第2話

 勇者はいつか旅立った自分の部屋で目を覚ました。


 上半身を起こすと、木のベッドが軋む音がした。


 窓からは朝の日が差し込む。外では小鳥が鳴いている。


 勇者はベッドから転がり落ちると慌てて鏡を覗き込んだ。


 気怠そうな顔、ろくに手入れもされていないボサボサのピンク髪。

 

 間違いない。旅に出る日の朝に戻ってきたようだ。


「本当に戻ってきてる……」


 だが、巻き戻ってしまったのならば仕方がない。もう一度やるまでだ。


「やるぞ。あたしはやる」


 今日の日に向けてシミュレートは何度もしてきた。


 決意を固めると、鏡に映った顔が凛々しい面立ちになる。普段が緩みきった表情をしているだけで、真顔だとそこそこ美形なのだ。


 勇者は前日の夜に準備していた革の鎧と木の剣を手際よく装備した。この日のためにシミュレーションを繰り返したのだ。この動作だけなら目をつむっていてもできる。


 いくつかの薬草と毒消しが入った布袋を持つ。


 所持金は500Gのみ。これを使って最初の町の武器屋で鉄の剣を買う。


 完璧な計画だ。


 持ち物を確認すると、勇者は自室を出た。


「あら、レジーナ。今日はいよいよ旅に出る日ね。あなたならきっと魔王を倒せるわ」


 母親が声をかけてきてくれるが、やはり全てが一度聞いたことのある言葉だ。ほどほどに聞き流す。時間が巻き戻っているのならば、わざわざ聞く必要もないだろう。


「お父さんもきっとこの日を喜んでいるわ」


「はいはい」


「旅に出る前に村の人たちにも挨拶していきなさいね」


「うぃっす」


「そういえばトーヤくんが待っているわよ」


「トーヤって……誰?」


 勇者――レジーナは当惑した。


 前回と全て同じかと思っていたら早速聞き覚えのない名前が登場した。不確定要素だ。


「何言ってるの。トーヤくんはあなたの幼馴染じゃない」


 母は笑って言うが、レジーナには友達の一人もいないのだ。異性の幼馴染などいるはずもない。


「トーヤくん、表で待っているわよ。早く行ってあげなさい」


「いや、だから誰だよ……」


 レジーナは懐の短刀を握りながら家の玄関へと向かった。旅に出る前に自分を始末しようと魔王が手先を寄越したのだろうか。あの性格の悪い魔王ならばやりかねない。


 もしそうならば、この場で始末するほかない。


「国王から報奨金をもらい、資産運用と個人年金で残りの人生を豊かに過ごすというあたしの夢。邪魔させてなるものか……」


 震える手で家のドアを開ける。すると、そこに立っていたのは黒いローブ姿の青年だった。


 素朴だがハンサムな顔立ちだ。簡素な杖を携え、退屈そうに欠伸などしている。


「よお。今日は旅に出る日だろ。俺も魔王討伐の旅に連れていってくれよ」


「誰だ」


「酷えな。幼馴染の顔を忘れちまったのかよ。俺だよ。トーヤだよ」


「いや、あたしに幼馴染とかいないけど……」


 トーヤと名乗った青年は顔を近付けてくる。


「時間を巻き戻すついでに歴史を少し改変させてもらった。お前の旅に最初から同行するにはこの方が都合がいいからな」


 勇者は懐の短刀を取り出すと、青年の首をかっ斬ろうとする!


「魔王! 今ここで死ね!」


 トーヤは咄嗟とっさに片手をかざして、火炎魔法を放った!


 赤い火球によってレジーナの体が吹き飛ばされ、家のドアに叩きつけられる!


「ウギャーッ!?」


「学習能力ゼロ女!」


 腕組みをしたトーヤは地面を転げ回る少女を見下ろす。


「旅に出てすらいないお前が! 私に勝てるわけがないだろうが!」


「何が目的だ、お前……」


 レジーナは地面にうずくまったまま苦しげにうめく。


「お前が勇者としてあまりにダメすぎるからだ。この魔王が直々にかつて聞きかじった勇者の基礎というやつを教えてやる」


「お、お節介すぎる……!」


「すごい音がしたけどあなたたち大丈夫……?」


 その時、爆音を気にかけたのか、レジーナの母親が顔を出した。


「大丈夫ですよ。気にしないでください、おばさん。こいつ、ちょっとはしゃいでコケちまって」


 即座にトーヤはにこやかな笑顔を作る。


「ほら、起きろって。旅に出る前からこんなんじゃあ先が思いやられるぞ」


「気持ち悪っ。何、その口調」


 レジーナはドン引きしながらトーヤの差し伸べた手をつかんだ。


「それじゃあ、おばさん。俺たち、行ってきますんで。こいつのことは任せてくださいよ!」


「気を付けて行ってくるのよ、あなたたち」


「何だ、これ。何なんだ、これは」


 レジーナは魔王を伴って旅に出発した。困惑と憂鬱の旅立ちだった。


 見送りをしていたレジーナの母の姿が見えなくなったことを確かめると、トーヤは口を開いた。


「と、いうわけでここがお前の旅の始まりだった故郷の村だな」


「あたしの旅立ち、こんなんじゃなかったんだけど。お前のせいだ」


「いいから。とりあえずお前のやりたいように旅を進めてみるといい。何かあったら横から口を出す」


「そう。じゃあ、ついてくるなら勝手についてきてね」


 言うが早いか、レジーナは走り出した。


「えっ、何?」


 レジーナの走る速度は常軌を逸していた。とても旅をするような速さではない。


 無言。そして、ストイックな表情。


 走る姿勢も無駄がなく、安定している。


 時折、水分補給をしながらレジーナは最初の町を目指して平原を走った。


 飛び出してくる魔物は避け、話しかけてくる通行人も避け、落ちているアイテムも避ける。


 レジーナはひたすらに走った。


 魔王を倒す。


 ただその目的のために。


 一心不乱に走るその姿はどこか神々しくすらあった。


「待て待て待て!」


 突如として飛来する火炎魔法!


 赤い火球によってレジーナの体が吹き飛ばされる!


  レジーナの体は速度がついていた分、すごい距離を滑空して草むらに突っ込んだ!


 憤怒の表情を浮かべたレジーナが草むらから這い出してくる!


「何をする!?」


「こっちの台詞だよ! 何あのマラソン選手みたいな無駄のない動き!?」


「最速で魔王を倒すためには、ああやって走るのが一番。馬を奪えるところまで行ったら奪った馬に乗る」


「まずそのタイムアタックみたいな姿勢をやめろ! そして馬は奪うな!」


「何だと……」


 レジーナは思わずムッとする。


「魔王を倒すのがあたしの最優先事項だ!」


「旅なの、これは! 旅をしなさい!」


 トーヤはレジーナを引っ張り、村の境まで連れ戻す。


「やめろー! 元の場所に戻るなんて効率の悪いことしたくない!」


「観念しろ!」


 村の入口に来ると立っていた農民に声をかけ、トーヤは笑いかけた。


 そして、入口から改めて村を一望する。四軒の小さな家。畑では、若い苗が優しく風に揺れていた。村の中央の井戸では、水を汲んでいる人がいる。桶に溜まった水は白く光っていた。


「いい村じゃないか」


「何もない村だよ」


「故郷をあまり悪く言うものじゃない。よし、とりあえず村の人たち全員に話しかけてこい」


「何のために!?」


 レジーナは驚愕のあまり跳び上がる。


「村や町にいる人には全員に話しかけるのが旅の基本だ」


「理由になってないし……」


「いいから早く言ってこい。お前の家以外には三軒しか家がないんだし、そんなに時間はかからないだろ」


「しょうがないなぁ」


 言うが早いかレジーナは走り出した。彼女の走る速度は常軌を逸していた。とても人に話しかけるような速さではない。


「こんにちは!」


 村の入口に立っている人に声をかけたかと思うと、井戸で水を汲んでいた村人に全速力で駆け寄ていく。


 水桶を持っていた村人はぎょっとして動きを止めていた。


「こんにちは!」


「あ、ああ。こんにちは……」


 レジーナは走る速度を少しも緩めずに近くの民家に向かう。民家の前にたどり着くと、走りながら戸を開けて屋内に向かって叫んだ。


「こんにちは!」


 叫ぶと同時にドアを閉める。これで、速度を殺すことなく次の家に向けて走ることができる。二人の村人と一軒の家はなんなくクリアーだ。


「次ッ!」


「待て待て待て!」


 突如として飛来する火炎魔法!


 赤い火球によってレジーナの体が吹き飛ばされる!


 レジーナの体は速度がついていた分、すごい距離を滑空して畑に突っ込んだ!


 憤怒の表情を浮かべたレジーナが畑から這い出してくる!


「いちいち魔法を撃つのをやめろ、アホ! 命がいくつあっても足りんわ!」


「アホはお前だ! さっきからいったい何をしてるんだ!」


「何って、最短で村人全員に話しかけようとしただけだが。あたし、また何かやっちゃいました?」


 レジーナはとぼけた顔で答えた。トーヤは怒りで肩を震わせる。


「全速力でダッシュしながら人に話しかける奴があるか! さっきの民家なんて不審者に怒鳴りつけられただけの一日だろ!」


「わざわざ足を止めろってこと!? じ、時間の無駄~!」


 レジーナは手足をばたつかせる。


「駄々をこねるな。私もついていくから、もう一回話しかけて回るぞ!」


「何なの、これ。遠回しにあたしの旅を邪魔してる!?」


「邪魔なものか。ほら、行くぞ! まずはあの村の入口にいる人からだ!」


「たいして話したこともない赤の他人と話題なんてないんですけど。天気の話か湿度の話しかできないよ~」


 レジーナはトーヤに引きずられながら村人たちと挨拶を交わし、二、三言会話をした。


 狭い村だが、全ての人と話をして一周するとなるとやはり小一時間ほどの時間が経っていた。


「やっぱすごいタイムロスじゃん。無駄の極致~! 嘲笑してやろ」


 レジーナはトーヤを指差して嘲笑した。


 トーヤはゲラゲラ笑う少女を無視して言う。


「それで、村の人たちと話してみてどうだった?」


「……どうって?」


 レジーナは笑い止んだ。


「何を言われた?」


「魔王を倒しに行くって言ったらなんかすごい応援された」


「多少は嬉しい気持ちになったろ」


「それはまあ。なった」


 レジーナは何度か頷いた。


「じゃあ、お前の小一時間は無駄じゃなかったってことだ。よかったな」


「……してやられたようで、すごく癪だが」


 レジーナは不満げな顔で腕を組む。しかし、その声はどことなく嬉しげだ。


「お前、あたしにこういうことをさせたいわけ?」


「さあね」


 言葉を濁すトーヤもどこか満足げだった。


 レジーナは黙ったまま少し考え込んだ。


「……あたし、今まで友達っていなかったからさぁ」


 レジーナはトーヤの顔を見ずに言う。


「何だ、いきなり」


「いいから聞けよ。あんたみたいな変なのでも幼馴染がいるのってさ……」


「あ、ちょっと待ってろよ」


 と、トーヤはレジーナの言葉を遮って黒いローブを脱ぎ始める。


「上着、持っていてくれ。この井戸、気になってたんだよな」


「なんでいきなり脱ぎ始めてんの?」


 上着を預けると、トーヤは思い切り井戸に飛び込んだ! 水飛沫みずしぶきが上がる!


「ウワーッ!? キチガイ!」


 レジーナは悲鳴をあげる!


「ギャーッ!? キチガイ!」


 井戸水を汲んでいた村人も悲鳴をあげた!


 しばらく水に潜っていたトーヤはやがてキラリと光る硬貨のようなものをつかんで浮かんできた。


「やっぱりあった。こういう場所にはよくアイテムが落ちてたりするんだよな」


 水に濡れたトーヤは銀色のメダルのようなものをレジーナに放って寄越よこした。


「ほら、やるよ」


「な、何これ」


「何かのメダルかな。どこかで使える機会があるかもしれないし、集めておくといい」


「いらねえ。魔王を倒すのにクソほども役に立たなさそう」


 トーヤは井戸の縁をつかんで這い出てくる。大量の水がしたたり落ちて、地面をらした。


 井戸のそばにいた村人は恐れおののき、音を立てないようにして静かに立ち去っていった。


「お前も次にこういう場所を見かけたら、何か落ちてないか探してみるといい」


「頭おかしいよ、こいつ!」


「何を言う。こういったことが勇者にとっての基礎なんだ」


 レジーナは悲鳴をあげながら走り出した。


「い、嫌だ! あたしに近寄らないでくれ!」


「待て! お前一人だと何を仕出しでかすか分からん!」


 全身ズブ濡れになった青年が少女を追いかけていく。


 薄緑色の畑を横切って少女と青年は駆ける。


 空には千切れた雲が浮かぶ。日はすっかり高くなっていた。

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魔王が教える勇者入門 すかいはい @zhengtai13

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