十年ぶりに会った幼馴染が俺の事をすっかり忘れていた件!!

佐伯 侑

プロローグ、あるいは誰かにとってのエピローグ


 突然だが、俺は今、ある女を尾行している。

 おっと警察に通報しようとするのはよせ。その携帯は置いて一旦待ってくれ。べつに俺は婦女子を追いかけ回す変質者ではない。

 変態はみんなそう言う?いやいや違う。これには深〜い訳があってだな。

 ちょっと、コール音がしてるけど?

 俺の聞き間違いであることを切に願う。

 お縄に着きたくはないからここで君に自己紹介。俺の名前は 渡辺哲三《わたなべてつぞう》

 おっさんくさい?おいおい冗談だろ。まぁそう言われても仕方が無いが。

 俺は、とある事情で彼女──御子柴詩乃《みこしばしの》を尾行している。

 いや、だから最後まで聞いてくれ。俺はそこらのストーカーとは違うんだ。軽蔑するような目で俺を見ないでくれ。

 俺と彼女とは幼馴染なのだ。

 家が隣同士だったこともあり、幼い頃から彼女とは家族ぐるみの付き合いをしている。お互いにしのちゃん、てつくんと呼び合うほどの間柄で、れっきとした幼馴染だ。

 だがそれは所詮、過去の話。

 5年前。

 いわゆる「家庭の事情」で引越しせざるを得なくなった俺は、彼女と離れ離れになってしまったのだ。

 携帯電話なんて持つ年ではなかったとはいえ、連絡先を交換していなかったことを俺は激しく悔やんだ。

 その彼女を。詩乃を。5年振りに彼女の姿を俺は見つけた。

 場所はF町の住宅街。かつて俺達が住んでいた街からは遠く離れた場所だ。。

 だが見間違えるはずはない。

 あれは詩乃だ。

 あの頃より格好は少し派手になっているし、髪の毛も染めている。しかし、この5年間、常に思い続けた相手の姿を忘れるほど俺は耄碌していない。

 こうした事情で現在俺は、詩乃を尾行している。

 彼女の家を確かめたいし、今どうやって暮らしているのかも気になる。気を見計らって声をかけよう。

 幸い今の俺は、人を殺すようなこの夏の陽射しを防ぐためにサングラスをかけているし、昔から探偵小説に憧れて、視力はできるだけ落とさないよう気をつけている。

 あぁ、言い忘れていたが俺はアロハのシャツを着ている。

 ほら、こんな陽気な不審者はいないだろう?

 待て待て待て、余計気持ち悪いとか言うなよ。俺のピュアな心は傷つくんだぜ?

 この歳になってそんなこと言ってるのは気持ち悪いと言われても仕方ないが。

 なんて茶番の間にも、俺は彼女を追い続けている。見つからないくらい遠くに、しかして見失わないくらい近くで。

 彼女の足取りは迷いがなく、これは普段から通っている場所にむかっているのだろうと推測できる。

 そもそも街の中で彼女は何をしていたのだろうか。少なくとも俺が見つけた時には近くに男の影はなかったのだが。

 しかし、辺り一面住宅しかないような場所にいたということは、誰かの家──足取りを見るに、友人や恋人など親しい人間の家だろうか──にいたのだろう。

勝手な想像で嫉妬心を煽りながら俺はつけて行く。

しばらくすると、彼女は思わぬ場所へと着いた。

この場所がどこなのか。

そんなこと、俺にだってわかる。

白衣の天使の住まう、赤い十字架。

悠然とそびえる巨大な白い壁。

県内最大の総合病院である。

少し驚き、面食らっている間に彼女は病院の中へと消えていった。

見失ってしまったことに対して激しい戸惑いと驚き、後悔が押し寄せてくる。

慌てて近くの看護師に声をかける。

勿論ナンパじゃない。

「詩乃。御子柴詩乃って患者はどこにいる。」

「あら、貴方、あの患者さんのお知り合いなんですか?」

俺の剣幕に押されてか、看護婦はすんなりと教えてくれた。

「彼女、入院してるんですよ、この病院に。ご家族ですか?彼女のことがそんなに心配なんですね。805号室。早く行ってあげてください。」

彼女に「助かった」と礼を言い、足早に駆けようとした、その時。

「あと、それからね。」

彼女はとても重要な事を付け加えるかのように言った。

「今の彼女を見て、失望しないであげてくださいね。」


情報管理の杜撰さに感謝しながら俺は先を急ぐ。

805号室は8階のようだ。エレベーターの前には人だかりができており、しばらくは乗れないだろう。

それが焦れったくて、俺は階段をかけ登った。途中で何度か転びそうになって、とても焦った。だが、はやる心を抑えることは出来なかった。

体が悲鳴をあげつつ、息も絶え絶えたどり着いた、805号室前。

どうやら個室のようだ。

5年ぶりの再開。息を整え、身なりを整え。

精一杯元気な顔を作り、扉をノックする。

「よォ、詩乃、元気だったか。といっても、こうして入院してるってことは元気じゃないよなぁ。」

言いながらその扉を開け放つと──


文字通り誰もいなかった。

羞恥心で死にそうになった俺は、そこで彼女の帰りを待つことにした。いつかは帰ってくるだろうし、今のは誰にも聞かれていないはずだ。

近くにいた隣室の患者がクスクス笑っているように見えたのは、きっと俺の気の所為だ。そうに違いない。

彼女の病室の前でしばらく待っていると、看護師に連れられて彼女はやってきた。ずっと後ろから追いかけていたので気づかなかったが、顔立ちはずいぶんと大人しくなっている。

正確に言うと、大人しくなっている、というよりは──。

覇気が無くなっているのだ。消え失せている。気の強かった彼女の面影は、微塵もない。ただ聖人のようにニコニコ笑っている。それだけだった。

それでも信じられなかった、いや現実を直視出来なかった俺は彼女に声をかける。

「し、詩乃。久しぶりだね。5年ぶり、くらいかな。元気してた?あぁ、ここに居るってのとは元気じゃないってことだよな。久しぶりに見かけたもんだから、ついて来ちまったよ。」我ながら気持ちの悪い笑みを浮かべながら、そう言う。

 それを聞いたからかはわからないが彼女は無邪気に微笑んだ。

そして。

「どなたですか?」

 激しい衝撃が俺を襲った。

 彼女が──詩乃が俺のことを覚えていない、なんて。

 嘘だ。嘘だと言ってくれ。

 ずっと彼女を思い続けてきた5年間の想いが、ぼろぼろと崩れていく。

「どうして泣いてるの?」

やはり無垢な声は問うてくる。

わかってはいた。わかってはいたことなのだ。

もう会えない覚悟だってしていた。だけど。こんなのって。

「なぁ、俺をからかってるだけなんだろ?俺の反応見て楽しんでんだろ?なぁ。前みたいに俺をからかってくれよ、怒ってくれよ。さぁ!お願いだから!お願いだから、なんとか言ってくれよ…」

「え、えーっと、その。ごめんなさい。。私には貴方が分からない。分からないのよ。」

申し訳なさそうな表情をして、彼女はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「だから。今日のことは、私のことは忘れてください。」

「さぁ行きましょうか。」

看護師が詩乃にかける声ではっと我に返る。

「すみませんがそこ、通してくれませんか。

彼女がベッドに横になるので。」

え、あ、としか喋れない。

けれど、有無をも言わせぬその口調に、慌てて道を開ける。

「すみませんが今日のところはお帰りください。」

この日どうやって家に帰ったのか、全く覚えていない。


それから二ヶ月ほど経って、家に一通の手紙が届いた。俺はあの日以来、あの病院には行っていない。

変わってしまった詩乃に会うのが怖くて。

本当は分かっていたんだ。逃げてるだけだって。わかってくれなくても、覚えてなくても逢いに行くべきなんだって。でも、行けなかった。足がすくんで動けなかった。

差出人は、詩乃が入院している病院から。

訝りつつも開封すると、2枚の便箋と一枚の写真だった。

写真には、少しはにかみながら笑う詩乃が写っていた。続いて便箋に目を通す。

1枚は詩乃から。

『この前はごめんなさい。私はあなたのことをなんにも覚えていなくって。きっと、あなたにとって私は大切な人だったに違いないのに。あの必死さを見ればわかります。私はきっともうすぐ死んでしまうでしょう。自分の死期くらい、何となくわかるものです。でも悲しそうな顔はしないでね。みんないつかは死んじゃうんだから。それがちょっと早いだけ。生まれ変わったらまたお会いしましょうね。それでは。 詩乃より』

端正だったはずの彼女の字は震えていた。

その字と。内容を見て、俺はどうしようもない感情に襲われた。

もう1枚。こちらはあの時の看護師かららしい。

『先日は失礼しました。多分この書き出しは詩乃と近いものになっているのでしょうね。優しい人だから。覚えていないあなたのことにさえ、責任を感じてしまう。

そして、とても言いづらいことなのだけれど、詩乃さんは。彼女は、貴方への手紙を書き終えたその晩に亡くなりました。当直の看護師によると、綺麗な顔をして、満足したような笑みを浮かべて逝ったそうよ。

本人も死期を悟っていたんでしょうね。貴方が会いに来た日、死ぬ前に一度だけ1人で家に帰りたいって。そう言って家に帰ってたの。もちろん1人になんか出来ないじゃない?だから、私たちが遠くで見守りつつ、できる限り1人で家に帰らせてあげてたの。貴方は恐らく、その彼女の姿を見て追いかけて来たのでしょう。最後にあなたに会えたのは僥倖だったわ。たとえ彼女が覚えていなかったとしても、ね。』

読んでいるうちに目の前が霞んできた。気づくと目から、幾筋もの涙がこぼれ落ちた。

「何でだよ、なんでなんだよ!何であいつだけが…。俺を置いて逝くなよ…」

俺は、声を出して泣いた。一生分の涙を流したような気がした。変に意地など張るべきではなかった。ちゃんと、話をして。思い出させるための努力をして。忘れてしまった記憶を言い聞かせることだって出来た。

でも。俺はそれをしなかった。下らない自分の殻に閉じこもって。努力を怠って。結局彼女を死なせてしまった。

それを悔いて、悔いて、悔いて。

ただただ悲しみに暮れた。

結局その日は、日が暮れるまでずっと泣きはらしていた。


翌日。

俺はあの病院へと向かう。

いるはずがないのに、あの日彼女を追いかけた道筋を辿って。期待、という程綺麗ではない感情を抱きながら。病院に着いてエレベーターの方に目をやると、奇しくもあの日と同じように人だかりができている。ちょうどあの日もこの階段を登ったっけ。

そして16階──つまり屋上へと向かう。

8階までだったあの日よ辛いのは言うまでもない。

それでも必死に階段を上った。転んでも、へこたれそうになっても。

何回か階段から落ちてはしまったが、痛みでいっそう頭が冴えたような気がした。

どうしようもなく息が切れている。

激しくはぁ、はぁと肩で息をし、激しく心臓が鼓動するのを何とか抑える。

「やっぱ歳は超えられねぇか」

簡単に疲れ切る自分の体に苦笑する。

そして屋上に着く。屋上は転落防止の柵に囲われている。

震える体を何とかいなし、ゆっくりと柵を乗りこえる。

不思議と怖さは感じなかった。

「おい詩乃!俺もそっちへ行くから待ってろ!」

精一杯の笑顔を浮かべながら、目を瞑る。

一陣の風が吹く。

足を何も無い空へと踏み出し、体を落ちるままに任せる。

「なぁ、詩乃。俺、頑張ったよな?

あれからも、ちゃんと生きてきたんだぜ?

お前がいると思えば生きていられた。

でもさぁ。お前がいなくちゃどうしようもなく辛いんだよ。

なぁ、そろそろそっち行ってもいいよな」

地面に触れる刹那、どこかから彼女の優しい笑い声が聞こえたような気がした。

Fin.


「速報です。本日昼頃、県内在住の渡辺哲三氏(85)が亡くなりました。彼はF町総合病院の屋上から飛び降りたと見られ、当病院の屋上には遺書と見られる手紙が置かれていました。

手紙には、2ヶ月前に老衰で亡くなった御子柴詩乃さん(85)の後を追う、といった内容が記されており、警察は自殺として捜査を進めています。」


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