インターリュード

 歌舞伎者ダリル

 得体の知れない異形の者。

 世間のまともな関わりを全て捨て去った者。

 侮蔑と、そして畏怖の対象。

 

 歌舞伎者ダリルとは、大衆から見れば得体の知れぬともがらなのである。

 

 理解できないものは怖い。

 けれど同時に奇想天外な武勇伝は日々の退屈しのぎとなり、分別を知らない童はその英雄譚に目を輝かせる。

 

 メナシェは、自らのことを歌舞伎者ダリルだといった。

 その様子には子供特有の無鉄砲さはあるが、しかしその実歌舞伎者ダリルの娘であることの哀愁は根底に存在しているように思えた。

 この娘は、そういうことを理解するだけ利発な頭を持っている。

 

 メナシェと、その親父の道化イサイは、おれの行く先々に現れる。

 まったくもって妙な話だ。

 

 おれの足に追いつくような真似ができるのは、周到におれのあてどをよむ犀利騎士小隊ヴァルガヴァぐらいのもんだった。

 おっさんたちとの鼬ごっこはさておき、今日会ったばかりの連中が三度もおれの前に姿を見せたってのは問題だ。

 

 一度目は騎士カルキが鳴らした角笛から逃げ仰せたとき。

 二度目は酒場から抜け出したとき。

 どちらも、追っ手を巻く手順はきちんと踏んでいた。

 

 そして今度も、おれが酒場に戻ることさえ先回りして、この餓鬼はしれっと座って待っていやがった。

 

 メナシェは、何者だ?

 いや、そもそもあのイサイとかいう道化だ。

 

 奇怪な道化のつらを思い返していると、気がつけばおれは胸のうちに大きく息を溜め込んで、次のひと息で疲れたため息がでた。

 

 目の前でくるくると回る薄葡萄色の傘を見ながら、野郎、厄介なもんを押しつけてくれやがった、とつくづく思う。

 おれの悲哀を後押しするように、足下から壊れた弦楽器の高音みたいな不吉なものが聞こえてくる。

 見下ろして、もう一度息をつく。

 

 折角の大一番の前だ。

 それなのに、おれがしていることっていえば餓鬼と猫の番だぜ。

 泣けてくるね。

 

 爪先で小突いてやろうと一蹴する。

 黒猫は易々と飛び退いてそれを避けた。

 小憎らしい猫畜生の背中を見ているのも不快で、おれは仕方なしに水辺に視線を投げた。

 

 大空洞の端を流れる温水の川、アムカマンダラを象徴するパナジー河は、やがてこのパンパワッド沼に流れ込む。

 地表にあれば湖とも呼ばれそうな帯水層であるパンパワッド沼は、闇の中にあってその果ては見えない。

 

 アムカマンダラの灯台の光すら遠くに霞むだけの、大空洞の果ての果て、地底の闇にここは包まれている。

 それでもここには人が住みつく。

 僅かばかりの光が哀れみのように湛えられているからだ。

 

 天井に張りついた天体苔。

 淡く光る苔はハリボテの星空を満天に描き、そいつは広大なパンパワッド沼の輪郭をにわかに浮かび上がらせる。

 石造りの傾いた廃墟の群れ、人々の住み処だ。

 

 本来パンパワッドは、大きな地底都市だった。

 ぬめぬめとした水面が広がる中に一際目立って天井に向かう石塔は、大勢の人を乗せる浮遊艇の駅だった。

 浮遊艇なんていかついものが現れるのは、よほど地上との行き来が盛んな場所だけだ。

 それだけ大きな街だった。

 

 今や見る影はない。

 沼は、はじめ街の中心に設えられた池だった。

 けれど豪雨による地下水の増加に耐えきれずに街は沈んだ。

 中心部が氾濫で死ぬとその周辺も静かにかがり火を消し、瞬いていた大光玉は取り上げられ、不届き者のための無法地帯となった。

 

 眼下に広がる闇色の沼、そのすぐ近くまで突き出た家々、島のように水面から飛び出す鐘楼や寺院の頭。

 それらに、不気味な静けさを条件に人が集まる。

 

 祭りになればここの住人も光の下へ這い出てくるだろう。

 不用意な浮かれ者の懐にあるものを狙って。

 熱に当てられ緩んだ女どもを目当てに。

 

 今はそのときを待って、静かに蠢いている。

 

 こんなところに押しやられるような連中は、本当の意味で孤独だ。

 孤独は命の危機に直結する。

 それでも孤独は気持ちがいい。

 

 気づけばおれは、パンパワッド沼が静かに廃墟に打ちつけるごみを、ぼんやりと眺めていた。

 

 

「千年亀は? ここにいるの?」

 

 

 耳障りな水音を縫って、メナシェの声が聞こえてきた。

 見上げる顔は、おれという人間をいまだ警戒しながらも、旺盛な好奇心に敢えなく破れ去った情けない緩み顔だった。

 今のメナシェは、興奮を押さえきれないただの子供でしかないってわけだ。

 

 

「この狭さじゃ奴さんは収まり切らない」

 

 

 おれは大きな廃墟が沼の上に突き立つ眺めから目を離して、反対側を顎でしゃくった。

 

 

「あっちだ」

 

 

 塔状の廃墟をアムカマンダラ側へぐるっと回ると、沼の開けた部分が見える。

 沼から建物が顔を出していないのは、丁度かつてのパンパワッド池にあたる部分だからだ。

 

 おれたちがそちら側に近寄った時に、沼の中央辺りでぱぱっと影が跳ねた。

 魚だ。

 と思ったのも束の間、次の瞬間にはどでかい巨人の親指みたいなものが、水面を弾け飛ばして現れた。

 

 緑色の深い皺を幾重にも刻み込んだその指先は、腹の辺りが裂けたかと思うと、魚の跳ねた辺りを水ごとばくりと飲み込んだ。

 そいつにぎょろっと青く光る目玉が現れた時、おれたちはそれが亀の頭だと言うことを理解する。

 

 

「わ、すごい!」

 

 

 波の音を引き起こして水面に沈む頭に向かって、メナシェが歓声を上げた。

 黒猫まで一緒になって沼に近寄ろうとする。

 おれは慌ててメナシェの首根っこを掴んだ。

 えぐっと首を絞められるようになった奴が、少し咳き込みながらこちらを振り返り、得意のメンチを切った。

 

 

「なにすんだ!」

 

「まわりをよく見てみな」

 

 

 おれはメナシェの目を睨み返す。

 絹糸みたいな金髪ごと頭を鷲掴みにすると、そいつらの方へぐいっと向けさせた。

 

 メナシェの目にまず飛び込んだのは、ぬらりとした黒い肌をさらけ出す男の、メナシェに向けられた白い目とその耳から垂れ下がる大きな金の輪だ。

 そいつは肩まで届くような輪を両耳に揺らしながら階段に腰かけていて、静寂をつんざいた子供を睨みつけていた。

 

 隣には、びっくりするほど青白い顔をした男がその肌を闇に浮かび上がらせていた。

 こいつは頭に古ぼけた王冠を被り、男爵みたいな髭はどう見てもペンキで描いたものに見える。

 

 歌舞伎者ダリルだ。

 

 よく目を凝らせばやや幅の広いその階段には他にも数人の影があった。

 一様にぎらつく眼光をメナシェに向けている。

 

 メナシェはそれらをひとつひとつ確認していていくと、言葉を失って後ずさった。

 その頭を抑えつけて、おれは連中に挨拶がてら声をかける。

 

 

「糞餓鬼が失礼した。どうぞ引き続き願掛けに精を出してくれ」

 

「ここは珍獣の遊覧会場じゃねぇ」

 

 

 奥から険のある声が飛んでくる。

 おれは肩をすくめて見せるが、どうせ偽物の星空の明かりじゃばれやしない。

 

 

「よく言い聞かせておくさ」

 

「ついに当たりを引いて身籠らせたのか? 猫連れのディディ」

 

 

 蛇が頭をもたげるような気味の悪い抑揚で声をかけてきたのは、耳たぶに千切れそうな輪っかをぶらさげたいかれ野郎だ。

 

 

「パパらしくしっかり抱えて黙らせときな」

 

 

 ひねた笑い声が、闇の中からくつくつと聞こえてくる。

 

 

「パパだぁ?」

 

 

 

 冗談でも聞きたくなかった台詞だ。

 おれが父親だと?

 こんなこまっしゃくれた餓鬼の?

 その上言うに事欠いてこの輪っか野郎、人を愛猫家みたいに呼びやがった。

 おれは猫が嫌いなんだ。

 

 眉間に皺をつくっていれば、鈴みたいな声がからんと言い返した。

 

 

「この優男が、所帯を持てるもんか」

 

 

 メナシェはいうと、見下ろすおれの目線を突っぱねるようにつんと横を向いた。

 

 一瞬、思考が止まった。

 頭に血がのぼったとかそういうもんじゃない。

 その言葉回しに、覚えがあった。

 古い記憶の中の人物に、抑揚まで瓜二つで、メナシェはその言葉を言い切ったのだ。

 

 ゆっくりひと息分だけの懐古があった。

 そしてそれが必要のない記憶であるということもすぐに思い出していた。

 

 ああ。

 そんなこともあったさ。

 でも思い巡らせる時間がいるほど、関心のある話じゃない。

 そのはずだった。

 

 でもなぜ、おれはこんな不要な回想をした?

 よく見れば、メナシェは冷ややかな態度を装っていてもその鼻はぷっくりと隠しきれない興奮を露呈していた。

 なにを喜んでいやがるのかは知らない。

 が、その顔の背け方はとにかく古い知り合いを思い起こさせた。

 

 イサイは確かこういった。

 

 

「おいらは聞いたんだ。吟遊詩人から、黒風のディディと、その相方アニタの活劇をさ」

 

 

 イサイがディディを模倣するならと、メナシェはその連れを真似たって寸法か?


 なるほど。

 そういうことからメナシェが学びとった結果というなら、子供の熱意というのは馬鹿にできない。

 認めよう。

 余計なことと言わざるを得ないが、もの覚えの良い方じゃないおれが回顧するほどメナシェの身ごなしは洗練されていた。

 イサイのしつけの賜物か?

 笑えるね。

 

 でも、それもどうでもいいことさ。

 おれは昔を振り返らない主義なんだ。

 

 

「餓鬼、面白いことをいうな」

 

 

 輪っか野郎は低い声で笑った。条件反射のごとくメナシェが声を上げる。

 

 

「餓鬼じゃない、あたしはメナシェ!」

 

「メナシェ?」

 

 

 奴らがやり取りを始めてもおれはなんとなく小娘を眺めていた。

 呆けたおれをふと我に返らせたのは、背後から感じる強い視線だった。

 振り向くと、猫がおれの顔を真っ直ぐ見ていた。

 

 いつもよく喋る黒猫が耳障りな鳴き声を上げることもせず、ただただじっとこちらを見据えている。

 暗がりの中だからか、その瞳孔は真っ黒に開ききっていた。

 

 この不吉な生き物は、たまにこういう顔でおれを見ている。

 まるでなにかを見透かしているようにだ。

 胸糞悪い。

 

 おれがその顔をつつき出してやらんとばかりに足蹴にすると、猫はまたしても軽くおれの脛を飛び越えてみせやがった。

 

 

「メナシェ。聞いたことがある名前だ」

 

 

 ほとんど唇を動かさずしゃべっている輪っかの言葉は聞き取りづらかったが、確かにそいつはそういった。

 

 

「イサイの娘か?」

 

「知ってんのか」

 

 

 驚いたおれは思わず振り返ると、野郎はゆっくりとこちらを見上げて意味ありげに笑った。

 

 

「金を貸してる」

 

 

 さあっと風が入り込んで、薄ら笑いを浮かべる奴の金ぴかの輪っかが揺れた。

 拍子抜けしたこの場のために流れ込んできたような風だった。

 けれど実際のところは、風はそんな能天気なものではなかった。

 

 水底に重荷が落下したような、厚い音が空気に反響した。

 風が一気に強くなって、おれはばたっと羽ばたくように波打った羽織を抑える。

 同時にパンパワッド沼が騒々しく水面をざわめかせ始めた。

 

 ここに浮遊艇の駅たる巨大塔があるということは、過去に浮遊艇が降り立っていたということだ。

 地底街の狭い空を飛ぶことが出来ない大型船がどこから来ていたか?

 広い広い空がある世界から舞い降りていたに他ならない。

 

 風は、天井に空いた大穴から吹き込んできていた。

 次第にごうんごうんと何者かの心臓が躍動するような音が聞こえてくる。

 ぽっかり開けた闇の縁から、やがてそいつは姿を表した。

 

 赤銅色の船体が竜骨からそそり立って、船尾には青い牛の頭が首を伸ばす。

 反対側の船首には象の骨が長い牙を苛立つように掲げている。

 甲板に帆の代わりに座り込んでいるのは、瓦屋根の荘厳な建物だ。

 紅緋の柱の上にはこき色の屋根が広がり、階層ごとに豪奢な金の動物が頭を振りかざしていた。

 大鶴、麒麟、龍、そして頂上に祭り上げられて揺れる鐘の、さらに上には──蝙蝠コウモリが翼を広げていた。

 

 大型船とそれに鎮座する多層塔という世にも奇妙なもの。

 浮遊艇であり、水上歓楽船といわれる帆のないジャンク船、ファリードだ。

 

 波打ち際にいる誰しもがその姿を見上げて静かになっていた時、ファリードの鐘が、終末を知らせるかのように厳かに残響を振り撒いた。

 それは千年亀の就業を知らせる、亀にとっては呪いの鐘だ。

 ファリードが沼に着水すると、少し離れた位置に千年亀がしわがれた頭を覗かせた。

 これから奴は手綱をつけられ、アムカマンダラに向かってパナジー川を逆流していく。

 哀れな奴は、今はあの船の長の下僕だった。

 

 ソソ。

 それが、あそこの全てを支配する者の名だ。

 

 さざ波を立てた沼は、徐々に波を緩やかにしていく。

 やがてファリードで奏でられている華やかな音楽が、おれたちの耳まで届くようになってくる。

 それらと行動を共にするように、影が幾つかファリードの甲板を飛び立った。

 

 翼を広げてこちらへ飛んでくる人影のようなものは、間もなく半鳥ガルダ飛籠とびかごであることが確認できる。

 

 半鳥ガルダが強く羽ばたくと、朱色の羽がその腕からぱらぱらと落ちた。

 腕にあたる部分がそのまま翼になった魔族アスラ半鳥ガルダは、鉤爪のついた足に身の丈の倍以上ある籠を吊り下げて飛んでくる。

 

 二人連れの半鳥ガルダは、こちらに近づくと翼を忙しくばたつかせ、おれたちのすぐ側に木組みの籠を乱雑に引き摺らせた。

 

 

「乗船する奴は順番に来な」

 

 

 女顔の半鳥ガルダが、降り立つなり不機嫌そうにいった。

 

 

 「男は一度に四人までだ。つっても、男ばっかりだろうけどねぇ」

 

 

 いってしまってから、半鳥ガルダは走らせた糸目をメナシェに止める。

 蒼みがかった長い髪を肩口から垂らして、半鳥ガルダは人より一周り小さい顔をメナシェに近づけた。

 メナシェが顔を強張らせるのにも構わず、半鳥ガルダは細い眉を吊り上げる。

 

 

「餓鬼?」

 

「こいつは立派な歌舞伎者ダリルなんだぜ。レヴ」

 

 

 メナシェが余計なことを口走る前に、おれは半鳥ガルダに説明した。

 

 

「もしそうなら、乗船の権利もあるはずだろ?」

 

「おまえかい、猫連れのディディ」

 

 

 レヴはほとんど線になってしまうくらい目を細めておれを見た。

 

「ついに子供にまで手を出すようになったってわけ?」

 

「ああ。おまえがなかなか誘いに乗ってくれないもんだからな。妙な趣味に目覚めちまったぜ」

 

 

 ほとんどやけっぱちを起こしていたおれは自嘲気味に笑うしかないと思った。

 猫と餓鬼の方から戦慄と憎悪の視線が突き刺さるのも、知ったことではない。

 レヴが鴉みたいな声で高笑いする後ろでは、歌舞伎者ダリルたちがずんずんと籠の縁を跨いで乗り込んでいく。

 

 

「お似合いだよ、ディディ」

 

 

 捨て台詞のようにいうと、後ろの確認もせずにレヴは飛び立った。

 相方の半鳥ガルダも示し合わせたように羽ばたく。

 飛籠とびかごを運ぶ半鳥ガルダの阿吽の呼吸はどう成り立つのか聞いてみたいところだが、レヴたちはそんなおれを差し置いて波打ち際の階段から荒々しく飛び上がると、ファリードに向かって飛び去っていった。

 

 さて、問題はこれからだ。

 

 おれはレヴたちの次の便を待ちながら淡黄の光を放つ水上歓楽船を眺めた。

 あのソソを相手に、どう切り抜けたもんだろうか。

 

 

「やっと、乗れるんだ」

 

 

 思案に耽るおれの横で、メナシェが呟いた。

 

 やっと?

 振り向いたおれを気にも留めない様子で、メナシェは魅入られたような表情を浮かべていた。

 

 メナシェのその言葉がなにを意味するのか。

 それを知ることもなければ、おれはイサイとの義理を果たしてこの親子とはそれっきりになっていたに違いない。

 けれどおれはその後すぐ、メナシェの言葉の意味を知ることになる。

 

 パンパワッド沼は、相も変わらず濁った音と一緒に黒く小さな波を廃墟の街に打ちつけていた。

 そのうねるような様を見ながら、おれを突っぱねたメナシェの横顔が、未だ頭の中から追い出せずにいた。

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