4-7 まだ片足は夢の中に入っている気がした

 観覧車から降りるとき、狩科の目に、深津が寂しげに映った。地上に降りると深津は笑顔を作り狩科に向き合う。それが狩科の目には「どうにかして作った笑顔」に見えた。

 深津は礼を言う。

「今日はわざわざありがとうございました。私が佐上優希とは別人だって、よく分かりました。提案してくれたことがとてもうれしいです。また、臨床試験でお会いしましょう」

 このままなら綺麗にまとまった別れになる。

 それを壊したい。

 狩科は頬を指でかきながらもじもじと話を切り出す。

「すみません。もしお時間があれば、僕がノートパソコンを選ぶのに、色々教えていただけませんか?」

 その後に間はなかった。

「ノートパソコンって、狩科さん、急にどうしたんです?」

 深津は一歩前に出て、社交儀礼の微笑みをかなぐり捨て、食い入るように狩科を見る。男女で身長差があり、二人が近づいたものだから、深津が狩科を見上げる形になる。狩科はもじもじと、深津を直視しないように顔を少し横に向けて返答する。

「ノートパソコンを買おうかなって思ってるんですけど……どういうのを選んだらいいのかよく分からなくて……その……深津さんが詳しそうだから、教えて欲しいな、って……」

 深津が呆れる。

「工学部に所属していてノートパソコンを選ぶポイントも分からないのですか? しっかり勉強してください。いいでしょう。私が教えます。今からリアル店舗で品定めするのでいいですね?」

「いいです……」

 狩科は気圧されてポツリと答えるしかなかった。

「もう時間がありません。今から行って開いている店舗は限られます。私が行き先を決めていいですか?」

「お願いします……」

 狩科が大人しく返事をすると深津はつかつかと歩き始める。気がせいているのが伝わってくる。狩科は後ろをおずおずとついて行くことにした。

 さきほど観覧車で夜景を見たので、夜ももう遅い。ただテーマパークが都内だったので、遅くまで開けている大型店舗まで電車で移動すると営業時間に間に合った。

 その店舗は一階の大半をパソコン売り場が占めていて、店内に入ると用途に応じた種々のパソコンが並んでいるのが一望できる。

 二人が陳列棚の前に立つと半被を着た店員が恭しく頭を下げながら近づいてくる。

「お客様、パソコンをお探しですか?」

 深津は店員をほぼ見もせず一言。

「自分で見させてください」

 すると店員は「そうですか」と言い残して二人から離れた。

 深津は左隣にいる狩科を見上げて言う。

「店員は、案内を求めない客にしつこくつきまといません。彼らにも時間の無駄ですから。買う側も、選ぶポイントを押さえていれば店員に教えてもらう必要はありません」

 狩科が気圧されているのもかまわず深津は言葉を続ける。

「ノートパソコンの価格はフォームファクター、つまり形状で大体決まります。狩科さんは買った後で持ち運びますか? 家に据え置きですか?」

 深津にまっすぐ見つめられて狩科は言葉に詰まった。

「持ち運びは……すると思います…… 大学に持っていったりすると思うので……」

「すると、どのくらい軽くするかが重要です。世界最軽量をうたう機種は同じ性能でも高価になります。荷物はできるだけ軽くしたいですか? それとも重いのを我慢して安価にしますか?」

「重いのはなんとかなると思います…… 今もリュックサックを背負ってますし…… それに、予算があまりないんです……」

「では、あまり軽量化されていない機種を選びましょう」

 そう言って深津は歩き始めた。店内は機種の特徴に応じてゾーンが別れている。深津は、さして大きくもないが軽くもない、言わば特徴がなく無難な機種が並んでいるゾーンにまっすぐ向かう。連れて行かれる場所を見て、狩科はパソコンではなく自分自身に特徴がないことを改めて認めざるを得なかった。

 パソコンの前に立った深津は棚に掲示されたスペック表を指差す。

「性能と価格はトレードオフですが、予算に制限がある場合は、メモリの容量を確保したままCPUのグレードをどれだけ落として我慢できるか考えましょう」

 あれ? 狩科は思わぬ助言に耳を疑う。

「パソコンでCPUの方を落としていいですか?」

 深津には、そんな戸惑いは承知の上だ。

「現在のCPUは、書類作成や映像再生・編集には十分対応できる能力を持っています。メモリに余裕があれば重たい処理でも我慢すれば最後まで処理できますが、メモリが足りなくなると処理を完了できません。またメモリに余裕があるとキャッシュとして使用されてCPUの負荷が軽くなる効果もあります。結果として、メモリが大きい方が長い年月使用できるのでトータルコストが下がります。予算に余裕がない場合には重要な点です」

 きっぱりとした口調に、狩科はそんなものかとうなずいた。

 そして深津が足を止めたのは、アジアで大規模生産しているメーカの、デザインもおとなしめのパソコンの前だった。

「このあたりが価格と性能のバランスがとれていていいでしょう。出荷台数が多いメーカなので、故障も日本の一般人が思うほど心配する必要ありません」

 深津は実に生き生きとしている。連れてこられた狩科はただただ受動的。

「そうですか。これにしようかな……」

 語尾が途切れているというのに肯定と聞き取った深津は明るい表情で狩科に向き合う。

「買ってしばらく使ったら、使い心地を教えてくださいね。興味がありますし、私がおかしなものを勧めたとしたら恥ずかしいですから」

 深津のまっすぐな視線を狩科は直視できない。

「ええっと……それなんですけど……」

 そして黙り込む。

 言葉を続けない狩科を見て、次第に深津が不審に思う。

「もしかして、買わないんですか?」

 狩科は目が泳ぐ。しばらくして、ポツリと。

「ハイ」

 深津は心にある疑念を口にした。

「もしかして理由をつけて私を引き留めただけですか?」

 厳しい詰問に狩科はポツリと。

「ハイ……」

 深津の顔に怒りが浮かぶ。

「テーマパークに一緒に行けたから次はウィンドウショッピングって、どこまで調子に乗ってるんですか!」

 ここが正念場。と思えど、狩科は細い声で言うことしかできない。

「深津さん、テーマパークでつまらなそうでしたから…… こういう店に連れて行った方が楽しいのかな、って…… 店に入ってから、深津さん、生き生きしてましたし……」

 深津の顔が赤くなる。口をパクパクさせるのは深津の方だ。

「そんな、私のこと気にしてるんだったら、こんな遠回しな手を使わなくても、直接言ってくれればよかったのに。いや、その、楽しかったですよ。楽しかったですけど、騙されてつれてこられたのがしゃくに障るというか……」

 口ごもった後、深津は頭を下げた。

「心配していただいて、ありがとうございます」

 コロコロ変わる深津の様相に戸惑いながらも、なんとか受け入れられたことが狩科にはうれしかった。

「楽しかったなら、よかったです」

 深津が顔を上げると、微笑みを、でも観覧車を降りたときと違って無理のない笑みをしている。

「あなたが私のことを気遣っているのは、よく分かりました。これから色々あると思います。その……メッセージアプリのアドレスを交換しませんか?」

 狩科はとっさのことに一瞬声が出なかった。静まれ、静まれ。自分に言い聞かせて、声を絞り出す。

「いいんですか?」

「なんかもう、あなたの押しに負けたというか、信用してもいいかなって気になったんです。せっかくこう言っているのに、嫌ですか?」

「いや、と言ったのは否定の意味で、いいです! 本当にうれしいです!」

「じゃあ交換しましょう」

 深津は落ち着いた様子でポシェットからスマホを取り出し、狩科は大慌てでリュックサックからスマホを取り出す。深津が画面上に二次元コードを見せたところで狩科が読み取って互いの友達関係をつないだ。

 深津が納得したようにスマホ画面を見るのを見て、狩科は夢を見ているような気持ちになった。

 視界の隅に法被を着た店員がいる。今までの会話をずっと聞かれていただろう。

 気持ちが少し醒めた。けれども、まだ片足は夢の中に入っている気がした。

 それは家に帰って眠りにつくまで変わらなかった。

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