第6話 紅子の過去

 円の家に、紅子が訪れている。あらかじめ、自分の過去について話したいとは言ってある。

 神妙な面持ちで迎えられると思いきや、いつも通り、ご飯は振舞われるし、妖怪を含めトラ子、ガマ吉、氷央、井上兄弟といるから、とにかく騒がしい。

 


 自分の置かれた状況を忘れそうだ。


 この家にいると、自分もごく自然に笑っていい、普通の人なんではないかと、勘違いしてくる。



 本当は違うのに……。




 私は……、加害者の一人に違いない。

 


 妖怪を嫌うのは被害者でいられる、拠り所を見つけたいからなのかもしれない。



ーーーー


 私、吉川紅子の生家は、そこそこの商家だ。

 あの日までは、大分恵まれていた方だろう。何不自由なく幼少期を過ごした。


 優しい両親に、5歳年上の兄、るい


 そう、私はあの日までは、静と同じような、ごく普通の恵まれた子供だった。



ーーーー


6年前


 周りの家々よりは少し大きく、屋敷と呼ぶにはこじんまりとした家の前に、大きな荷物を持った18才の塁が立っている。


 品のよい夫妻と13歳の紅子が、塁を見送るため同じく家の前に出ている。

 

 すらりと背の高い塁が、かがんで紅子の頭をなでる。

「じゃあ、行ってくるね」


 その塁の手を、紅子が払いのける。

「もう子供扱いしないで」


 母と、父がそんな二人をみて笑う。

「また紅子は。お兄ちゃん子だから、寂しいのよね?」


 紅子はむくれる。

「そんなわけない。兄さんの部屋が使えて嬉しい…………。大学っていつ休みになるの?………いつ帰ってくる?」


 塁を含め父と母が吹き出す。


「紅子、もう帰る話をしてるの!?」


 紅子が怒る。

「だから、子供扱いしないで!」


 また、塁が紅子の頭をなでる。

「すぐに帰ってくるよ。それまで、いい子でね」

「だからっ!」

「分かった、分かった。ごめん、ごめん」




 塁は、明るく手を振って日差しが差し込む街路樹を、軽快に歩いていく。




ーーー


 兄さんは、昔からよく私をかまってくれて、優しくて、何でも出来て、私の憧れだった。

 兄さんが大学に行くため、家を出ると聞いたときは、寂しくて仕方がなかった。


 大学の夏休みを指折り数えて、兄さんの帰りを楽しみに待っていたが、兄さんは、帰ってこなかった。



ーーー



 兄さんが家を出てすぐ、家の商家に丁稚でっちの男の子がやってきた。私より4つ下の9歳で、とても可愛らしい子だった。両親も我が子のように可愛がっていた。


 名前はこう


 末っ子だったから、私も弟ができたようで嬉しかった。


ーーー


 庭のベンチで紅子が本を読んでいると、光がちょこんと隣に座る。


 浮かない表情なので、紅子が気に掛ける。

「どうしたの? 何かあった?」

「……、僕をこの家の養子にしてくれるんだって」


 その話は紅子も聞いている。紅子は光の顔を覗き込み気に掛ける。

「嫌なの?」


 光は大きく首を振る。

「親には捨てられたようなものだし、嬉しい! 嬉しいよ! だけど……」

「だけど?」

「養子になったら……、紅ちゃんと結婚できなくなっちゃうでしょ!?」


 紅子がニヤッと笑う。そしてパタンと本を閉じる。

「大丈夫。養子になっても結婚できる」

「本当に?」

「婿養子とかあるでしょ? あれと一緒」


 光の顔がパッと花が咲いたように明るくほころぶ。

「さすが、紅ちゃん!」


 紅子が立ち上がり、光に手を差し出す。

「さあ、もうすぐ夕飯の時間。行こう」

「うん」


 光が、紅子の手をキュッと握る。紅子は光をからかうように笑う。


「私はさっきの言葉忘れないからね」

「え?」


「結婚するって話。子供の頃の話にするのはナシね」

「うん?」


「私はとことんモテないから、未来永劫覚えているから! おばあちゃんになっても覚えてるからね」

「え……、そこまで言われると、怖くなってきたんだけど……。だから、モテないんだよ。可愛いのに」


 紅子が睨みつけ、光の首を絞めるふりをする。

 光のキャキャと、笑う声が庭に響き渡る。


 何一つ不自由なく、両親、兄弟にも恵まれ、本当に幸せだった。


 兄さんが帰ってくる、あの時までは。




ーーーー


 兄さんは家を出てから、1年後くらいに帰ってきた。


 その時は、光はもう養子になっていて、私が14歳、光が10歳、兄さんが19歳だった。



 父さんと、母さんは、兄さんの1年ぶりの里帰りだからと、買い出しに出かけていて、家にいなかった。


 もとは兄さんの部屋で、今は私の部屋になっている、居心地の良い場所。小さな頃から慣れ親しんだ場所。


 私にとって世界で一番、安心できる場所だった。



ーーー


 5年前


 光と紅子が、勉強していると、突然部屋の扉が開く。


 扉から見えたのは塁の姿だ。


 紅子は喜びですぐに立ち上がり、ドアの方へ駆け寄る。


「兄さん!? お帰りなさい!!! 今、父さんと母さんは、買い出しに行ってて! 早かったね! まだ会ったことないでしょ!? 光だよ!」



 紅子は1年ぶりに塁に会えたことが嬉しくて、嬉しくて、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。


 しかし、塁は言葉を返すことなく、男と何やら話している。


 暗い横顔は、紅子がよく知っている優しい兄のものではない。


 何より一緒にいる鋭い目つきをした、知らない男。



 紅子は警戒し、男から、そして兄から、離れていく。



 警戒する紅子に塁が気づく。


「ごめんね、ちょっと彼と話があって。せっかく歓迎してくれたのにね。帰ってきたよ。ただいま、紅子」


 紅子は光をかばいつつ、後退る。


「どうしたの? 紅子? あんなにお兄ちゃん子だったのに……。悲しいな」


 塁は、かがんで紅子の後ろを覗き込むようする。


「その子だよね? 僕の弟は。こんにちは」


 光は不穏な空気を感じつつも、塁に気を使ったのか、紅子の後ろから小さな声を出す。

「こんにちは」


 紅子は、光をさらに隠すようにする。


「兄さん、その男は?」

「彼かい? 兄さんの友達だよ。とっても困っているんだ。お腹が空いているんだって。で、大人じゃなくて、比較的に食べやすい子供がいいんだって」


「何をいってるの?」

「家に丁度いいのがいるのを、思い出して」


 何がなんだか分からないが、恐怖心が溢れる。



 紅子は、光を、必ず守ると思う。



 男と、そして塁を睨みつける。



「さすが紅子。正義感が強いね。なんなら、紅子でもいいんだけど。ねえ、こっちの女の子でも大丈夫そう?」

「強い心だけど、子供だからいけるかな。いいのか?」

「うん」



 そういうと、鋭い目つきの男が、紅子に抱き着こうとする。


「紅ちゃん!」


 光が紅子の前に飛び出す。

 

 鋭い目つきの男が、にやりと笑う。


「涙ぐましいね。じゃあ、遠慮なく」



 その男が光に抱き着くと、光はどんどんやせ細っていく。しばらく経つと、骨と皮になった光が男の腕から、こぼれ落ちる。



 少し前まで一緒に、笑いながら勉強していた光とは、似ても似つかない姿。



 目の前で一瞬にして起こったことが、受け止められない。


 涙だけがボロボロと流れ落ちる。

 

 塁は、なんでもないように男に尋ねる。


「元気になった?」

「ああ。助かったよ」


 紅子は慌てて、光を抱きかかえ、恐れることなく、塁と男に向かって涙目で怒りをぶつける。

「なんで……、なんで、こんなことを!!!」


 そんな紅子を塁が、見下げる。


「紅子は本当に優しくて、勇ましいね。惚れ惚れするよ。あの両親の実の子といった感じだよ、本当に」

「何?」


 紅子は塁が何を言っているのか分からない。優しかった憧れの兄が何故こんなことをするのか、何が何だか分からない。



「僕はこの家の養子なんだよ。その子供と一緒。その子も必死だったんだろうな。君と、君の両親に好かれようとね。サトリでなくても分かる。君たち親子の正義に付き合うのは、うんざりだよ。その子供も良かったんじゃない? 僕みたいな目にあわなくていい」

「兄さん?」


「まあ、そんなことはどうでもいいんだ。平等な世の中を作るために、彼の力が必要なんだ。その子供は、そのための犠牲」


「こんなことして……。そんなもの……。そんなもの! 稚拙な思想だ!」



 塁の顔が、不快そうに、不気味に歪む。





「サトリ。この子も食べて。お願い」



 兄の言葉に、紅子の目から、さらに涙が溢れ出てくる。



 光を抱えながら、迫ってくるサトリに、紅子は、あたりのものを構わず投げつける。




 その物音で、帰宅した父が猟銃を持って部屋に駆けつける。




「紅子! 光!」

「父さんッ!」



 紅子はすがるように、光を抱えて走り、父の後ろに隠れる。


 光はあまりに軽く、また紅子から、とめどなく涙が溢れ出る。





 父は、紅子の腕の中にいる人に目をやる。見る影もないが、紅子の様子と、着衣から光だということが分かる。




 父の目に、紅子と同じような怒りと涙が、滲み出す。




 守らなくては、という強い目。






 そして、強い声で、父は塁に対して叫ぶ。







「塁ッ! 塁も早くッ! こっちに来なさいッ!」








 塁は悲しそうに、父に告げる。




「父さん……。僕は被害者じゃなくて、加害者なんだ」




 


 サトリが塁に語り掛ける。

「普段だったらいいんだが、今の体力だと猟銃はきついな」


 塁が頷く。


「じゃあね、父さん。紅子。………さようなら」

 


ーーー

 


 そういうと、兄さんと、鋭い目つきの男は去っていった。


 ほんの、ほんの、十数分の出来事だった。それだけの時間で、私のそれまでは、すべて変わってしまった。


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