出張タイム

 翌朝のご飯は厚切りハムとチーズから始まる数種類のサンドイッチとミネストローネ。つけ合わせはヨーグルトソースの春野菜サラダを、デザートにはフルーツポンチを作った。


 厚切りハムと濃厚なチーズにミネストローネの酸味が合うセットだ。ミネストローネには大きめにカットしたウィンナーがごろごろと入っている上にとろけるチーズをまぶしてあるので、満足感もある。


 三ツ矢サイダーと刻んだ果実、それからシロップを混ぜ合わせたお手製フルールポンチは舌の上でしゅわしゅわとはじける炭酸を楽しめる。眠気覚ましにもちょうどいい上、朝からビタミンも取れるので夜更かしをした日の翌朝にちょうどいい。


 食卓にサンドイッチを並べていると、目をしょぼしょぼさせながらしずくちゃんが下りてきた。その目は少しだけ腫れてしまっている。


 もしかしたら、眠れなかったのかも。


 その後にいつも通り、完璧に支度を終えた時雨さんが続く。


 席に着いてお茶を飲み始めた時雨さんの横を通り過ぎたしずくちゃんが、流しに昨夜のアイスを乗せていたお皿とカップを置いた。


「……あの、おいしかった。ありがと」


 ぽつりとつぶやいた彼女は、そそくさと自分の席に着く。


「どういたしまして」


 私も彼女に答えてから、椅子に腰かけた。


 いつもどおり、三人一緒に「いただきます」と手を合わせて朝食をとる。おそらく、ここに私が来てから一番穏やかな空気の流れる朝だったと思う。


 しずくちゃんはなにか考え込むような顔で黙々とサンドイッチを食べ続け、やがてぽつりとつぶやいた。


「……お兄ちゃん。あたし、今日やっぱり学校行かない」

「しずく」


 咎めるように時雨さんが呼んでも、彼女の意思はすでに決まっていた。


「絶対、あたしも一緒に行く。あたしが買いつけた着物だから、最後までちゃんと見たいの。お兄ちゃんの仕事も……」

「僕の仕事を見てどうするんです?」

「それは見てから決める。これは一晩考えてあたしが決めたこと。この後どうするかも、ちゃんと考えるから。だからお兄ちゃん、お願い」


 真剣な顔で頼み込んだ彼女に、時雨さんはすぐには答えなかった。

 それでも妹の意思が変わらないとみると、仕方がなさそうに目を伏せる。


「……午後二時に先方のお宅に伺います。十二時半には家を出るから、それまでに支度を済ませておきなさい。学校には自分で連絡すること」

「……! うん!」


 そうと決まった私たちは、その後各々支度を済ませた後、鎌倉駅近くの定食屋で少し早めのお昼ご飯を済ませた。もちろん、三人そろって選んだのはしらす丼。


 それから、電車に乗って横須賀線を下ること二十分ほど。私たちは午後の横須賀駅に降り立った。


 降りてまず感じたのは、潮風だ。


 それもそのはず、ホームを降りると出口に向かって左手に海が広がっている。軍港だ。駅を出れば、海沿いに細長い公園が広がっていた。ヴェルニー公園という、横須賀市にゆかりのある外国人を記念した公園らしい。港には、港にずらりと並ぶ軍艦を臨めた。


 私たちは潮風に背中を押され、時雨さんの読み解いた地図を頼りに依頼人の邸宅へと向かう。


 そこは、駅にほど近いデザイナーズマンションだった。


 すっかり腰の曲がってしまった老爺がとおしてくれたリビングには、正面に大きな窓があつらえられている。その向こうにもまた先ほどの軍港が見えた。


 海風に揺れる水平線は日差しに輝いていた。


「すごい。軍艦がたくさん見えるんですね」


 思わず目を引かれた私に、花崎と名乗った老爺は優しく笑った。


「ここは昔から海軍の街なんです。自衛隊と米軍基地の両方見えるでしょう。帰りにはぜひネイビーバーガーや海軍カレーを食べてみてください。観光に来る人はみんな並んで食べていますよ。すぐそこのどぶ板通りに異国情緒漂うお店が並んでいますから、ぜひ」

「あ、それってよくテレビで見るやつですよね? お兄ちゃん、寄っていこうよ」


 しずくちゃんのお誘いに、時雨さんがちらりと私を見た。


 もちろん私も夕食の準備をしてこなかったし、大変興味をひかれたので即座に頷く。

 すると、今度は時雨さんがしずくちゃんに頷きの応酬をした。ひそやかに、夕食のメニューを決めた私たちは、勧められたソファに腰かける。


 お手伝いの女性が運んできてくれた梅昆布茶で一服した後、時雨さんは手荷物から一枚の風呂敷を取り出した。

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