【結】ノゾミのなくならない世界
彼が帰ってきた。私たちの愛の巣、高野珠美の部屋に。その顔はげっそりとやつれている。
彼は喋り始めた。
「高野珠美という少女は、正式に死亡が確認されたよ。近いうち火葬になる。で、彼女はずっと前から脳死状態だったそうだ。じゃあ、俺と話をしていたあの相手は誰だ? って話になるんだろうが」
彼が喋っているのを、私はただ聴いている。
「いるんだろう? そこに」
わたしの方をまっすぐに見据えて、彼は言った。
彼が見据えている、わたし。それは、
珠美の頭からもげて落ちた、このベニテングダケのように毒々しい色のキノコ、そのものだ。
「聞こえるか? 会話はできないのか? 意識はあるんだろう? 今でも」
(話せるよ。普通に会話できる。自分が珠美を演じていたことも覚えてる)
意志と意志の疎通。まあ、人類がテレパシーと呼んでいるあれだ。実は喋る方がずっと楽なんだけど、今は肉体がないから仕方ない。
(私はすべてを思い出した。全部説明する。だから、聞いて)
「ああ」
珠美という少女は、別に洋館を探検しに来たわけではなかった。彼女は、自殺をしに来たのだ。そのための手頃な場所を探して、洋館に侵入したというわけだった。
そして、彼女は広間の天井からロープを吊るし、首尾よくことを果たしたかに思えた。ところが、そこでほんの偶然が、そして限りない奇跡的な偶然が彼女を見舞った。
不浄のキノコとシャッガイの昆虫、その二つの種族が、相次いでその肉体を乗っ取ろうと、侵入を図ったのだ。
その両者が肉体をまず保持し、そして自分のコントロール下に置こうとした。だが、失敗した。不浄のキノコには意志はないが、シャッガイの昆虫は諦めて、あるいは興味を失って去っていった。
結果、何が残ったか。死んでいるにも関わらず、自己を生存しているものと思い込んで脳機能の代理を果たし続けるキノコに似た何かが一つと、死したまま動く珠美の肉体だ。
そして、今すべてを語っているこの私こそ、その「キノコに似た何か」そのものというわけだった。
私は不浄のキノコとシャッガイの昆虫の力の相互作用によって生み出された超常の知性体だが、不浄のキノコそのものではない。それが証拠に繁殖する力を持たなかった。
「で、つまり……君はなんなんだ?」
何なんだろう。少なくとも私は、高野珠美ではない。どう足掻いても高野珠美にはなれない。またかつて高野珠美であったこともない。
ねぇ。前に訊いたよね。私が醜い化物に変わっても、それでもまだ抱きしめてくれるかって。
私は変わるまでもなく最初から醜い化物だった。百万歩譲歩して、そこに目をつぶってもらったとしても、そもそも私には抱きしめてもらう肉体すらない。
私は、
「タマミ」
やめて。それは私の名じゃない。
「じゃあ、俺が名前つける。えーと……ノーコ。これでどうだ」
(何、その名前)
「昔やったエロゲーのヒロインの名前」
(何それ。最悪)
「最悪で結構」
「ノーコ。お前、これからどうするんだ。どうなるんだ」
(分からない。でも、寄生先を失って、長くは生きられないと思う)
「……」
(あのね。こんなキノコに言われても嬉しくないかもしれないけど、あなたに愛されて幸せだったよ。だから、最後はあなたの手で、火にくべて欲しい)
「幸せを過去形にするなよ。打開策を考えようぜ」
(……え?)
「なせばなる。かもしれない。ならなくても、その時はそのときだ」
(な、何をバカなことを……!?)
「とりあえず、俺の頭にくっついて栄養吸えないか? 試してみよう、ほら」
(ちょ、ちょっと……!)
私は彼の頭の上に収まり、頭皮に菌糸を張った。飢えには逆らえなかった。
「俺、お前を連れて行きたかったところがあるんだよ。俺なら恥ずかしくないからさ。行こうぜ」
(行きたかった、ところ?)
「東京で一番でかい観覧車。乗ろうぜ。二人でさ」
本当は、そこで指輪を渡す予定だったんだがなあ、と彼はそれを取り出して、言う。
今のところこんな身体で、それを受け取れる日が来るのかどうかも分からないけれど。
ああ、好きな人が守ってくれる。女に生まれた冥利って、こういうのを言うんだなぁ。
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