おぼろげな道行き

 夕日がすっかり燃え尽きると、夜が訪れる。海は凪いでいた。風もなく、ただ幽かな潮の薫る道を私たちは辿った。

 やがて差し掛かった異国情緒とネオンの光あふれるどぶ板通りを歩きながら、夕食を食べる店を探し回っていた。


 ここにはバーやカフェだけでなく、スカジャンなどのアパレルから不動産会社まで様々な店が所せましと並んでいる。


 しずくちゃんは先ほどから時雨さんの着物の裾を掴み、空いた手で熱心にスマホの画面に映る地図を眺めていた。


「次の角を左に曲がって、大通りのほう行って」


 近くに米軍基地があるためか、日の落ちた夜の飲み屋街は外国人の姿で溢れていた。なかには目があえば、気軽に話しかけてくれる人もいる。


「あ、こっちこっち。そこのハニービーってお店は、ネイビーバーガーを目の前で作ってくれるんだって。あたし、ネイビーバーガーとフレンチフライとコーラ」


 早くもメニューを決めたしずくちゃんが「早く早く」と私たちを急かす。


「寿葉さんも問題ありませんか?」

「はい。私も食べてみたいです、ネイビーバーガー」


 細い路地を抜けて、大通りに出てすぐにその店は見つかった。


 店内には焼いたパンズとパテのいい香りが満ちている。私たちはカウンター席に並んで腰かけた。時雨さん、しずくちゃん、私の順である。


「……しずくちゃん?」


 先ほどまで店員さんが焼いてくれるパテを眺めて、はしゃいでいたしずくちゃんは、いつの間にか口を閉じて机の上で組んだ指をいじいじとさせている。


「……あたし、やっぱり卒業したら家出る」


 そして、ぽつりとつぶやいた。


「後悔したくないから、やりたいことちゃんと探す。……あたし、たぶんお兄ちゃんみたいにできない。着物にも、お客さんにも、あんな風に向き合えない」


 困ったように、葛藤を誤魔化すようにしずくちゃんが微笑をこぼす。


「……あの着物、なにか憑いてたんでしょ? お兄ちゃん、昔からよく言ってたよね。でも、あたしには視えないの。だから、お兄ちゃんの後は継げないんだね。……それにほら、あたし、ホラー映画とか絶対無理だし」


 最後のは半分本音、半分強がりだ。その笑顔はどことなく痛々しくて、それでも晴れやかで目が離せない。


「しずくちゃんはしっかりしてるね」


 うっかりそんな言葉が口をついて出る。


 しずくちゃんはキッと私を睨みつけた後、気まずそうに目を逸らした。


「……あの、寿葉さん。昨日はありがと。……今までひどいこといっぱい言ってごめんね。あたし、本当は怖かったの。寿葉さんにお兄ちゃんをとられそうで」

「ううん、大丈夫」


 私がそういうと、しずくちゃんはほっとしたように笑った。それから、両手をググっと天井に向けてあげた。


「でも、あなたになら取られてもいい気がしてきた」

「取らないから、安心してください……」


 もう何度も繰り返したやりとりから、さらに一歩進んだ会話に私は思わず苦笑した。まさか、そう来るとは思わなかった。


「あーあ、でもどうしようかなあ。跡継ぎになれないなら、進路ちゃんと考えないと。やっぱり専門学校に行くのがいいかなあ? デザイナーとか憧れるけど……、勉強、今からでも間に合うかな」

「何事も学ぶのに遅いということはありませんよ。自分で決めたなら、わき目もふらずにやってみなさい」


 時雨さんは、まるで先生のようにしっかりしたことを言う。


 不可思議な経験を多くしてきたからか、この人は同年代の男の人達よりも大人びているような気がした。


 ふたりの話を聞きながら、私はちりちりと焦燥に焼かれる。


「明日、進路の先生と話さなきゃ」


 こんなに若い子も自分の道を探そうとしているのに。さんざん偉そうなことを言ったのに。私自身はまだどうしたらいいのかもわからないままだったから。


 はてさて、私はどこに進むべきだろうか。

 その道筋はまだおぼろげだった。

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