[6-2]王女、朝食を食べる

 テーブルに並んでいる朝食はサラダと根菜いっぱいのスープ。

 中でも、メインは薄く焼いたクレープだった。


「わあ、おいしそう!」


 魚の切り身や卵、クリームがそれぞれ器に盛り付けられていて、取りやすいようにスプーンが添えてある。それぞれ好きなものをのせて食べられるようにしているみたい。


 お城ではほとんど毎朝の食事に出るほどわたしにとっては定番のメニューなんだけど、市井でも食べられているって知ったのは結構最近の話だった。


「人数増えちゃったので、座れない人はそこのソファー使ってくださいね。ボクは体質的に食べる必要ないので、給仕します」

「そんなコト言ってねえで、クロ坊も食えよ。食事って、みんなでワイワイ楽しくやるのがイイんじゃねえか」

「でもボクが食べちゃうとみんなの分が減っちゃいますよ? そもそもボクを抜いた人数分を作ってるんですし……」


 ポットを片手に立つクロの背中をハウラさんがぐいぐい背中を押している。

 いつだって食事の席を一緒にしなかったけど、やっぱり一人だけ食べないなんて気になっちゃうものね。

 遠慮がちにクロは空いている片手を横に振っていたけど、別方向から近づいてきたノア先生にひょいっとポットを奪い取られていた。


「私たちは仲間なんだからこの際遠慮なんてナシよ。みんなお腹空いてるでしょうし、さっさと食べちゃいましょ」


 パタリと薄いグレーの長い尻尾を振って、ノア先生はクロの腕を引っ張っていく。

 二人のお姉さんにソファに追いやられてついに観念したみたい。クロは困ったように笑って「わかりました」と素直に頷いた。


 人数が五人から八人に増えて、さすがに椅子が足りなくなったみたい。

 食卓の椅子に座れない人は壁際に置いているソファーにそれぞれ座って、食べることにした。

 こんなにたくさんの人と食べるのは初めてで、なんだかわくわくしちゃう。


 クレープの生地にクリームとオレンジ色の切り身をのせて、簡単にくるくる巻く。

 噛みしめると同時に、口いっぱいに広がるのはバターの香り。ふんわりしたクリームと魚の甘い味が口の中で溶け合って、とってもおいしい。

 続けて赤い魚の卵ものせて食べてみる。こっちは口の中でプチプチした食感がとっても楽しい!


「この切り身って、生の魚……だよね? 焼かなくても食べられるんだ?」


 クレープを頬張っていたら、隣でキリアが目を丸くしていた。

 彼がどこから来たのかわたしはよく知らないけど、もしかしてキリアの故郷では生のお魚は珍しいのかしら。


「グラスリードではそのまま食べるのよ。島国だから鮮度のいいお魚がれるの」

「へぇ、そうなんだ」


 魚の切り身とサワークリーム、赤い卵をのせて巻いたクレープの生地を、キリアは口へと運ぶ。

 おそるおそるといった感じだったけど、丁寧な手付きと動作はとっても上品だった。かぶり付いていたこっちが恥ずかしくなるくらい。


 無言のまま口を動かして咀嚼するのを見つめる。


「どうかしら、キリア」


 彼の口に合うといいのだけど。


 ふと深い青の瞳がわたしを見る。

 目が合った途端恥ずかしくなっていたたまれなくなってたら、キリアはその瞳は少し和ませてくれた。


「うん。とてもおいしいよ、姫様」


 顔を綻ばせる様子は、やっぱり花が咲いたようにとてもきれいで。

 嬉しそうなキリアを見てたら、なにもかも忘れてわたしまで嬉しくなっちゃった。




 * * *




 朝食の後、ノア先生が紅茶を淹れてくれた。

 それぞれ飲みきってカップが空になり、ほっとひと息ついた頃。ソファに身体を沈めていたハウラさんが、突然立ち上がった。


「怪我人も完治して、メシも食ってひと段落ついたとこだし、この国に根付いている呪いの解き明かしといこうぜ」

「そのことなんだけど……」


 挙手をして口を挟んだのはキリアだった。

 椅子から立ち上がって、部屋にいるみんなを見渡してから彼は口を開く。


「今はとりあえず呪いのことは保留にしておかないかい? 狼に取り憑いているだけで、まだ国民に被害は出ていないんだろう? それより早急にすべきことは、国王陛下を救い出してグラスリード国を取り戻すことなんじゃないかな」

「んー。でもお嬢に聞いたけどさ、呪いに侵された狼は巨大化してる上に、凶暴になってるらしいじゃねえか。おまけに魔法も効かないときた。放っておくのは危険だと思うぜ?」

「それはそうなんだけど、狼による被害をなんとかするのは現国王の、つまり国を乗っ取ったロディの仕事だ。姫様と俺には今のところ、関係のない話だよ」


 意外にも、キリアは呪いには関わりたくないみたいな口振りだった。

 ううん、違う。呪いが気にならないわけじゃないんだわ。だって、狼達は実際に人を襲うんだもの。

 たぶん、今なにをすべきなのか、シンプルに焦点を合わせようとしているのかも。


 初めて逢った時、わたしはキリアに国を取り戻したいと言った。

 彼はそんなわたしの願いを真正面から受け止めてくれたんだ。


 そう考えたら、胸がじんわりとあたたかくなった。


 だから、狼達を凶暴化させている呪いの解決は二の次にしようとしているのね。

 その気持ちはありがたいし、国のことを優先してくれているのは嬉しいけれど……、


「でも、あの狼達に対抗できるのはクロだけだわ。氷の槍で貫いても倒せなかったのだから、魔法でも普通の武器でも倒すことは不可能だと思うの。今は森の近くをうろついているからいいけど、万が一街に入り込んだら大変なことにならないかしら」


 第一に優先すべきなのは、国民の安全だと思うの。

 わたしたち王族がいるのはグラスリードの民が安心して豊かな暮らしをするためだと、父さまに口酸っぱく教えられてきた。


 今のわたしは王族ではないけれど、王女としてロディ兄さまから国を取り戻すつもりがあるのなら、その教えを無視してはいけないんじゃないかしら。


 目を丸くしたキリアはわたしを見て、なにか言いたげに口を開こうとしていたみたいだった。

 だけど、彼が発言する前に挙手をしたのは、ハウラさんの隣にいたガルくんだった。


「オレもティアちゃんの意見には賛成かな。実際、狼達はオレに襲いかかってきたわけだしね。クロが来てくれなきゃホント危なかった。ありがとう、クロ」

『いえ、ボクは使命を果たしただけです。悪い狼にもう負けるつもりはないですから』


 食事が一通り終わってからまた犬の姿に戻っていたクロは、胸をそらし長い黒毛の尻尾をパタリと振った。なんだか誇らしげだ。


『でも、ガルディオやハウラの言うことも一理ありますね。ボクとしてはキリアと同意見だったんですけど。姫様が国民に被害が出ないうちに狼達の呪いを先に解決したいと望まれるのでしたら、そちらを優先させるべきだと思います』


 口もとを緩めて、クロの黒い瞳がちらっとわたしを見る。続けて彼が視線を投げかけたのは、手帳を片手に持ったケイトさんだった。

 そうね。他の人にも意見を聞いた方がいいかも。


「ケイトさんはどう思う?」

「——え!?」


 声をかけた瞬間、驚かせてしまったみたいで薄いブルーグレーの三角耳がピンと跳ね上がった。

 深い藍色の目を丸くして、さっきまでなにかを書き付けていた手も止まっちゃって、身体が石みたいに固まっている。

 なんか悪いことしちゃったかも。


「突然にごめんなさい。ケイトさんの意見も聞きたくて」


 思わず謝ったら、落ち着かない様子で目をさまよわせた後、彼女はコホンと咳払いした。


「いや、もう結論はそちらで出すものだと……。こっちに話の矢が向けられるとは思ってなかっただけだ。姫は謝らなくていい」


 張り上げた耳を少し下げて、ケイトさんはぐるりと部屋を見回してから、ぽつぽつと語り始める。


「いつもならどの方針になろうとワタシとしては一向に構わない。やるべきことは変わらないから。だが、今ここに集まってるのはユミル国王派の者たちなのであって、姫の味方だ。だから姫が望む通りにしたらいいと思う」

「私もケイトさんに賛成よ。不安要素があるなら、みんなで力合わせてカバーすればいいしねっ」


 テーブルに頬杖をついて、明るい声で賛同してくれたのはノア先生。

 そしてその隣で、ライさんはプッと吹き出してなぜか笑いをこらえてるみたい。


「だってさ、キリア。どうする?」


 促されたキリア本人は、どこか不服そうな顔でライさんを睨み付けていた。


「どうするもなにも、もう方針は決まってるようなものじゃないか。姫様が狼達の呪いを解決したいって言うなら、俺はもちろん助けるよ。俺だって姫様の騎士なんだし」

「じゃ、決まりだな」


 機嫌良さそうに腰に手を当てて、ハウラさんが笑う。

 隣のキリアを見れば、彼の顔は穏やかな笑顔に変わっていた。


「だけど、姫様の安全確保は絶対だよ。外にはロディの息がかかった兵士達がまだうろついているんだし。呪いとロディの政変の件は無関係だろうけど、十分注意しなくちゃいけない」

「いや、そうでもないさ」


 ——え?


 するりと入り込んできた突然の声に、びっくりしてしまった。

 だって会話に割り込んできたのは、知らない人の声だったから。


 キィ、と音が鳴って木製のドアが開く。


 わたしだけじゃなく、誰もが口をぽかんと開けて見守る中、その人は穏やかに微笑みながら部屋の中に入ってきた。

 ううん、もしかしたら「人」ではないのかも。


 だってそのひとは、白い骨が剥き出しになった両翼と髪の間から生えた黒い角、紺青の毛に覆われた長い尻尾をもつ男の人だったんだもの。


「待たせてしまって悪かったな。準備は整ったことだし、すべての謎を解こうじゃないか」


 瞳を細めながらわたしを見て、はそう言い、不敵に微笑んだのだった。

 

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