鍛練
フォーメーションは、人数が九人になったことで却って組みやすくなったようで、
「センターに萌々香を持ってくることにした」
振り付け担当の美波は、二曲目の新曲のところで賭けというか博打に近いことを試し始めていた。
本来、普段なら安定的なナンバーを入れる。
今回は国立なので、多少は変わったことをしなくてはならないというプレッシャーと、美波は挌闘していたらしかった。
「厳しいかもしれないけど、今から萌々香には場数を当たってもらって、スターメンバーにするしかない」
リードボーカルも萌々香、るなの他に菜穂子を加えた。
「まさかのど自慢のファイナリストだったとはね」
菜穂子の実家が音楽教室なのは聞いていたが、歌わせてみると声に伸びがある。
「小学校の頃、おばあちゃんから少しだけ民謡を習っていた」
との由で、今どきの小動物系の可愛らしい顔立ちとは裏腹に、ちょっとボイストレーニングをさせてみたところ、すぐかなり変わったので、
「リードボーカルを三人にしたら、誰か一人倒れても大丈夫でしょ」
るなが言うと説得力があった。
初雪の日、るなは朝練で走り込んでいる萌々香を見た。
「走るのは苦手で…」
と言っていた萌々香だが、可愛らしいニットの帽子をかぶり、ピンクのスニーカーを履いてひたすらグランドを周回している。
近づいてきた。
「るな先輩おはよーございます!」
響き渡るような声で挨拶をしてきた。
「おはよー」
るなも返した。
るなは国立を最後の舞台にするつもりでいたらしいが、
(これで、どうにか火を絶やさずに済みそう)
るなは達成感が湧いてきたらしい。
人見知りの激しかった萌々香だが、クラスメイトの菜穂子と打ち解けたことで、少し気質が変わってきた。
本来の、お菓子作りのときに垣間見せるかいがいしさが少し出始めたのである。
「萌々香さ、ここのダンスの振り付けまた間違えたよ」
「うぅ…」
何度も薫に指摘され、目には涙を浮かべながらも、食らいついて振り付けを萌々香はマスターしてゆく。
ときに幼ささえ残って、少し危なっかしい面もあるのだが、
「まるで雪穂みたい」
澪はかつて雪穂がやっぱり泣きながら練習していたことを萌々香に伝え、
「だからあなたは大丈夫、きっと雪穂みたく上手になれるよ」
「…はいっ!」
このときの萌々香の笑顔が、澪は無性に可愛くて仕方がなかったようである。
萌々香を気にかけていたのは由梨香も近いものがあって、
「ほら、あの子いわゆる妹キャラじゃん」
よく泣きそうになりながらも健気で、走り込みに至っては、いつも最後を萌々香が走っている一方で、由梨香は中学まで陸上部で長距離を走っていたから、いつも先頭で他を引き離して走る。
「由梨香、早過ぎやって」
翔子がこぼすと、
「追いつかれそうになると、つい引き離しちゃうんですよね」
癖のようなものであろう。
「私も由梨香みたいに早く走りたい」
萌々香はこうしたときは実にハッキリしていて、
「どうしたらいい?」
と由梨香に早く走れるか訊いてくる。
「普段なら自分で考えろって言っちゃうんだけど、相手が萌々香だと教えちゃうんだよねぇ…」
つい甘やかしてしまうのである。
そうした萌々香を清正は、
「あれは太閤さんのような人たらしやな」
気がついたときには全員が萌々香のペースに巻き込まれ、あれよあれよと萌々香を軸に回ってしまう、と言うのである。
「あんな人たらし見たんは長内
そう言われてみれば、藤子も運動は苦手なタイプではあったが、最後は後輩からですら「藤子ちゃん」と言われるほどの愛されキャラとなった。
ついでながらこの影響はアイドル部での名前の呼び方や、敬語をあまり使わない気風など、さまざま随所で端々に残っている。
「存外、関口の見立ては当たっとるかも知らんで」
清正は澪が慧眼であることを示唆した。
少し話が遡る。
国立競技場でのライブは、卒業生を含めた「ライラック女学院アイドル部大感謝祭」と正式に銘打たれ、秋からチケット販売も始まった。
すぐに一部はソールドアウトし、転売屋が摘発されるなどの騒ぎもあったが、
「すでに橘すみれや有澤雪穂が来るってだけで、なんだか大変な話題ですからね」
長谷川マネージャーは息をつきながら言った。
今では雪穂はすっかり女優で、九月まで朝ドラに出ていたが、もうすでに大河ドラマの配役も決まっており、
「私の原点のアイドル部の同窓会みたいなものだから」
と、スケジュールをこじ開けて来るらしい。
「たまには顔ぐらい見せぇや言うとけ」
清正は冗談めかしてみせた。
すみれはインスタグラムから「今日のスープ」というヒットが飛び出し、後輩の鮎貝みな穂と組んでライブをしたり、桜庭ののかがレギュラーで出ている「おめざジャポン!」のテーマソングを生放送で披露したり…と、画面越しではあるが元気そうではある。
「前にあいさつ回りですみれ先輩に久しぶりに会ったんですけど、プロデューサーのモロキュウPさんって」
本名が
「そしたら、お兄さんがこないだまで札幌にいて、結婚したんだけどって写真見たら、ひまりちゃんが写ってるもんだからビックリしちゃって」
その話を聞いたモロキュウPは、
「意外と世界は狭いね」
そうやって笑っていたそうであった。
基本的に一般人になった卒業生は「出るか出ないかは任せる」としてあったが、
「澪先輩に会いに行きたいから出ます」
と言って、弘前大学の医学部にいる岐部優海のように強行軍をしてくるツワモノもある。
優海は医学部の希望ではなかったが、清正が襲撃された件の際に医師たちの懸命な姿を見て、医学部を目指すことにしたらしかった。
「それで受けたら入れたんで、そこからはずっと勉強ばっかりしてて」
そういえば優海は今はメガネをかけている。
「なんかね、メガネかけたら雰囲気変わったねって言われて、今は彼氏も出来た」
スッカリ知的なイメージに様変わりしていたので、澪ははじめ分からなかったらしく、
「そんなに変わったかなぁ」
そこだけは少し複雑な心境になったらしい。
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