人化移羅

「安い芝居やなあ、雨花」


 穴の中に転がった狐女に向けて、声をかけた。


「あっ……」


 俺は凍りついた。

 穴の深さは2mほどしかない。ムカつく女の顔を見て笑ってやろうと、顔を出したのが運の尽きだった。あとまあ、恐怖と重圧で判断力が落ちていたのかも知れない。

 刺されたといっても、雨花が可能性を見落としていた。


「じゃあ、それに引っかかる馬鹿が居て助かったわ」


 雨花は穴の中からこちらに拳銃を向けていた。 

 こちらは疲れている。覚醒剤クスリも切れた。

 武器は短刀ドス一本。絶体絶命だ。


「……ハハッ、嘘だろ」

「またエセ関西弁……剥がれてるわよ?」

「安い芝居にも騙される大根役者やからな……なんでこないなこと」

「女の嫉妬よ? 組長オヤジさんが私より大切にしてたもの、全部壊してあげようと思ったの」


 俺は長いため息をつく。足元ではケンが心配そうに俺を見上げている。

 どうする? アイフル? のCMみたいなザマだ。

 まあ今どうするべきか考えるのは端金じゃなくて俺の命な訳だけど。


「俺が? お前より大事? 男同士の絆と男女のそれを一緒にするのは良くないと思うわ」

「違うわよ、勘違い男。あんたがさっきぶっ壊した人形、あれよ。あれを使って組の人間を皆殺したら……あの世で組長オヤジさんも、それにその人形のモデルになった女も、良~い顔しそうじゃない?」

「根性ドブ沼女か? 吐き気す――」


 軽い音が鳴って、顔のすぐ横を弾丸が通り抜けた。


「なあ、やめようや。死人やぞ。組長オヤジも、組長オヤジの昔の恋人も、生きてるのは俺とお前と組の奴らやろが……?」

「声震えてるわよ、伊良子ちゃん」

「まだ覚醒剤クスリは効いとるんやで、その気になれば弾丸一発ぶっ放す間に突っ込んでお前をぶち殺すくらいできるわ」


 はったりをかました。

 けど、雨花はそれを聞いてもケラケラと笑うばかりだ。

 もうどうでもいいのか、関係の無い策でも用意しているのか。


「アハ、覚醒剤スピードって言うくらいだもんねえ。反応も段違いって訳かしら。すごいすごい。あんたならそれくらいやりそう、けど」


 ケンがまた吠え始める。

 嫌な予感がしたが、振り返るわけにもいかない。

 振り返らなくても分かる。首のない箱入り娘が、両腕だけでこちらへと這ってきている。


「その前に、あんたを殺す算段はつけられるわ。それに、槍で刺された時もあれ血糊使っててね。実は今、無傷なのよ。瀕死のあんたの一発ぐらいなら貰ってあげる」

「こすっからい女……ひくわぁ」


 それを聞いた雨花はクスクスと笑った。


「ねえ、あなた……死にたくないわよね?」

「せやな」

「この場は見逃して上げてもいいわよ。そこのバカ犬をこっち寄越しなさい。そいつを逃がすと厄介ですもの。いつも世話してたあんたの言うことなら聞くでしょ。私がその犬とやりあっている間に、あんたは逃げれば良い」

「チワワ一匹がそんな怖いんか? ああ、雨花、お前狐使いだからか。ハハッ、うけるわ」

「どうすんの?」


 箱入り娘を威嚇するケンの姿を一度だけ見た。

 返事なんて決まっている。


「お断りや腐れアマ」


 スーツの裏に隠していたダイナマイトを取り出して、着火したそれ一つで穴の中へと飛び込んだ。最後の手段だ。


「うそっ!?」


 察しだけは良い女だった。俺が取り出したものも、行動も、全て理解したらしい。

 もろともに吹き飛べ、クソ女。


「いやああああああ!」


 穴の中に飛び降りようとした瞬間、ケンが俺の足を引っ張って転ばせる。

 手を滑らせてダイナマイトだけが穴の中に落ちていった。

 弾丸は何時まで経っても飛んでこない。

 腕だった。

 組長オヤジさんの腕が、雨花の腕を握りしめていた。


「やめっ! ごめんなさい! 怒らないで!」


 組長オヤジさんの腕だけじゃない。

 俺が掘った筈の穴の中は、地獄の有様だった。

 俺は知らない。俺の掘った竪穴はおおむね2m程度、こんな広くもないし大きくもない。ダイナマイトを転がせば月の明かりで火くらいは見える。

 なのに、見えなかった。真っ暗闇。本当の闇。何も見えない。


「嫌よ! 私はまだそっち行きたくない! やだぁ! こわい! 助けてよオヤジさん! なんでもおねだり聞いてくれたじゃないの! なんで今回だけ駄目なの! なんでもあげるって言って! 嘘つき! オヤジさんの嘘つき! 大嫌い! なんで私に優しくしてくれないのよ! 私あなたのためにこんなに頑張ってたのに! なんでここまで優しくしておいて、最後にいちばん大事な物だけ取り上げるの!」


 雨花の叫び声。

 それに続いてダイナマイトの爆ぜる音と、わずかな地面の揺れ。


 ――御山は極道の聖地だ。


 昔、組長オヤジさんがそう言っていた。

 俺もいつか逝く。そう言っていた。


 ――つまりな、地獄なんだよ。


「う、あ、あ、わあああああ!?」

「ワンッ!」


 ケンの鳴き声が正気を揺り戻した。俺は悲鳴を上げながら後ずさる。


「なんで私ばっかりこんな目に遭うのよ! 私頑張ったのに! 私、私、あなたのなんだったのよ……? え? もう……それなら、良いの。えへ、うん、居るよ。雨花は、ずっと、ここに……仕方ないんだから」


 雨花の声は先程までと打って変わって甘えるような色合いになる。

 だが、もう闇の向こうには何も見えない。

 覚醒剤クスリで強化した筈の、赤外線カメラに匹敵する視覚でも、瞬間的に怨霊の核さえ見定める異能を得ても、なお見ることのできない真の闇。

 

「……大好きだよ」


 何かが起きていて、何かが狂っている。

 俺には何も分からない。聞こえない。

 人間の肉を引き裂くような音、骨を噛み砕くような音、ゲラゲラと笑う野太い声。


「すまんなぁ……仁、すまん。すま、すま、すまん。すまんなぁ。つかれ、お前もこっち来て休ま、スマン、ヤスマ……やすまん、か」


 組長オヤジさんの声がする。けど、これは組長オヤジさんじゃない。

 本当に化けて出るなら、俺にだって見えた筈だ。


「なんも見えねえ」


 黒い竪穴は、ゆっくりと小さくなっていく。

 周りの土を崩して、自らを埋め立てる形で、小さく、小さくなっていく。


「何も見えへんよ……オヤジィ……」


 パァン、と大きな音が背後で鳴って振り返った。

 箱入り娘の五体が八つ裂きになっていて、ケンは相変わらず吠えていた。

 東の空がいつの間にか白くなり始めていた。まだ夜更けだった筈なのに、もう明け方。

 時間の流れも空間も、御山ではめちゃくちゃだ。


「ケン、帰ろ。今日はもう疲れたやろ」


 ケンを抱きかかえて歩き始める。歩けば出られる筈だ。


「兄貴! 兄貴~~~~~~~~~!」


 五分ほど歩くと遠くから白いバンが近づいてくる。乗っているのは組の舎弟たちだ。俺は歩く速度を早めた。

 窓から手を振る舎弟たち。目の前で車を停めて、中からゾロゾロと出てきて俺を取り囲んで、頭を下げた。


「お勤めご苦労さんです!」


 重なった男たちの声が、明け方の山道に反響した。

 

「一言足りへんなあ自分ら、俺は誰や?」

「伊良子さん……」

「いや、組長」

「そうですね。詳しく聞かせてください。

「ここには俺たちだけなんすから」


 それから舎弟たちは声を揃えてもう一度頭を下げる。


「組長、お勤めご苦労さんです!」


 叫び声がこだました。

 鉛を飲み込んだような重たかったが、それでも、俺は俺の憧れた昔日の組長オヤジさんを演じる。


「分かっとるやないか、自分ら」


 朝焼けが眩しくて、何も見えない。

 夜の時代はもう終わる。

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人伽狗螺~令和極道怪異聞~ 海野しぃる @hibiki

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