第3話

 村井むらいかなえ――と川和田はその女を徹に紹介した。はす向かいのスナックのママだという。

「で、こいつはおれの同期の竹中だ」川和田は顎で徹を指した。「小学から高校まで一緒だったんだ。クラスも同じのときが多かったな」

「お友達だったのね」

 かなえははにかんだ。

 川和田との間には特に楽しい思い出などなかったが、徹は適当に相づちを打っておいた。

「かなえちゃんは」川和田は言った。「自分の店をあける前にここで一杯浴びるのが習慣なんだよ」

「竹中さん、あたしの店にも寄ってね。ここよりはそこそこお客さんが入るくらいに、いい店なのよ」

 かなえが徹に向かって言うと、川和田は苦笑した。

「あんまりな言い草だなあ」

 そして苦笑を維持したまま、彼はかなえの前にハイボールのグラスと豚肉の味噌ニンニク炒めの小鉢を置いた。

「この料理、頼んでいないわよ」

 嫌がるふうでもなく、かなえは訴えた。

「サービスだよ」川和田は肩をすくめた。「おれが食いたくて作ったやつだ。竹中にもあげたんだ。気後れすることはないさ」

「ならいただいちゃおうかしら。そういえばこれ、人気メニューだったわね。あたしはまだ食べたことないんだけど」

 まんざらでもなさそうにかなえは言うと、小棚からハンドバッグを取り、その中からたばこの箱を取り出した。そして徹を一瞥し、すぐにたばこの箱をバッグにしまう。そのバッグも元の小棚に戻した。

「あれ、今日は吸わないのか?」

 首を傾げた川和田が、厨房に立ったまま自分のグラスに口をつけた。

「やめておく。もし竹中さんがたばこを吸わない人だったら……ねえ?」

 同意を求めるような目を向けられ、徹は苦笑した。

「先に訊けばいいじゃないか」呆れたように川和田はこぼした。「ていうか、竹中は吸わないのか?」

「ああ。村井さんのお察しのとおり、吸わないよ」

 徹が答えると、川和田は訝しそうにかなえを見た。

「やけに気が利くな。いつもそうだったっけ?」

「初対面の人に対して気遣うことくらい、あたしだってするわよ」

 そう突き返すと、かなえはハイボールのグラスに口をつけた。

「ムキになるなよ」

 そしてため息をついた川和田は、自分の小鉢の中身を箸でつまみ、口にほうり込んだ。

「なあ竹中」川和田が徹を見た。「全然進んでいないじゃないか。もっと飲めよ。それとも別のつまみを用意するか?」

 料理も酒も喉を通らなければ、楽しい雰囲気に浸るなど無理である。

「最初に言ったけど、疲れているんだよ」

 もっと強く訴えたいのは山々だが、ことを荒立てたくなかった。今日は切り上げたほうが無難だろう。次の機会に、抜かりなく準備を整えて挑めばよい。

「ようちゃん、そのくらいにしておきなさいよ。竹中さんが困っているじゃない」

 かなえは言うが、川和田は底意地の悪そうな笑顔を見せた。

「だってよ、こいつとこうやって話をするなんて、もしかすると高校卒業以来なのかもしれないんだぜ。それに、常連客じゃないというのは、こっちとしても都合がいいし」

「ちょっと!」

 たしなめるような声で、かなえは川和田を睨んだ。

「村井さん、どうしたんだい?」

 徹が顔を覗くと、かなえは目を逸らした。尋ねたのはまずかったかもしれない。聞き流しておけば、それで済んでいたはずだ。

 ふと、かなえが川和田を見た。

「常連といえば、今日は金曜日だし、いつもの何人かはそろそろ来るんじゃない? 竹中さんのこと、帰してあげたほうがいいと思うよ」

「まだ大丈夫だよ」川和田はいまいましそうにかなえを見た。「たとえ常連でも、おれとダチとの楽しみには口を挟ませないさ」

「常連といっても、あたしの口利きで回してあげたお客なんだから、大事にしてよね」

「うちの客が梯子でかなえちゃんの店に流れていくんじゃなかったっけ?」

「冗談も休み休みに言ってよ」

 そっぽを向いたかなえが、ハイボールを飲み干した。

 そんな彼女を横目で見ながら、徹はかすかに目が回るのを覚えた。

「あれ? 竹中よ、もう酔ったのか? いくらも飲んでいないのに」

 嘲笑するような目が、カウンターの向こうから徹を見ていた。

「いや、大丈夫だ。疲れのせいだよ。今度こそ本当に帰らないと」

 などと言ったものの、視界は激しく回っていた。腰かけたまま、徹は上半身が倒れていくのに身を委ねる。

「竹中さん!」

 かなえが声を上げた。

 彼女に肩を抱かれたことはわかったが、徹の意識はそこで闇に閉ざされてしまった。

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