【空に走る】

@osenbey11

第1話






「夏休み、海行かない?」

 ベッドに寝転がりながら、スマホのチャットアプリを開く。1週間前送ったメッセージには、やっぱり既読がつかない。

 詞は別に、私のことを無視しているわけじゃない。スマホを見ていないのは、見忘れているわけでも、見ようとしていないわけでもなくて、見られないからだ。だから、私の行動に、意味は何もない。ベッドの上で時間を過ごしたって、スマホを眺めたって、日課だったランニングや、受験勉強をサボったって、何かが変わるわけじゃない。わかっている。わかっているのに、もう何日も、こんなことを繰り返している。


 「浅田詞」と「浅間葵」。似たような苗字の私たちは、出席番号も続きで、マンションも近くて、身長もほとんど一緒だった。だから、話す機会も多くて、自然と仲良くなった。


 二人とも、走るのが好きだった。低学年の頃は男子と一緒になって、よく校庭で鬼ごっこをしていた。二人とも、足が速くて、体を動かすのが大好きだった。学年が上がっていくにつれ、男子と一緒に遊ぶことは減り、競走することは減っていったけど、女子同士で、小学校のバスケットボールクラブに入っている子たちに交じって一緒にバスケをしたり、鬼ごっこをしたり、バドミントンや縄跳びをしたりして遊んだ。マークについたり、タッチしにいったり、詞と私はとにかく追いかけあった。あちこちを走り回って遊んでいた。


 私たちは、中学で陸上部に入った。いろいろな競技をして遊んだけど、二人とも一番好きなのは走ることだったから、自然な選択だった。

 私たちは親友だった。いつも一緒にいて、いろんなことで競争して。詞のお気に入りだった空色のスパイクも、同じメーカーの、白いシンプルな私のスパイクも、一緒に買いに行った。帰り道、分かれる前の直線を、新品の靴を手に揺らしながら競走した。

 陸上でも、部内で詞とタイムが一番近いのは私だった。だけど私は、中学生になった詞の、100mを走る横顔を知らない。陸上部の大会でも、中学の体育大会でも、同じ号砲を聞いて走り出した詞は、いつも私の前にいる。なんの因果か、出席番号も「浅田」の方が前で、背の順でも、1センチだけ小さい詞の方が、私の前にいた。

ライバルというには、自分よりほんの少しだけ小さい背中と、空色のスパイクの裏を、私は見慣れすぎている。


 関西に引っ越すことが決まっていた詞とは、中学を卒業するとき、「インターハイで会おうね」なんて大きなことを言っていたことを、よく覚えている。

 中学最後の大会で関東大会決勝まで進んだ詞はともかく、県大会の準決勝で涙をのみ、決勝にも進めなかった私のインターハイ出場は、客観的に見れば、けっこう厳しい目標だったと思うけど、詞となら、できるような気がしていた。


 だけど、現実はそんなに甘くない。私は、全国どころか、県大会にもなかなか進めなかった。3年にして初めて挑んだ県予選でも、0.1秒の差で決勝に進むことができず、選手としての私の高校陸上は、5月に終わった。

 男子の4×100mリレーと、女子のエース、去年からクラスも一緒で、高校で一番仲が良い「ミッチー」こと永岡未知が1500m走で県大会を突破し、関東大会に駒を進めたので、県立羽山高校陸上部のメンバーとして、私はその日、応援のために競技場にいた。

 6月のくせに雲一つない、バカみたいに晴れた日だった。澄んだ水色の空の下、空色のタータンの上で、男子リレーチームの夏が終わり、ミッチーの高校陸上も終わった。本人たちの健闘と涙に、私も、出場していないほかの部員も、顧問の先生も泣いた。

 同じ日、詞が死んだ。病気だったと、親伝いに後から知らされた。私はバカみたいに何も知らなくて、全然別のことで泣いたり、「夏休み、海行かない?」なんてメッセージを送ったりしていた。

 お葬式には、写真でしか見たことのない制服を着た生徒たちがたくさんいた。両親と一緒に関西に行き、作法を教えてもらって、お焼香をあげた。お別れの儀式は済んだのに、気持ちはちっともお別れなんてできなくて、知らないうちに親友を亡くした私は、自分の半分が死んだような最悪の気分の中、部屋に閉じこもって、意味のない行動を繰り返していた。

 

◇◇◇


 部屋が少し明るい。カーテンの隙間から、日差しが差し込んでいる。半分くらい食べられなかった夕食と、惰性で浴びたシャワーの後、ベッドに寝転がり、部屋でスマホを眺めていたところで昨日の記憶が終わっている。

 寝る準備をした覚えがないのに、電気が消えていて、タオルケットが体にかかっている。お母さんだろうか。アラームがオンになっていない目覚まし時計は、10時20分を指していた。選手として引退してからも、休みの日でも7時には起きてランニングに行っていたのに、3時間以上も寝過ごしてしまっている。起きていたって、走る気になんてなれやしないだろうけど。

 スマホを見る。メッセージアプリの未読は7件あって、少し期待する。4件は公式アカウントからだ。残りは部活の友達と、お母さん。当たり前だけど、詞からの返信はない。

 詞の葬式のために関西に行っていた日以外、学校は休んでいない。休みも、体調が悪かったからということにしているので、高校からの付き合いの部活仲間は、私の小中時代の親友がいなくなったことを知らない。

 だけど、特に仲の良かったミッチーなんかはちょっと鋭い。金曜も学校で「葵、なんかあった?」なんて訊かれた。「え?別になにもないよ?」なんて返したけど、「日曜家行くから」「昼食べたら連絡するね」なんて選択権を与えないメッセージを送ってくるあたり、「なんかあった」ことは多分バレてる。

 ミッチーは私の家を知っている。陸部の副キャプテンで、長距離で関東予選に出たミッチーは、ユニフォームを着ていないときでも、その行動力と粘り強さ、あきらめの悪さに定評がある。あの子は来ると言ったら来る。既読を付けてしまったし、昼過ぎまで寝たふりはできない。

 お母さんの方は、「食欲ないかもしれないけど、起きたらリビングに来て、テーブルの上を見てください」というメッセージだった。

 重い体を無理やり動かしてリビングに向かう。テーブルの上を見ると、メモと、茶色い封筒があった。



  葵へ


 お父さんは仕事、お母さんは買い物に行ってきます。お父さんは7時、お母さんはお昼くらいに帰ってくる予定です。

 昨日の残り物だけど、冷蔵庫の中におかずがあります。食べられる分だけでいいので、少しでも食べてください。


 P.S.葵宛に朝、手紙が届いていたので、このメモと一緒に置いておきます。


 心配、されている。親友が死んで、日課だったランニングもやめて。受験生だというのに全然勉強しない娘を、お母さんもお父さんも叱れない。葬式の日は一緒に車で移動して、色々聴いてもらった。両親は、部屋にこもる私を気にかけている。部屋の前まで、毎日声をかけに来る。タオルケットのこともそうだ。いつまでも心配をかけてはいられない。わかっている。わかっているけど。


 手紙の方は、心当たりがない。誰からだろうと裏を見て、「浅田詞」の文字が目に入り、驚きで一瞬、手が止まった。

 我に返り、慌てて封筒を開く。出てきた空色の便箋に書かれた文字は、丸っぽくて女の子らしい、よく知っている詞の字だ。



 葵へ

 

 小学校で初めて会って以来、9年間、いつも一緒だった葵とは、早いものでもう10年以上の付き合いになりました。

 卒業してからも連絡は取っていたけど、手紙は初めてだよね。なんだか変な感じです。

 そのせいで、なんだかちょっとかしこまった書き出しをしてしまいました。結婚式で親戚のおじさんが読み上げそうな導入になってしまったことをお詫びします。

 お詫びと言えば、葵に謝らなければいけないことが2つもあります。

 一つ目、こっちに来る前、「インターハイで会おうね」って約束したよね。でもごめんなさい。私は、インターハイには行けません。

 高校でも陸上部に入って自分で言うのもなんだけど、1年目から府大会に出たり、結構いい成績を出したりして、「私結構いけるじゃん」なーんて、ちょっと調子に乗っていました。この調子なら、2年で近畿、3年ではインターハイに出て、葵と会えるなって。

 でも去年、なんだか体調がよくなくて、成績が上がらなくて。夏休みに検査に行って病気が見つかりました。余命1年だって。冗談じゃないよね。走るどころじゃなくなっちゃった。

 高校最後のインターハイは、病室で過ごすことになりました。トラックには行けません。だから、インターハイに出られないのは、ずっと前に決まってた。言えなくてごめん。

 病気のこと、黙っててごめんなさい。言わなきゃ、言わなきゃ、って思ってたんだけど、葵には言えなかった。5月に葵から「ごめん、インターハイ行けない」って、メッセージをもらったときは言い出すチャンスかもって、本当に、すごく迷ったけど、言えなかった。

 私ね、葵のメッセージを見て、「覚えてくれてたんだ」って嬉しかったんだよね。もう私がインターハイに行けないのは決まってたから、「インターハイで会えない」って悔しさより、約束を覚えてくれてたことの喜びが勝っちゃって。葵は悔しい思いをしてるのに、ヒドいって?それくらいは許してほしいな、ほら、病人だし。


 謝り終えたところで、最後に私から一つだけ、葵にお願いがあります。

 私が死んだって聞いて葵は、落ち込んでると思います。もう10年以上の付き合いだから、葵が私のことを想って泣いてくれるのは確信できる。

 家族以外にもそう思える人がいるっていうのは、多分、とっても幸せなことだよね。それで、ここからがお願いです。

 

 葵には、これからも走り続けてほしい。


 葵は多分、部活を引退しても、毎日走るようなランニングバカだよね。

 小中ずっと一緒にいたからわかります。勝ち負けとかもそうだけど、それ以上に、走るのが大好きだって。

 でも、杞憂だといいんだけど、葵は今、自暴自棄になって、走るのをやめたり、受験生だっていうのに勉強してなかったりするんじゃないかなって心配です。なんでそう思うのかっていうと、私が逆の立場だったら、たぶん、そうなるから。

 ……私の立場で言うとすごい傲慢な感じがするけど、まあいいや(笑)

 

 親友として、葵には葵らしくいてほしい。

 走ることは全てじゃないけど、私たちみたいなランニングバカは、どんなことがあっても、走ってさえいれば、その間は、私たちらしくいられると思うんだ。

 

 いつまでもふさぎ込んで座っているなんて、私たちらしくないよね。

 だから、お願いです。短距離じゃなくても、競技じゃなくても、葵は葵らしく、走り続けてください。そして時々、私のことを思い出してくれたらうれしいな。

 思いっきり走り終えたら、天国で、色々な話をしましょう。しわくちゃのおばあちゃんになった葵の話、楽しみにしています。お元気で。


                           人生最大のライバルより




 詞はずるい。病気のことをずっと黙っていたのも、自分は全然元気じゃないくせに「お元気で」なんて言っちゃうのも、自分勝手だ。親友にここまで言わせておいて、私は走らないわけにはいかない。

 冷蔵庫から取り出したおかずをチンして、パンと水と一緒にかきこむ。どれもいつもより塩辛い。


 チャイムが鳴る。出て行って、ミッチーに一言、声をかけた。


「走ろう」


小中の親友とよく遊んだ道を、高校の親友と一緒に、スニーカーで思い切り駆ける。空は今日も、バカみたいに晴れている。アスファルトにこぼれた水滴が、きらりと輝いた。

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