰が好んであの場所に帰ろうと思う。そんな奴はとっくに壊れているのだ。

無視して帰ろうと踏み出した一歩が動かない。震えからではなく、脚が縛り付けられたように動かない。

『君は、見えたのかい?』

再度刺す。余裕なんてない。現実から目を逸らして冷静なフリをしているだけ。口を硬く結ぶ。何も聞こえてないフリをする。

『君に、帰る場所なんてあるのかい?』

刃の形が変わる。恐怖ではなく核を刺した。唇を酷く噛む。血の味が舌を占領する。帰る場所。私が帰りたい場所。帰るべきと思える場所。帰らないといけない使命に駆られる場所。それが無ければなんなのだ。

『佐藤栞さん、君は生きていたのかい?』

私が両断された。佐藤栞という私はその問いに答えられる。結論なんて決まっている。そしてあの場所の答えにも辿り着く。

瞬間、鈍い死が鼻を掠めた。

きっとあの場所は死でしか辿り着けない。生きているが死に寄った者たち。生きる事を理解できなかった欠陥品の廃棄場所。

ビチャリ、と【当たり前】が顔に散った。

消えたはずの非があった。時間にして数分程度。数分とは思えない惨状が現れる。どんな物で殴れば人は紙のように潰れるのだろうか。狭い路地を切り裂いた夕陽がその化け物をさした。

形は人のように二足で立ち、獣のような手を常に祈るように組んでいる。その口元は常に動いていた。そして日を睨みつける目は優しさを湛えていた。

獣と人の中間。そして死の塊。それが今、私を指差していた。分かっている。これは現実で理不尽で選びようのない死である。

そんな瞬間だからこそこの言葉を吐き捨てる。

「私は、きっと死んでるよ。私が佐藤栞である限り例外なく死んでいる」

答えなんてこんなもの。佐藤栞が私だと認識するのが私である限りこの不信は除かれない。つまり生きられない。この不信は劣等と空虚が混ざった別の感情。名前のない透明なフリをしたどす黒い物。だから私は存在できない。

『君は、憧れになりたいかい?』

時が止まる。獣が私に触れようとした瞬間で停止している。投げられた言葉の意味が分からない。何故今問うのか。夢でも見せるつもりなのか。

恐怖を忘れた頭が捻り出した。見えたのは画面の中で戦う少女達。同年代の少女たちが一度は夢見るヒーローの姿。その姿に焦がれている私。憧れていた。夢見ていた。

きっと今でも焦がれている。夢を見ている。あの少女達の居場所に行けるのなら私は何だってするだろう。

『それが今叶うとしたら?』

『その力を与えられるとしたら?』

『君は選ぶかい?』

「選ぶよ」

迷う余地はない。俗に言う最期のお願いという奴だ。最期に憧れになれるのなら生きていて良かったと少しは思えるだろうから。

『なら君はこの死を…終わりを倒せるかい?』

「倒せるよ」

意図は全く分からない問い。しかし私は肯定してみせた。佐藤栞にそんな事はできない。前に立つ事すらできないだろう。だがあの少女達はきっと立ち向かう。そして最後には倒してしまう。

『じゃあ、証明しておくれ』

その声が響いたと同時に目の前が光出す。鞄を握り込んでいた手はいつの間にかステッキの様な物を持たされ、服は黒色の魔法少女のようになっていた。そしてボフンという音と共に小型犬のような姿をした動物のような物が現れる。

「……は?」

死ぬ前の夢でも見せられるのかと思えばそんな事はなく、停止した時の中で突如魔法少女にさせられたのだ。

理解が追いつかない。自分の思惑を超えた出来事に対応しきれない。あの声は私に証明しろと言った。何を。憧れが怪物を倒せる事。つまり私がアレを倒すということ。

足元の小動物は獣を指差し、こちらを見つめて口を動かす。

『君がついを倒せると言った。その言葉には嘘は無いのだろう?なら証明をしておくれ?』

あの声が足元から現れる。少年のようで大人のような色の音。そして私に期待しているだけの声音だった。

今頃になって理解する。声は獣を終と呼んだ。つまり獣は終わりの形。私が寄った死の塊。それと私が戦えというのか。何の力も特別性も持たない私が。

「い、嫌だ、そんなのは嫌だ!」

拒否をした。しかし小動物は首を横に振る。力なら渡しただろう、特別性なら今得ただろうと言いたげ指を指す。

『君は僕に答えた。それだけで君には戦う理由が生まれた。そして僕は与えた。君は受け取った。それは義務になった。今証明するんだ。僕に向けて君の焦がれたモノの強さを証明するんだ。だって君は僕に選ばれたのだから』

「ふざけないでっ!」

『ふざけてなんていないさ。今君が逃げ出せば君は死ぬし僕も死ぬ。そして世界は終に呑まれる。しかも呑まれた世界は輪に帰れず死に続けるんだ』

必死さなんて一切ない声で告げる。私が荒げた声が平坦な事実に潰される。

歯が浮つく。気が揺れる。覚悟を選ぶ。

死にたくはない。けれど生きていたくはない。つまらない生を選びたくはない。理不尽な死は選択する価値がない。

ステッキを握りしめる。ボヤつく視界で【敵】を見る。静止した時の中で私は選び取る。

私は佐藤栞わたしであることを今だけは許容した。

「…やるよ」

コクリと小動物は頷いた。一歩を踏み出す。覚悟なんて無かった。決意は空っぽだ。

震えた心も頭も目も脚も全てが定まらない。

だがまた一歩を踏み出した。ステッキを持った腕を振り上げる。大股でもう一歩を踏み出していく。獣まであと数歩。とてつもなく重い一歩。踏み出しては息を詰まらせる。あと一歩だ。理不尽に怒りまた一歩を踏み出した。

荒い息で獣の前に立つ。

一つの感情だけで振り上げた腕を振り下ろす。

言葉にもならない咆哮と共に獣の脳天を打ち抜いた。

瞬間に夕暮れが帰還する。時に咆哮を刻みつけた。壁一面に散らばった死すらも気にはならない。

この瞬間私は生きることを選び取ったのだから。














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魔法少女回帰譚 楠木黒猫きな粉 @sepuroeleven

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