[9-4]王女、相談にのる(上)

 話し合いの末、決行は明日の夜になった。

 陽が沈んでから動くとは言っても、明るいうちにやらなければいけないお仕事はたくさんある。


 だから早く眠らなければいけないのだけど、目が冴えていてちっとも眠れなかった。


『姫さま、眠れませんか?』


 ごろごろ寝返りをうってると、クロが立ち上がって声をかけてくれた。

 気を利かせてくれたのか、顔を上げたらすぐにパッと明かりがついた。


「うん、なんだか眠れなくって」


 今日一日で色んなことがあった。


 リシャさんとシロちゃんとの出会いと、それぞれとの和解。

 キリアと一緒に生まれて初めて料理を作って、みんなに食べてもらったわ。

 ノア先生はロディ兄さまに連れ去られてしまった。


 情報量が多くて、頭ひとつではとてもじゃないけど追いつけない。


「そういえば……」


 つぶらな黒い両目を見て、わたしはふと思い立った。


「クロ、なにかあったの?」


 夕食前といい、作戦会議の時といい、クロはいつもより静かだった。

 口数が少ないのはもちろんのこと、発言を促さなければ口を閉ざしたまま。

 いつも明るいクロらしくない。もしかしたら落ち込んでいたのかも、と思っていたのだけど。


 わたしの考えていることは、どうやら当たっていたみたい。

 視線を床に落として、クロはぽつりと告白した。


『ボクはキリアを傷つけてしまったんです』

「キリアを……?」


 クロが誰かを傷つけるところなんて、あまり想像できないけれど。

 でも本人(この場合は本犬?)が真剣に受け止めているからには、彼なりに反省してることがあるのかもしれない。


「どういうことなの?」

『不躾にもボクは、キリアにとって触れてはならないことを触れてしまったんです』

「そうなの。でもわざとではないのでしょう?」

『はい。ですが、わざとではないからと言って、軽く考えていいことではないと思います』


 クロは顔を上げた。

 つぶらな黒い瞳はわたしではなく、天井を見つめている。


「グラスリード国には吸血鬼の魔族が一人もいないので、完全に失念していました。姫さま、吸血鬼の魔族たちは例外なく、みな深い心の傷を追っているんです。彼らは魔族の中でも特殊な部族で、人生そのものを狂わされた過去を持っています。なのに、ボクは彼の傷をえぐるようなことを言ってしまったんです」


 そういえば、キリアもクロと同じ、一人の主君に仕える若い騎士だったって言ってたわ。

 わたしを助けてくれたのは、人間の王様が治める国を助けたかったからだって言っていたけれど、キリアが元人間だったのもあるのかも。

 クロに対してどこか態度が冷たいように感じたのは、もしかして過去の自分と重ねていたところもあったのかな。


「ねえ。クロはロディ兄さまを恨んでいないの?」


 ふと気になってしまった。

 クロはロディ兄さまに殺されてしまったけれど、暗い表情なんてただのひとつも見せたことがないわ。

 いつだってわたしのそばにいて守ってくれる。


 キリアは自分の人生を変えた帝国の皇帝を憎んだって言ってたけど、クロはどうなんだろう?


『ボクは、ロディに対して恨むとか、そういう気持ちはあまりないです。ボクにとって第一なのは姫さまをお守りすることです。たしかに彼に思うところはありますし、不満がないわけではないですけど……。ああ、でも』


 ふいにクロはわたしを見て、赤い舌を出した。にぱーっと笑ってるみたい。


『そうボクが思うのは、姫さまが生きていてご無事だったからです。犬の姿になった時はびっくりしましたけど、今も大したことじゃないと思ってます。ボクはまた姫さまをお守りすることができて、本当にうれしいんです』


 勢いよく振っていた尻尾が、突然ピタッと止まる。

 どうしたのかな。


『でも、もし……、もしも姫さまがあのまま海の中で死んでしまっていたら、ボクもロディやこの世界を恨んだのかもしれないです。キリアは守るべき主君や国、なによりも自分の命まで奪われたわけですよね』


 クロは頭を下げて、目を潤ませていた。


 ああ、そっか。きっとクロはキリアのことを理解しようとしているんだわ。

 自分のものじゃない心の傷を、自分のもののように感じて、寄り添いたいと思っているのかも。


「ねえ、クロ、キリアに謝りに行かない? 一人が不安ならわたしが一緒に謝ってあげるわ」


 わたしはベッドから下りて、少し屈んでクロと目線を合わせた。

 ところが彼の返事はノーだった。クロは首をふるふると横に振る。


『いいえ、姫さま。ボク一人で謝りに行きます。姫さまのお手をわずらわせるわけにはいきません。謝って、キリアと仲直りしてきます』


 顔を上げたクロの顔は晴れやかだった。

 パタリと尻尾を振ると、器用に前足でドアノブを回して部屋を出て行ってしまった。


 あれ? 今から、謝りに行くの?


 カーテンが閉められた窓の外は真っ暗で、今は深夜だ。

 もうキリアは寝てるんじゃ……。


 コチコチと時計の針が動く音が小さく聞こえてくる。


 ええと、どうしよう。すっかり目が冴えちゃったわ。

 お水でも飲んでこようかしら。

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