帆布夏帆

 「今日の天気は晴れ、気温は昨日より二度高い三十六度です。熱中症には十分に気をつけて…」

 テレビではショートカットの綺麗なアナウンサーが今日の天気を伝えていた。朝から昼頃のことを想像して嫌気が差すわたしの気持ちにもなってくれとも思うが、部屋の温度計は朝の九時で既に三十度を超えていて、あと数度しか上がらないのかと思うと、耐えられそうな気もしていた。

 今日は、お昼前ぐらいから友人と出かける約束をしているのだ。


「暑いから、かき氷食べに行こう」


 数日前、友人からの連絡は、毎日茹だるような暑さで心身ともに疲弊していたわたしにとっては、ありがたいものだった。というのも、ここ2週間ぐらいは知り合いに会っていない。わたしは友人関係を広く浅くもつタイプだったので、夏休みに入る前までは大学の友人とは授業のことなどで連絡は取っていたが、大学が夏休みに入ってからというもの、その必要もなくなり、スマホが鳴っても大体がどこからのメールマガジンで、ラインの通知音が鳴ることはあまりなくなっていた。そもそもわたしから連絡しないのがいけないこともわかっていた。きっと、一通、会おうよと連絡すれば、誰かしら返信してくれるはずだ。どうせ大学生の夏休みなんて、異性関係か、バイトか、旅行。ちょっとおしゃれに過ごせたら、SNSで報告する。そんなことしかしていない。つまりは人生で一番アホである。それでもわたしが友人に連絡をしなかった理由は、外出が面倒だったからだ。こんな暑い中頻繁に外になど出ていたら、倒れてしまう。夏休みとはきっと、暑すぎて授業に集中できないから、いったん小休憩を挟むためにある。ともなれば、外に出るのは間違っている。暑すぎて危険だからだ。

 だが、さすがに人に会わない日が続き、しんどくなってきて、誰かと会って話すことで、自分が保たれていたのだと感じていた矢先の連絡だったから、どんなに腰が重いわたしでも、すぐに返事をしていた。


「いいよ。どこへ行く?」


 わたしの住んでいる地域に、かき氷屋さんがある。わたしが住み始める少し前から、その喫茶店でかき氷を始めたらしく、それがなかなかの評判だった。それなりに種類もあって、最近流行しているふわふわした、口に入れると溶けるタイプのかき氷。駅の反対側だが、仕方ない。もっと遠くの方でも有名なところはあるが、なんせ暑い。なるべくなら近くで済ませたいと思っていたところだったから、友人がその場所を指定してきて少しほっとした。

 この友人というのが少し複雑で、大学で毎日一緒にいるような仲ではない。そもそも彼はわたしが距離を置いてしまうような少し派手なグループにいて、授業でも常に後ろの方に座り、あまり注意しない教授の授業では、同じグループの友人とこそこそ話していたり、スマホを机の下に隠して誰かと連絡を取り合っていて、その連絡を取り合っている相手というのも、どうせ女の子だろうと想像ができてしまいそうな、そんな人だった。

 なぜそんなわたしがこんな彼と連絡を取り合うようになったのかというと、一ヶ月くらい前に遡る。

 わたしはバイト先の飲み会があって、その日は酷く酔ってしまっていた。バイト先の最寄りの駅から少し歩いたところに、チェーン店の居酒屋があり、そこで開かれていたのだが、暑くなってきていて疲れも溜まっていたのか、一気に酔いが回ってしまっていた。普段数杯飲むくらいでは悪酔しないので、バイト仲間も驚いていた。途中から頭痛もしてきたため、通常であれば二次会、三次会と参加するのだが、一次会で切り上げてバイト先の最寄り駅のホームで座り、自販機で買った水を飲もうとペットボトルを開けようとしたのだが開かない。元々わたしは握力が恐ろしく弱い。それでいて酔っていたので、力が入らなくなっていたのだ。ハンカチで蓋部分を押さえて回せば開くのだが、この時に限ってなぜかそういうものは忘れる。水が飲みたい。目の前に餌があるのに、永遠に飼い主が待てをさせてくる犬の気持ちだ。しばらく悪戦苦闘している時だった。そこに現れたのが彼だった。

「あ、僕、開けましょうか。」

 そう言われ、顔を上げると、彼がいた。大学で悪目立ちしていた彼は、話したことがないわたしでも顔くらいは知っていた。彼はきっとわたしのことなんて知らないだろう。わたしはなるべく目立たないように、こそこそ生活をしているのだから。それにわたしは彼のことは得意ではなかったから、手伝ってもらうことに気が引けたが、背に腹は替えられない。

「すみません、お願いしていいですか。」

 そう言ってペットボトルを渡すと、彼はいとも簡単に開けてしまった。それはそうだ。こんなの開かないなんて、か弱いふりをして、男に構ってほしい女みたいで恥ずかしかった。

「いつもは開くんですけど、今日ちょっと調子悪くて。ありがとうございました。助かりました。」

 彼は、ペットボトルを受け取ったわたしの顔をじっと見つめた。わたし変な顔したかな。髪型が変とか、まさかさっき食べていたフライドポテトのケチャップが付いているとか・・・。

「あれ、もしかしてどこかであったことありますか。」

ばれた。いや、まだバレてはいない。そんなことないですよとかわすこともできる。かわそう。わたしの平穏な大学生活に入ってこないでくれ。

「いや、多分初めましてだと思います。新手のナンパですか。」

「ナンパではないですけど、可愛いなとは思いました。連絡先聞いてもいいですか。」

 ほらな、やっぱりそうだ。彼はこうやって女を探しては、遊んで、飽きたら捨てるタイプだ。それならこっちも真っ向勝負だ。実は同じ大学だった現実を突きつけてやる。

「ごめん。はじめましては、嘘。君、わたしと同じ大学のひとだよね。授業中に割とガヤガヤしてるでしょ。」

そういうと彼は隣の椅子に座ってきた。わたしの顔を見るなりニコニコして、

「やっぱりか。僕もごめん。ナンパは嘘だよ。それから授業中のこともごめん。」

 と言ってきたのだった。負けた。そもそも常に人とコミュニケーションを取っていて、話慣れている人なのだから、駆け引きや話し方がうまいことを理解しておくべきだった。ペットボトルが開けられなかったことと、嘘をついてしまったのを見抜かれたこと。なんだか恥ずかしくて何も言えなくなってしまったわたしに、彼が続けた。

「名前、なんだっけ。僕、林。」

「藤田。」

「藤田か。覚えておこう。」

「そう言えば、自分のこと僕っていうの珍しいね。雰囲気で判断するの申し訳ないけど、俺っていうかと思った。」

 彼は照れ臭そうに笑った。左だけにある八重歯がチラッと見えた。

「そうそう、なんか、小さい頃からのクセがぬけなくてさ、周りは俺になっていくのに、僕だけ僕のままで、途中で恥ずかしくて変えようとしたんだけど、変えられなかったんだ。俺っていう方が自分を無理にかっこよく見せようっていう感じがして、変えられなくて。でもこの歳になってやっぱり思うけど変だよね。」

 わたしは首を横に振った。変ではない、というか何も考えず毎日過ごしていそうな感じなのに驚いた。最初の印象が悪い人は、あとからいい印象が会った時、過剰になってしまうから好きになりやすいと本で読んだことがあったので、わたしは身構えた。自分のことについて考えることはわたしだってする。みんなもする。普通だ。

「変じゃないよ。誠実な感じがしていいと思う。」

「でも僕見た目とか立ち振る舞いというか、雰囲気がこんな感じじゃん。だから、変えないと変じゃないかな。」

「そうかな。それで他の人とうまくいかないっていうなら変えなきゃいけないけど、でも、それは無理に変えなくてもいいところだと思うよ。誰にも迷惑かけてないでしょ。」

「そうだけど女の子からしたら、気持ち悪かったりしないの。」

なんて心配性なんだろう。大学であんな態度をしていても、人にどう見られるかが本当は怖いんだというのがすぐにわかった。

「大丈夫だよ。そんな小さなことでいちいち言ってくる人なんてわたしは嫌。というか、そういう人と関係を持たなきゃいいんだよ。自分のことを否定して、無理に捻じ曲げてこようとする人なんて、一緒にいて楽しくない。一緒にいて楽しい人と、わたしは一緒にいたい。」

 少しべらべら話し過ぎてしまったと後悔して彼の方を見ると、彼の目は輝いていた。顔に、なるほどと大きく書かれているのが見えた。この人、人に影響されやすいんだ。関わっている人に左右されてしまう人だ。だからきっと他人の顔を伺って、連絡の返信も早くしないと嫌われるのではないかとずっと連絡を取ってしまっているんだ。

「林くんって、授業中スマホいじってるよね。」

「え、ばれてたの。うまいことやってるつもりだったのに。」

「目を開けて下向いてたら、寝てないし。バレるよ。あれ、返信しないと嫌われるって思ってるの?」

「いや、女の子と話していたいから話してる。」

 わたしの予想は間違っていた。いや、でもやっぱり相手は女か。

「そっか。でもほどほどにした方がいいよ。それで癖になって別の授業でやって教授に目をつけられたら大変だからね。」

「大丈夫、僕そういう先生の時は絶対返信しないよう、うまいことやってんの。」

 わたしは、半分呆れて笑った。そして電車がやっときそうだったので、立ち上がった。彼と話して夜風に当たっていたら、すこし酔いが覚めてきた。そのことは感謝しないと。

「そろそろ電車が来そう。ペットボトルありがとう。おかげで酔いも覚めました。わたしこの電車だけど、乗る?」

「あ、いや、僕、人待ってるから乗らない。」女か。「僕も楽しかった。また話そう。」

 少しして、電車が来たので、わたしは乗って、彼とは別れた。実は連絡先はそこでは交換しなかったのだ。電車がくる少しの間、時間はあったけれど彼は聞いてこなかった。連絡先を交換したのは、それから二、三日経って、学食で再会した時だった。

 その時から、彼とわたしの奇妙な間柄は続いていた。その後判明したのは、彼に彼女がいるらしいということだった。彼は頻繁にわたしの部屋に遊びに来たが、どこかへふらっと出かけて行く時があった。その時の嬉しそうな顔。あれはきっと、好きな人に会いに行くときの顔だ。実家にいた頃、わたしの妹も、よくあんな顔をしてそわそわとリビングと自分の部屋を行ったりきたりしている時があった。

 彼はわたしの部屋に遊びにはくるが、体の関係はなかった。そもそも手を繋いだり、抱き合ったり、体のどこかが触れ合ったことすらなかった。女友達のように、楽しくおしゃべりをして、映画を見たり、夕飯を一緒に作ったり、それを食べ、たまに泊まる時もあったが、修学旅行のように寝る寸前まで話し、眠りについた。

 男友達といえば聞こえはいいかもしれないが、彼女からしたら完全な浮気相手であることは間違いなかった。男女が二人きりの空間でいたら、普通の人は、することはもう済ませていると思うだろう。もちろんわたしだって、欲くらいはある。彼が酔って帰ってきて、床に大の字で寝ている時に、キスをしてしまおうかと考えたこともある。だがなんとなく、決行する勇気は出なかった。きっとわたしもこういう関係が一番安定していると思っていたのだろう。壊してしまって、二度と会えなくなるなら、この関係でいい。そもそも彼のことをわたしは好きなのだろうか。キスをした先の関係に、責任を持てなかった。これで、なんとなくキスしたと言えば、わたしは、わたしが嫌いな人種に自らなろうとしているということになる。だから、このぬるいくてゆるいおかしな関係でいいと思っていた。


 わたしが駅について、少しすると彼はやってきた。風に吹かれて分かれた前髪から覗く額に、少し汗が見えた。

「遅くなってごめん。電車少し遅延してた。」

「数分でしょ。大丈夫だよ。わたしもさっき着いたところ。もう早く涼みたい、行こう。」

 お店に着くまでの間、私たちはいつも通りの他愛もない会話をした。天気の話、小さい頃のお盆のブドウの味が忘れられない話。。電車に乗った時に電車の中に虫が入ってきて、彼は虫が嫌いだから、こっちに来ないでと願ったけれど、来そうになったり離れたりを繰り返しているのが耐えられなくなって、車両を変えた話。彼と話していると時間を忘れられた。

 お店に着くと、もうすでに3組ほど並んでいた。混むのはわかっていたので、開店する少し前についたのに。店内は、狭いため、4、5組ぐらいしか一気に通せないようになっていたので、ギリギリ呼ばれるだろう。よかった。私たちの後にすぐ二組ほどが並んだ。

 時間になり、店内に通された。ひんやりとした店内は、木をベースにしたシンプルな装飾で、お店の端に大きな観葉植物が置いてあるだけで、他は、お客用のテーブルと机が、少し置いてあるだけだった。各テーブルの上には、紙ナプキンが準備されている。ただ、置いてあるのはそれだけ。注文してから席につくスタイルなので、メニュー表などは置いていなかった。

 彼は、苺と練乳のかき氷を頼んだ。わたしは、フルーツがたくさんのったミルクのソースがかかったかき氷。

「僕、かき氷は昔から、いちごって決まってるんだよね。」

 彼はお店に着くまでの間、そんな話もしていた。彼は、失敗が怖いそうで普段決まったメニューを頼むことが多いらしい。他のものも苺と練乳のかき氷くらいには美味しいのだから、一度食べてみたらいいのにというと、でも結局は苺と練乳のかき氷の代わりを頼んでいるから、頼んだ他のものを食べながら、苺と練乳のかき氷を思い出してしまうというのだ。意外と面倒な男なのだ。

 五分くらい待つと私たちの目の前に、器に山ほど盛られたかき氷が届けられた。思わず写真を撮る。けれどゆっくりはしていられない。もたもたしていると溶けてしまうから、素早く一枚だけぶれないように、きちんとした構図になるように細心の注意を払って、撮影をし、スマホをテーブルにおいた。

「さて、食べよう。」

 待ちに待ったかき氷は、口の中に入れてはすぐに溶け、また入れては溶けた。ひんやりとした水になったかき氷が、喉を伝って、食道を通って胃に落ちてくのがわかった。色とりどりのフルーツは、表面に乗っているだけではなく、かき氷の中の方にも仕込まれていることが分かり、わたしは胸が高鳴った。少しずつ溶けて行くかき氷を、追うように食べ進めた。溶け切ってしまう前になるべく食べてやる。かき氷とわたしとの時間の戦いだ。お互いかき氷に夢中で、わたしと彼に会話はなかった。

 わたしは聞きたいこともたくさんあった。彼とは大学が終わってから連絡が取れておらず、家にも来なかった。この間何をしていたの、新しく女でもできたの。色で言えば、黒っぽい、そんな感情が湧き出てきていたが、彼から連絡が来たこと、今までと変わらず待ち合わせをしたこと、何よりかき氷を二人で無言で食べ進めているこの空間が少しずつ浄化していってくれていた気がした。

 わたしはきっと彼のことが好きだ。私たちの関係が今後どう変化して行くのかは、わからない。かき氷みたいに、溶けてなくなってしまうかもしれない。まるで、そこに何なかったかのように、水になって、蒸発して、空っぽの器だけになるのかもしれない。それでも、わたしの記憶の中には、鮮明に彼がそこにいる。きっとそこにかき氷があったと記憶しているように、いつかこのことをそっと思い出す時が来るのだろう。と久しぶりに会えたからか、一人でしんみりとしてしまった。ポエマーみたいで気持ちが悪い。


 「それじゃ、帰ろうかな。」

 わたしの部屋に泊まらず帰る時は、彼からそう切り出すことが多かった。わたしは特に明日の予定があるのかとか、そういうことは聞かない。聞くと相手を縛っているようで自分も嫌になるからだ。

「そうしよう。かき氷、おいしかったね。久しぶりに食べた。」

「昔は少し食べたぐらいじゃ、頭痛いなんてなかったのに、なんか頭すぐ痛くなったな。」

「歳だよ、歳。」

 わたしは彼を改札口まで送っていった。こういう時は、なんて言えばいいんだろう。わたしには恋愛の知識がなさ過ぎて、適切な言葉がすぐに出てこない。また会えてよかった。また会いたい。本当は好きだった。大好き。行かないで。付き合おうよ。また連絡してね。ばいばい。頭の中にたくさんのセリフが出ては消えてを繰り返していた。


「じゃ、お疲れい。」

 片手を上げて、改札に向かう彼から出た言葉は、ひどく軽くて、少し怒りを覚えてしまうほどだった。ずっと会えなくて、わたし寂しかったよ。また、セリフが追加された。

「おう、お疲れい。」

 やっと出た言葉は、それだけだった。きっと彼には気持ちは伝わっていない。それこそ、わたしの器の中で、かき氷のように溶けてなくなっていて、彼に届いた頃には、もう器だけになっているのだ。ここにかき氷があったんですよと言われても絶対に分からないだろう。

 けれど、改札に向かう彼にわたしはもう一言何か言おうと息を吸った。

「熱中症には気をつけてね。」

彼は、笑いながら首を縦に振っていた。かすかに八重歯が見える。そうして雑踏の中に消えて行った。わたしはその姿が見えなくなるまで、しばらく改札奥を眺めていた。

 わたしがバイト先に行く時に使う路線と全く違うホームへ上がって行く彼を眺めるのが好きだった。

彼の嘘を見抜いた優越感に浸れたから。その瞬間とあの時をつなげて、また、会えるような気がしていた。

 (さて、わたしも帰ろう。)

アパートに帰ろうと二、三歩歩いたところで、スマホの通知音がなった。



 私たちは、どこまでもアホなのである。


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帆布夏帆 @frog19

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