この恋は実らない

由希

この恋は実らない

 俺には、好きな人がいる。


 昔は、ただ、友達として好きなのだと思っていた。けれど大きくなるに従って、そいつへの「好き」が他とは違う、特別なものなのだと気付いていった。

 正直、戸惑った。けど、一度気付いてしまえばもうどうしようもなくて。

 以来、俺は、告白する勇気もないまま、悶々とした感情を抱え込みながら日々を過ごしている。



「ケイタ、はよ!」


 登校中、突然後ろから肩を叩かれ俺は振り返る。すると、幼馴染みのヨウヘイが立っていた。


「……何か用か?」

「つれねえなぁ。用がなきゃ、友達に声かけちゃいけないのかよ」

「友達じゃなくて、ただの幼馴染みだろ、俺達」

「そう言うなって。一緒の布団で寝た中じゃん」

「いつの話だよ!」


 素っ気なくあしらおうとしても、気が付くと、またヨウヘイのペースに乗せられてしまっている。それが不満な俺の気持ちなんて知らないように、ヨウヘイは当然のように俺の隣を歩き始めた。


 このヨウヘイに、俺はずっと片想いしている。


 初めて自分の想いに気付いた時は、それはもうショックだった。相手は男なのに、とか俺ってゲイだったのか、とか色んな考えがグルグル回った。

 告白なんて、勿論出来る訳がない。まず実る訳がないし、最悪、いじめのネタにされる事だって有り得る。

 俺は自然と、ヨウヘイと距離を置くようになった。一緒にいるのを止めれば、いつかはこの恋心も薄れていくと、そう思ったのだ。

 それなのに――。


「いやー、朝からケイタに会えるなんて今日はついてるなー」


 ヨウヘイと来たら、こっちの気持ちなんかお構いなしに馴れ馴れしく接してくる。どんなに冷たい反応を返しても、まるで懲りる気配がない。

 お陰で、俺は、未だにこの恋を引きずったままでいる――。


「なぁケイタ、駅前に新しいクレープ屋出来たん知ってる?」

「……」

「何か期間限定の、メガ盛りクレープとかあんだってよ」

「……」

「一緒に行かね? どんなのか興味あるじゃん!」

「……女子かよ」

「いーじゃん別に男がクレープ食べたって! 美味いじゃんクレープ」


 なるべく無視を決め込んでみるものの、ヨウヘイの話は尽きる事がない。そうしているうちに、いつの間にか学校に到着してしまっていた。


「おっす、ヨウヘイ!」

「おはよー、ヨウヘイ君!」


 学校に着いた途端、男女問わず色んな奴がヨウヘイに声をかけてくる。ヨウヘイはその一人一人に、陽気に返事を返していく。

 ヨウヘイは、ハッキリ言って人気者だ。先輩後輩、男女も一切問わず、その交友関係は学校の外にまで広がっている。

 だからヨウヘイが俺を友達と呼ぶのにも、決して特別な意味なんてない。俺はヨウヘイにとってただの、大勢いる友達の一人に過ぎない。

 解ってる。――そう、解ってるのに。


「あれ、ケイタ?」


 ヨウヘイが他の友達に構っている間に、俺はヨウヘイを置いていってしまう事にした。……これ以上、嫌な思考に囚われてしまわないように。



 ――神様、どうか、俺に彼を諦めさせて下さい。



 彼のどこが好きか、ともし聞かれたら、何と答えたらいいのだろう。

 顔、は特別美形ではないけど、人並みには整っていてそれでいて人好きのする顔立ちだと思う。まぁ、男の顔なので好みかは解らないが、悪い印象はない。

 性格は、良く言えば分け隔てない、悪く言えば遠慮がない。誰の懐にでも、率先してどんどん飛び込んでいく。

 そこに助けられた事も少なくはないが、一方で、それが酷く煩わしく感じる瞬間もある。少なくとも、無条件で好き、といった感じではない。


 それでも、いつも目で追ってしまう。

 それでも、ずっと側にいたくなる。

 それでも、彼の「特別」になりたいと思ってしまう。

 理由を明確に言葉に出来なくても、結局、彼を好きだというこの想いが消える訳ではないのだ。


 だからこそ、こんなに、苦しいのだ。



「……あれ?」


 靴箱を覗き込んだ俺は、すぐにその異物の存在に気付いた。ピンク色に花柄の、女の子らしさを感じる可愛らしい封筒。

 え? 靴箱に、手紙? ……今時?

 いや違う。論点はそこじゃない。俺に、この俺に……手紙?

 自分で言うのも何だが、俺は決してモテるタイプじゃない。それどころか友達もいない。ぼっちと言ってもいい。

 そんな俺に、手紙? 何かの間違いじゃないか?

 一応宛名が間違ってないか、封筒を手に取って確認してみる。……間違いない。俺の名前が書いてある。

 という事は、これは、正真正銘俺宛てだという事で……あ、動悸がヤバくなってきた。

 好きな相手がいるいないにかかわらず、こういう事態に陥ればドキドキしてしまうのが人間だ。好意を持たれる事に慣れているならともかく、そうでないなら嬉しくならない訳がない。

 それに……もしかしたらこれで、ヨウヘイを諦められるかも……。


「なーに突っ立ってんだ? こんな所で」

「っ!?」


 突然首に腕を回され、我に返る。振り返ると、いつの間にかヨウヘイが追い付いてきていた。


「何だソレ? 手紙?」

「あ……っ」


 混乱している間に、ヨウヘイがサッと俺の手から封筒を奪い取る。そして舐め回すように、ジロジロと眺め始めた。

 不味い、ヨウヘイの事だ、こんなのを見れば盛大にからかわれるに決まって――。


「おい、返せ……」

「付き合うの?」

「え?」

「コレ、マジだったらお前、付き合うの?」


 俺に視線だけを寄越し、ヨウヘイが冷めた表情で言う。その予想外の反応に、俺は思わず戸惑ってしまう。

 ……こんなヨウヘイ、今まで見た事がない。何でヨウヘイは、こんな顔をするんだ?


「……お前には関係ないだろ」


 内心の動揺を悟られないよう努めながら、俺は引ったくるようにして手紙を奪い返す。そしてそのまま、ヨウヘイの顔を見ないようにして足早にその場を去った。


 胸の動悸は、いつまでも鳴り止む事はなかった。



 手紙には簡潔に、「今日の放課後、校舎裏に来て下さい」とだけあった。

 悪戯なのかどうか、流石にこれだけで判断するのは難しい。それでも期待せずにはいられないのが、人間というものだ。

 ――でも。


(……ヨウヘイのあの反応は、一体何だったんだろう)


 俺が手紙を貰ったと知った時のヨウヘイの様子は、明らかにいつもと違った。いつも明るいヨウヘイが、あの時は、妙に不機嫌そうに見えた。

 俺が手紙を貰った事に嫉妬した? まさか。アイツの方が、絶対にモテている筈だ。

 それとも……俺に告白する奴なんかいる訳ないって、内心馬鹿にしていた……?


(そうだったら……ショック、だな)


 好きな奴が、実は自分を見下していた。そんな事、考えたくもない。

 でも……心当たりなんて、本当にそれぐらいしかないんだ。


(……止めよう。今は、放課後の事だけ考えよう)


 考えれば考えるほどドツボに嵌まってしまいそうで、俺はそれ以上ヨウヘイについて考えるのを止めた。



 一日はあっという間に過ぎ去り、問題の放課後がやってきた。

 放課後が近付くにつれ、動悸は嫌でも高まっていき。ずっとソワソワしてばかりの俺は、端から見れば実に怪しかった事だろう。

 悪戯の可能性もある事は、十分に理解してるつもりだが……。やはり期待が先に立ってしまうのは、仕方のない事だと思う。

 ……ヨウヘイはあれから、何も言ってはこない。それどころか、あれ以来俺に全く近付いてこない。

 いつもなら、うるさいくらいに俺に構ってくるのに……。寂しさもあるけどそれ以上に、ヨウヘイを怒らせてしまったという思いが強い。

 ヨウヘイは、怒っている。何故だかは解らないが、それだけは実感出来る。

 こんなのは初めての事で、どうしたらいいか解らない。ヨウヘイは俺の前では、いつだって眩しく笑っていたのに。


 あの手紙が原因でヨウヘイが怒ったというのなら、きっと俺は、呼び出しに応じるべきではないのだろう。それでヨウヘイの怒りが治まるのかは解らないが、きっとこれ以上悪化する事もない。

 けれどこうも思う。これはこの恋に終止符を打つ、最大のチャンスなんじゃないかと。

 このままヨウヘイとの関わりを絶って。あわよくば……手紙の子とも付き合って。

 そうすれば、ヨウヘイの事を、自然と忘れられるんじゃないだろうか――。


 希望的観測を胸に抱えながら俺が校舎裏に着くと、そこには既に先客がいた。

 ショートボブの、ちょっと地味目な女の子が一人。他には、誰の姿も見当たらない。

 だとすれば、あの子が手紙の送り主だろうか。俺は逸る気持ちを抑えながら、女の子に近付いていった。


「あの……」

「!!」


 恐る恐る声をかけると、女の子がビクッと振り返る。眼鏡にそばかすの、いかにも大人しそうな顔立ちの子だ。


「ええと……俺に手紙をくれたのは、君?」

「はっ、はい……一年の水野といいます……」


 一年生か。道理で見た事のない顔だと思った。

 女の子――水野さんは、「あの」とか「ええと」とか言うばかりで、なかなか話を切り出そうとしない。俺は困り果てて、悪いとは思いながらも話の先を促す事にした。


「……それで、何で俺を呼び出したのかな」

「あ、は、はいっ! その……実は……」


 水野さんは顔を真っ赤にして、プルプルと震え出した。そして、俺に向かって、勢い良く頭を下げる。


「……お願いです! ヨウヘイ先輩の好きなタイプを教えて下さいっ……!」

「……ああ」


 成る程、と、ショックより先にストンと納得した。うん。俺が好きで呼び出した、よりも、よっぽど現実的な理由だ。

 正直、こういう事は初めてじゃない。周囲には俺とヨウヘイは大の親友同士に見えるらしく、俺を利用してヨウヘイと仲良くなろうと考える女の子はこれまでにもいたのだ。

 まぁ、面と向かってお願いされたのは、流石に初めてだけど……。


「……君は、ヨウヘイの事が好きなの?」


 俺の問いに、水野さんはコクリと頷いた。眼鏡の向こうの長い睫毛が、細かく震えているのが解る。

 ……そういえば、ヨウヘイの好きなタイプについて考えた事はなかったな。付き合いが多いのは、明るく社交的なタイプだけど。

 意外と、この子みたいなタイプなんて好きなんじゃないかな。ヨウヘイの周囲には、あんまりいないタイプだし。

 そうだ。ヨウヘイに彼女が出来れば、きっと諦めだってつく――。


「そうだな、俺もアイツの好みはあんまり詳しくないけど、良ければ聞いてみるよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、俺で役に立てるなら――」

「ケーイタっ!」


 その時急に響いた声に、俺はドキリとした。顔を上げると、水野さんの肩の向こうに、こっちに近付いてくるヨウヘイの姿が見える。


「っ、ヨウヘイ……!?」

「探したぜー! 一緒に帰る約束したのにいねーんだもん」

「いや、そんな約束した覚えは……っ」


 事実無根の事をベラベラ喋り出すヨウヘイに、俺は戸惑う事しか出来ない。水野さんはと言えば、突然の想い人の登場にすっかり固まってしまっていた。


「あー、そういや手紙貰ったんだっけ? この子がそう?」

「いや、この子は……」


 いつもと同じ調子で、ヨウヘイが俺の隣に立つ。どういうつもりかと俺はヨウヘイの顔を見て――直後に、言葉を失った。


 陽気に笑うヨウヘイの目は、その実、全く笑っていなかった。


「まー、ケイタを選ぶなんて正直見る目あると思うけど。でも悪いな。……だって」


 ヨウヘイの手が、自然な動作で俺の襟首を掴む。予想もしない行動に、俺は反応も出来なくて。

 そして。


 俺の唇に、ヨウヘイの唇が、乱暴に重ねられた。


 思考が、止まった。何が起きたのか、認識はしてるのに、理解は追い付いてない。

 だって、ヨウヘイが、あのヨウヘイが、俺にキ――。


「……コイツ、俺のモンだから。だから誰にもやらねえ」


 唇を離し、挑発的にヨウヘイが嗤う。水野さんは暫く固まっていたけど、やがて目に涙を溜め、どこかに走り去ってしまった。


「何だ、呆気ねえの」


 走り去る水野さんの姿を、無表情で見送るヨウヘイ。そんなヨウヘイに、気付けば、俺は掴みかかっていた。


「っ、どういうつもりだ!」

「どういうつもりも何も、本当の事を言っただけだけど」

「何訳の解らない事を言って……第一あの子が好きなのは俺じゃなくて、お前だったんだ! それを……!」


 許せなかった。いくらヨウヘイの事が好きでも。純粋な想いをあんな形で踏みにじって、悪びれもしないその態度が。

 俺の剣幕にも、ヨウヘイは表情一つ変える事はなく。それどころか、不機嫌さを隠さない低い声で言い放った。


「何、俺よりあの女の肩持つの? お前、自分の立場解ってなくない?」

「……っ」


 横暴がすぎる言葉に、全身が固まる。ヨウヘイは……何を言ってるんだ?

 こんなヨウヘイ、俺は知らない。俺の知ってるヨウヘイは、誰にでも平等に接して……。


「この際だから、ハッキリ解らせてやるよ、ケイタ」

「づっ……!」


 両の手首を掴まれ、強い力で壁に押し付けられる。衝撃と痛みで、一瞬、思考が完全に止まった。

 直後。


「んぅっ……!」


 再び、唇を唇で塞がれた。今度は触れるだけでは終わらず、下を唇の隙間に強引にねじ込んでくる。

 無理矢理に侵入し、口内を蹂躙していくヨウヘイの舌。こんなのは嫌な筈なのに、どんどん体は火照り、思考は息苦しさに霞がかっていく。

 何で。何でこんな事になってるんだ。どうして……。


「……は……っ」


 どのくらいそうしていたのか、満足した笑みを浮かべながらヨウヘイがゆっくりと唇を離した。舌と舌の間に唾液の糸が伸び、間もなく、ぷつりと切れる。


「ヨ……ウヘ……」

「これで解っただろ? ……お前は俺のモノだ、ケイタ」


 ヨウヘイの手が、俺の頬をそっと撫でる。俺の知らない、ギラギラした昏い欲望に満ちた目で俺を見つめながら。


「ずっと俺だけを見て、俺の事だけ考えて。俺に人生の総てを捧げる。それ以外の生き方なんて、許さない」

「な……に、を……」

「本当はもうちょっと、お前の気持ちに気付かないフリをして楽しむつもりだったけど。本気で俺から離れるつもりなら、話は別だ」


 嘘だ。こんなのは全部夢だ。だってこれじゃ、まるで――。


「これからは全力でお前を縛り付けて、逃がさない。可愛い、俺だけのケイタ……」

「……ヨウヘイ……」


 ――まるで、ヨウヘイが俺の事を好きで好きでしょうがないみたいじゃないか。


「……自分が何言ってるのか、解ってるのかよ」

「何? 俺が自分の言ってる事も解らない馬鹿に見える?」

「俺もお前も男だぞ?」

「お前だって、男なのに男の俺が好きなんだろ?」


 ああ、幻滅だ。ヨウヘイが、まさかこんな無茶苦茶な奴だったなんて。

 失望した。俺の信じてきたヨウヘイは皆嘘だった。……それなのに。


「……っ……」


 目から勝手に、涙が零れ落ちた。悲しいのでもない。悔しいのでもない。


 ヨウヘイに執着されている事を、こんなにも、嬉しく感じてしまうなんて。


 無茶苦茶だ。俺も、ヨウヘイも。こんなにも、こんなにもどうしようもないのに。


 ――ああ、俺は今、今までの人生の中で一番幸せだ。


「……綺麗な涙」


 ヨウヘイが、落ちる涙を舌で拭う。そんな仕草一つ一つが、今は堪らなく愛おしい。


「……好きだ……」

「うん」

「ヨウヘイの事が、好きだ。ずっとっ……!」

「俺も好きだよ。だから、誰にもやらない」


 胸にずっと刺さってた棘が、抜け落ちていくような感覚がする。ヨウヘイを好きでいていいんだって、初めて心からそう思える。


 俺の恋は、もう「実らない恋」なんかじゃない。


「可愛い、ケイタ。俺だけのケイタ」

「うっ……ひっくっ……」



 ――神様、例えこの恋が間違いでも、俺は今幸せです。





fin

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