6章 追放王女は歴史の真実を知る
[6-1]王女、朝の支度をする
朝起きて部屋を出ると、クロがいなくなっていた。眠る前はたしかに床に寝そべっていたはずなのに。
念のために部屋の外に出てみてもやっぱりいない。
どこに行ってしまったのかしら。
仕方ないので、身支度を整えた後わたしは一人でリビングルームへと向かう。
昨夜は寝る前にキリアの様子を見に行ったら、想像していたよりずっと顔色が良かった。きっとノア先生のお薬が効いたのね。
一日以上伏せっていたからかだいぶ気分が落ち込んでいたようだけど、大丈夫かしら。
少しでも熱が引いて、身体が良くなってるといいのだけど。
「姫様、おはよう」
ふと声をかけられて振り返る。
落ち着いた、穏やかな低い声。まるで凪いだ夜の海を思わせるような。
キリアだった。
「おはよう。もう大丈夫なの?」
「姫様には心配かけてしまって、ごめんね。もう大丈夫。熱は下がったし、痛みももうないんだ」
「よかった」
昨日はたしかに顔を合わせて話したのだけど、こうしてお互いに元気な姿で会話するのはひどく久しぶりのように思えた。
彼が寝込んでいたのはたった一日だけのはずなのに。
「姫様」
キリアは微笑んでいた顔から、すっと真剣な眼差しになった。わたしは思わず彼をじっと見つめる。
突然彼は腰を下ろし片膝を立たせて、わたしを見上げた。
まるで、初めて会った時みたいに。
「今日から俺も姫様の騎士として復帰するよ。だから、またそばで守らせてくれないかな」
そっとわたしの手を取って、キリアは上目遣いのまま柔らかく微笑んだ。途端に胸がきゅんとして顔が熱くなる。
「も、もちろんよ。わたしだって、キリアのことずっと待っていたんだもの」
「そう。良かった」
うまく舌が回らなくって、言いたいことがうまく伝わったか分からない。
けど、それは杞憂で終わったことをすぐに悟る。
立ち上がったあと、キリアはわたしの隣に立って嬉しそうに顔を綻ばせたからだ。その笑顔はまるで夜空の中で輝く月のように上品で、とてもきれい。
そう思ったら、急に恥ずかしさがこみ上げてきて思わず顔をそらしてしまった。
うう、とてもまともに見られないわ。
だってキリア、今まで会ってきた魔族のひとの中でも一番の美人なんだもの。
* * *
リビングルームに行くと、みんな集まって食事の準備をしていた。
ガルくんとハウラさんは二人仲良くグラスをテーブルに並べていて、昨日まで白衣姿だったノア先生はニットワンピースに着替えて料理が盛られたお皿を運んでいる。
わたしに獣人だとバレちゃったせいか、ケイトさんはもう耳当て付き帽子をかぶっていなかったしコートも脱いでいた。壁際に置いてあるソファに座って、手帳になにか書きつけている。お仕事中かしら。
「おっ、キリアだいぶ元気そうな顔になってきたじゃん」
声をかけてくれたのはライさんだ。
手に小さなパンケーキがのったお皿を持っている。きっと朝食の準備をしてくれていたのね。
「おはよう、ライ。もしかして、今日の朝食はきみが? そんなわけないよね?」
昨日の朝、食事の件でケイトさんと言い争いをしていたのは、わたしも記憶に新しい。
でもケイトさんはキッチンに立っていないし、テーブルに並んでる料理も
「んなワケねーじゃん。オレがこんなきれいに作れるわけないだろ」
「威張ることじゃないけど、きみに料理は無理だもんね。じゃあ、これは一体誰が? まさかノアが?」
「あー、違う違う。ノアも昨夜の幻薬作りで疲れててさ、さっき起きたとこなんだ。今日は、なんとクロが作ってくれたんだぜ」
「——え?」
得意気なライさんはキッチンの方に視線を送り、「な、クロ」と声をかける。
つられてわたしも視線を追えば、そこには大きな黒い犬の姿……ではなく、見覚えのある男の子が立っていた。
クセひとつない長い黒髪をひとつに束ねた彼は、楽しそうに口もとを緩めている。
獣人さんみたいな黒い毛並みの三角耳が髪の隙間から見えるし、腰のあたりには尻尾が生えてるけど、雰囲気は前とちっとも変わっていない。
白いワイシャツに紺色のエプロン姿でフライパンを持ってる姿が、ひどく懐かしく思えた。
「あっ、姫さま。おはようございます」
顔を上げてこっちを見たと思ったら、クロはわたしを見て人懐っこく笑ってくれた。
三角耳をピンと張って、黒い尻尾がパタパタと動いてる。
「人型に、なれたのか……」
隣でポツリとキリアが言った。
そう言われれば、そうね。今まで犬の姿ばっかりだったから、こうして人の姿でいるクロを見たのは初めてだわ。
もともとクローディアスはわたしと同じ人間だった。
でも今の彼は、尻尾と獣の耳を持つ獣人さんみたいな姿。融合したチャーチグリムは、もしかして人の姿を取ることのできる魔物だったのかも。
「キリアさんも回復されたんですね、良かったです。犬の姿だとなにかと動きやすいのでそのままでいたんですけど、さすがに食事の用意をするには細かい作業が求められますから、人の姿でないと不便で」
「そうだったの。でもクロ、どうして急にごはんを作る気になったの?」
朝食はケイトさんに任せてたし、再会してから彼は一度たりともわたしのそばを離れようとはしなかった。
今だって人手はたくさんいるのに、自らキッチンに立つなんて初めてなんじゃないかしら。
「姫さまをお守りすること以外で、なにかお役に立つことができないかと考えまして」
目を伏せ、クロは持っていたフライ返しを置いた。
「昨日、ハウラさんがファーレの森に伝わるおとぎ話を話してくれたじゃないですか」
「うん」
「氷の魔女に気に入られたあの王子は一人で抱え込まずに、みんなと力を合わせれば、ハッピーエンドになれたんじゃないかって話を聞いた時、思ったんです。こうして帰ってきた今も、ボクは王子と同じで、自分一人の力で大切な人を守ろうとしているんじゃないかって」
いつもキラキラ輝いているその黒い瞳はぬれていた。
まっすぐにわたしを見て、クロはその瞳を少し細める。
「だから、このままではいけないと思ったんです。この身体は考えられないくらい強い力を持っていて姫さまを敵からお守りするには十分ですけど、騎士としての務めはそれだけではないです。主君である姫さまが国を取り戻すため、他のひとたちと力を合わせてサポートをし、お支えしなければ。だから、手始めに今朝は朝食を作ろうかと思いまして」
さっきの憂いに満ちた表情をコロリと変えて、顔を綻ばせた。
黒い尻尾がぱたりと揺れる。
「さて、しんみりした話はここまでにしてまずは食事にしましょう。今日は姫さまの大好きなものを作ったので、きっと気に入っていただけると思いますよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます