一、黒猫カーリーの聞き耳

 小生は猫である。

 

 それも絶世の美猫である。

 そのうえ人の言葉を操るという空前絶後の頭脳をもっている。

 人のように、笑顔を振り撒きさえする。

 

 猫が笑うところを見たことがあるだろうか?

 

 ふむ。

 そんな人間はいないだろう。

 

 猫は音もなく笑うのだ。

 目を細めてにやりとする時も、思わず口を開けて笑う時も、猫は鳴き声などださない。

 それは一瞬だ。

 だが猫のもっとも美しい動作でもある。

 

 猫は笑う瞬間を誰にも見せない。

 飼い主にも、同胞にも、わんこにも見せることはない。

 猫の尊厳が他者の視線に晒されることを許さない。

 猫の美意識は猫だけのものなのである。

 

 小生についていえば、笑っていようがいまいが美しいということもあり、その点についてはひとつの諦めに達している。

 小生はもともとが喜びあふれる愛と光の象徴といえるほど美しいわけだから、そういう拘りもあまりない。

 

 だから小生は人前で笑ってみせる。

 婦女子などは思わず駆け寄ってひと撫でする。

 たとえ毛並みが黒くたってそれが自然なことなのだ。

 

 その小生が、である。

 

 甲斐甲斐しく、いじらしく声をかけてやっているというのに、我が飼い主は返事のひとつも寄越さない。

 その無愛想は百歩譲って良しとすることにしよう。

 しかし時より小生を見下ろす眼差しに侮蔑の色合いが含まれているというのはいかんともしがたいことだ。

 

 咥え葉煙草ビデイに煙を漏らし、ふてぶてしい顔で通りをゆく。

 男は名をディディという。

 

 ディディはごろつきで、ろくでなしで、ぐうたらと時間と酒を消費する世のつまはじき者である。

 

 その日その日を風の向くまま気の向くままに歩いては酒を飲み、銭のあまり入っていない財布をひっくり返して甘味を食す。

 世間様の役に立つような労働に従事することは決してなくむしろそんな凡庸さに反旗を翻すように享楽的に生きる。

 

 つまりはのんしゃらんな無駄飯食らいというやつだ。

 

 格好も異風極まるはみ出し者のそれだった。

 

 ここシバ市の人々は素朴な色合いの服を好んで、この時期はだぼっとした腰布に麻の衣をゆったりと着る。

 ディディのそれはちかちかするような縦縞がついていて、その上に身に付けている胴着は、赤豹のなめし革に毛皮を逆毛立てたようなのがついている。

 

 その背に羽織る色艶やかな長着はサチ市のあたりの伝統衣装だ。

 ゆるやかに風に舞う黒い着物には花が舞っていてまるで風を連れて歩いているようにも見える。

 

 この男にしてはしゃれた一着だ。

 だがすべてを合わせて眺めてみれば、それはただのしっちゃかめっちゃかな郷土服のごった煮に過ぎない。

 極めつけの足元には、からんころんと歩くたびに楽器のような音を鳴らす奇妙な突っ掛けチャッパルときた。

 

 人の世では、こういう奇妙な格好を好み人の営みを外れた連中を、歌舞伎者ダリルと呼んだ。

 

 歌舞伎者ダリル

 おお、歌舞伎者ダリル

 甘美な響きだ。

 

 歌舞伎者ダリルの熱は世間の怒りだ。

 彼らは、民衆を組み敷かんとする時の権力者を相手取って狡猾に軽妙に立ち回る。

 歌舞伎者ダリルの魂は歌舞伎者ダリルだけが持ち、決して明け渡さない。


 そのみょうちきりんな佇まいは人々の目を拐い、奇想天外な曲芸は群衆の喝采を得た。

 そうした疎ましいものを排除しようとする力の持ち主をからかってみせた。

 英雄のような者まで生まれたらしい。

 

 興味深い話ではないか。

 大いなる創造神の逆鱗に触れさえしそうな生き方をする歌舞伎者ダリルが人々に愛されている。

 無数の市民を一部の都市議員が牛耳っているこのウヴォにおいて、なんとも痛快な話だ。

 

 小生がディディと出会った時、こいつは自らのことを盗賊だといった。

 

 なるほど、格好は珍妙、言動は粗野でいかにもな無頼漢といったこいつにはぴったりの生業だ。

 そう思った。

 盗賊なんてものはハヌディヤー通りでは珍しくもないし、騎士団カルキジャーチへの期待をとうに捨てている通りの人間は自分の身は自分で守るということを生きていくために当たり前としているくらいである。

 

 しかしだからといって“ただの盗人”と一言で片付けてしまえるほどこの男の内包する世界は浅くも狭くもないのではないか?

 そうであればこいつこそが悪名高い(これは権力者にとって、という意味だ)歌舞伎者ダリルではないのか?

 風貌はそれらしく奇抜だし、なにより小生の勘がそう告げている。

 

 はじめてディディと相対した時に、その灰色の瞳が写し込んだ世界を目の当たりにして、小生の耳のあたりにぴりっと降りてきた直感。

 それひとつを信じて、小生は野呂猫という気ままな身分を棄てこの男の飼い猫に下ったのである。

 

 面白いものが見れる気がする。

 小生をその気にさせたのは強い予感たったひとつに尽きた。

 

 小生の直感は大抵当たるのだ。

 そう、今回も我が見立てに狂いはない。

 そのはずだった。

 

 小生はちらりと、横を歩く男を見上げた。

 

 ディディは、無精髭の生えた顎をぽりぽりと掻いた。

 黒い惣髪を垂らして、黒い眉の下の瞳は相変わらずの灰色だ。

 その覇気のない視線と目元のくたびれっぷりは、少しディディを老けてみせると我輩は思う。

 

 顎を掻く反対側の手には空の瓢箪が未練たらしく握られていた。

 虚ろな視線は落ち銭をさがして地面をねめつけるように這っているし、半開きの口からは涎が垂れそうだ。

 

 姿勢は猫の小生から見ても猫背である。

 

 小生は情けない思いに顔をしかめた。

 そうしてつい説教じみたことを口にする。

 

 

「もう少ししゃきっとできんのか。そんな形相では、幸運の女神も逃げ出すぞ」

 

「猫畜生が指図するんじゃあねぇ。やかましいことをのたまると、絞めて食っちまうぞ」

 

 

 ぴたりと小生に止まったディディの三拍眼は、極度の空腹からくる暗い欲望に歪んでいるようにみえる。

 

 ひゅっ、と冷たい空気が背中のあたりを撫でた。

 

 この男は今、愛玩動物の頂点に立つ猫の小生を、食うと、そういった。

 それも特別美しく賢い小生を。

 

 そのぎらつく視線は冗談ではないことを物語っている。

 小生は戦慄し、ぶるっと身震いをした。

 

 人間という奴は食い詰めるとどこまでも罪深いことに手を染めるらしい。

 まったく数奇な生き物である。

 

 ディディはからんころんと奇妙な靴音を立てながら通りを歩いてゆく。

 

 食い詰めた荒くれなんて生き物は、まともな慣習を持ち合わせている者であれば近寄りたくもないというのが常だろう。

 ところが、このハヌディヤー通りにおいてすれ違う者は同じ穴の狢でしかない。

 

 建物の一階では職人が開けた空間で作業していたが、それも街に定められた共同体ジャーチに所属しているのか怪しい風体の連中ばかりだ。

 

 少なくとも小生は足馬ケンタウロのベルト工は初めてみる。

 妙に高価そうな金細工や古ぼけた剣まで奇天烈な品揃えの店は、どう見ても盗品を扱う商店だ。

 格好に気を使う歌舞伎者ダリル向けにか、卑しい床屋があちこちに店を開いていたし、いかがわしい湯屋と娼婦の組み合わせを見るのは、通りに足を踏み入れてから三度目のことだ。

 

 道端で、横たわった豚の頭に向かって刺青だらけの巨漢が大槌を打ち下ろしていた。

 なんとも雑な屠殺を、白昼堂々行うものだ。

 すでに腹を切り開かれ見る影もなくなった豚がだらりと宙吊りになる前で、先ほどぶちかまされた豚が巨漢によって喉笛を切られて道に血を垂れ流し、絶命していった。

 

 赤黒いその一帯をディディは気に留める様子もなく歩いて行く。

 絞めて食っちまうぞ、という言葉が寒気とともに思い出される。

 

 こうした地下の貧民街に縁も所縁もないウヴォ市民は、ハヌディヤー通りに住むような者たちを十把一絡げにして歌舞伎者ダリルと呼ぶ。

 それはどちらかといえば貧困の徒を線引きする含みがあり、本当の意味での歌舞伎者ダリル にハヌディヤー通りの住民全てが当てはまるわけではない。

 

 本物の歌舞伎者ダリルを見極めようとすることは、困難を極める。

 

 浮き世の片隅に追いやられてしまった鬱憤を晴らすかのように、奇抜な容姿に身をやつす者はここには多い。

 小生の研究によれば、歌舞伎者ダリルの誇りは本来その精神性であり、破天荒な居住まいはおまけに過ぎないはずである。

 

 視界の隅で、ディディは空腹に干上がりそうな顔をしている。

 果たしてこの男は、歌舞伎者ダリルといえるのだろうか。

 そのみっともない牛歩は、とても小粋な伊達男とはいいがたいものがあった。

 

 こいつは本当にただの盗賊で、道行く人々の懐をちょろまかすつもりなのかもしれなかった。

 それはそれでなんともありふれた光景ではある。

 が、小生の見込みもまた凡庸であったということになる。

 

 怪しい雲行きに小生がひとり目を細めていた、その時だった。

 男の怒鳴り声が、小生の耳に放り込まれてきた。

 

 

「今、なんといったと聞いている!」

 

 

 ふと視線を上げると、雑多なハヌディヤー通りの店のひとつに、銀色の体躯を光らせる騎士カルキが三人ほど詰めかけていた。

 

 店は、看板の代わりに染め物を並べる仕立て屋で、美しく染め上げられたカラフルな綿布が軒先にタープのように垂れ下がっていた。

 その入り口にある会計台でいかつい顔をつき合わせているのが、騎士カルキらの中でも一際角張った鎧を来た者と、店主らしい気弱そうな男だった。

 

 

「だから、その外套マントのお代を……」

 

「お代だと? 我輩は、騎士団百人長カルキジャーチ・バッタぞ。その我輩に対して金をせびろうというのか?」

 

 

 一際尊大な態度の騎士カルキが、鼻下に伸びた少々立派すぎる髭を揺らしながらいった。

 他の二人が簡易的な装備であるのに比べて、角装飾つきの兜を被った全身甲冑で、街中ではかなり目立つ。

 

 店主は浅黒い顔を青くして言い募った。

 

 

「そうでなくちゃあ、生活がままならないだろう」

 

「ほう、ふむ、なるほどな」

 

 

 騎士団百人長カルキジャーチ・バッタと名乗った男は意味ありげに呟くと、顎に手をやって目を細めた。

 

 

 「煙人間の分際で、あくまで騎士団カルキジャーチに楯突くと、そういうのだな。貴様」

 

 

 よくは分からないが、なにやら揉め事であるのは確かだ。

 

 そもそもハヌディヤー通りに騎士カルキがいること自体風変わりだ。

 小生が調べをつけたところによれば、ハヌディヤー通りは通称“見捨てられた街路”と呼ばれていて、騎士カルキによる治安維持はろくになされていない。

 ましてや、これ見よがしに己の地位を誇示するような角付きの騎士団カルキジャーチが歩いているなんて眺めは、物珍しさを通り越して滑稽にすら見える。

 

 髭の騎士カルキは、これでもかと胸を反り返らせて仕立て屋の親爺を見下ろしていた。

 銀の小手のついた左腕が、軒先に垂れ下がった生地をひらひらと揺らす。

 

 

「貴様、在籍している共同体ジャーチをいってみろ」

 

共同体ジャーチだって……?」

 

「いえんのか?」

 

「そりゃあ、シバ市壱階層エクツーン、東部仕立て屋共同体ジャーチだ……」

 

「ほう、壱階層エクツーン東部? 間違いはないのだな?」

 

 

 髭の騎士カルキは底意地の悪い笑みを浮かべると、後ろにのっそりと立つ二人組を振り返った。

 

 

「おい、うぬら。この親爺にこの辺りの仕立て屋共同体ジャーチを教えちゃれ」

 

 

 わけ知り顔に鼻息を荒くさせる髭の騎士カルキとは対照的に、太っちょと痩せっぽちの騎士カルキ二人は、目をぱちくりさせながらお互いの顔を見合わせた。

 やがて痩せっぽちの方が間延びした声で、なぜだか照れ臭そうに口を開いた。

 

 

「自分、新前なもので」

 

 

 続いてしゃべった太っちょは、聞いたことのない抑揚で、呪文のように聞き取りづらい声を出した。

 

 

「おら、分かんねぇっす。ポルパ百人長バッタの方でおねげぇします」

 

 

 突飛な返答に、髭の騎士カルキは呆気に取られたように目を点にした。

 ゆっくりひと呼吸の間息を止めていた騎士カルキは、やがてわなわなと肩を振るわせた。

 

 

「勉強しておかんか、ばかもん」

 

 

 悲鳴に似た怒鳴り声が、ハヌディヤー通りの上空を岩壁にまでこだました。

 

 格好はつかないが、しかしどうやらあそこで行われているのは、騎士団カルキジャーチによるゆすり行為のようである。

 白昼堂々とやるあたり大した胆の座りようだが、それもこのハヌディヤー通りなればこそなのかもしれない。

 

 煙人間、と呼ばれていたように、会計台にはパイプとそれに詰めていたのであろう藤黄の燃えカスの山があった。

 ハヌディヤー通りでは当たり前の光景でも、騎士団カルキジャーチにとってはそういった土地柄の暗黙の了解は子供のままごとの取り決めに等しく無意味なものだ。

 

 ポルパと呼ばれた髭の騎士カルキは、ハヌディヤー通りの住人の目が集まるのも構わず唾を散らして怒鳴り続けていた。

 ディディはそんな彼らのやり取りを見ているような見ているようなそうでないような、相変わらず虚ろな目でふらふらとさまよっている。

 

 このたわけどもが。

 ポルパはひとしきり二人の手下を叱り飛ばすと、ひとつ大きな咳払いをした。

 

 

「この辺りの洋裁師は、全て壱階層エクツーンパナジー川仕立て屋共同体ジャーチに属している! 東部と南部が統合されたのは去年の話だ。親爺。共同体ジャーチに属していながら、かような大事を知らなかったのか? おかしいな。実におかしい。のう親爺、はっきりさせようではないか。共同体ジャーチに属さずに商売をするということがどういうことか、知らぬわけではあるまい?」

 

 

 親爺は口を堅く結んでうつむいた。

 虚ろな瞳を揺らしながら、親爺はパイプに手を伸ばした。

 

 それは習慣的なものだったのだろう、不安と緊張にやり込められた自分を落ち着かせるために、ついそれを咥えようとしたのだ。

 しかし、ポルパはそれを許さなかった。

 

 親爺の皺の寄った手をぱん、とはたいて、顔を覗き込む。

 

 

「素直にこちらを渡すのであれば、寛容な我輩は貴様の素行のすべてに目を瞑ってやろうではないか?」

 

 

 親爺は、やはり青ざめた顔でポルパを見返した。

 

 ポルパの手には、いかにも触り心地の良さそうな光沢のある生地が握られていた。

 遠目にも安物という感じはしない。

 場末の商店にはまったくといっていいほど似つかわしくない物だ。

 売り物ですらないのだろう。

 

 うつむく店主の顔には苦渋が浮かぶ。

 

 小生の耳には、通りの人々のざわめきがあちこちから聞こえてきた。

 様々な者が、足を止めたり家から出てきて仕立て屋を遠巻きに眺めるようにしている。

 

 鶏冠頭の軟膏屋は、煙管をくるくると回しながら鋭い眼光を光らせているし、豚を屠殺していた刺青の巨漢は大槌を担いで仁王立ちになっていてまるで鬼のようだった。

 馬足ケンタウロが軒下から出て来て立ち上がると、巨漢よりも更に一回り背丈が大きく圧迫感のある壁となった。

 

 小生は件の歌舞伎者ダリルの検討をそのあたりの無頼漢たちにつけて、ことの成り行きを見守ることにする。

 

 

「なにが、寛容だ」

 

 

 仕立て屋の親爺が、声を絞り出した。

 その額には汗さえ浮かんでいる。

 

 ポルパは侮ったように耳に手を当ててはあ、と聞き返した。

 

 

「そこらの連中だって一緒だ。ここにまともな共同体ジャーチにはいってる奴なんて一人もいない! あんたは、ここの住人を一人残らずしょっぴくとでもいうつもりか?」

 

 

 親爺の大声に、通行人や周囲の住民の間にもぴりっと緊張が走る。

 鶏冠頭も刺青の巨漢も馬足ケンタウロも、その肉食獣のような視線を仕立て屋とそこに群がる騎士カルキに投げて寄越す。

 

 ところがポルパは、その視線に晒されながらも負けじと大声で親爺に怒鳴り返した。

 

 

「この外套マントが我輩の目に留まったのだ。貴様の運が悪かった。それだけのことだ!」

 

 

 喚くポルパの口の端には笑みさえ浮かんでいた。

 

 虚勢にしたって大した度胸だ。

 いや、それは強がりなどではない。

 見下しきっているのである。

 所詮半端者には法の番人たる騎士カルキに楯突けるはずもないだろうと、薄っぺらだったとしてもその大見栄を切るだけの自信があるのだ。

 

 ポルパは、今や通り中のならず者を睨み返しながら吠え猛った。

 

 

「それとも片っ端からふん捕まえてまわるっていうのも面白いかもしれんな! どうだね諸君?」

 

 

 蛮勇もここまで来れば見上げたものだ。

 

 この大都市の最果てで、悪が蔓延るこの地底の掃き溜めで、権力とか法をちらつかせて思うままにことを為そうというのである。

 さて、これは由々しき事態だ。

 

 荒くれ者ばかりであるからこそ、自分の身は自分で守るという不文律が支配するこのハヌディヤー通りで、筋違いの力を誇示する者が現れた。

 怖いものはないとばかりに銀の肩をいからせる騎士団カルキジャーチに、郷に入っては郷に従うべきだということを示す時が、ついに訪れた。

 

 今こそ仮初めの正義をぶち破る歌舞伎者ダリルの出番だ。

 小生は、期待を込めて連中の顔を見渡した。

 

 ところが、ことの顛末を遠巻きに眺めていた都市のハイエナたちは、騎士カルキを煙たそうに睨むだけで、それを睨み返せとばかりに辺りを見回すポルパから目を逸らした。

 

 余計な騒動に首を突っ込んでとばっちりを食うのは面白くない。

 それに実際ポルパは見るからに厄介な人物だ。

 突き詰めていってしまえば、自分たちにはなんの関わりもないことである。

 

 鶏冠も、刺青も、馬足ケンタウロも、そんな言い分を顔に張り付けてそっぽを向いた。

 

 どうしたことだ、これは。

 

 歌舞伎者ダリルの気概は?

 暴力沙汰に慣れ親しんだ者たちの得意の恐喝は?

 はりぼての騎士団カルキジャーチを威張らせておいてそれでいいのか。

 落ちこぼれのやくざ者の、なけなしの誇りはどこへ行ったのだ?

 

 

百人長バッタすげぇ」

 

「すげぇなあ」

 

 

 太っちょと痩せの騎士カルキが、気の抜けた言葉で沈黙を破った。

 ポルパは興奮冷めやらぬ様子で荒く鼻息をつくと、上気した顔を仕立て屋に戻した。

 

 

「ふん、つまらんな?」

 

 

 これ以上いやらしく笑えるのかというような笑みのポルパは、うなだれる親爺を見て目を細める。

 

 

「しかし我輩も、これだけの外套マントをただでというのも気が引けるぞ」

 

 

 ポルパがそういって目配せすると、太っちょの騎士が懐から巾着袋を取り出した。

 じゃらっという貨幣のこすれ合う音がする。

 ポルパの財布だ。

 

 ポルパはそこから、貨幣をつまみ上げる。

 すぐに、会計台の上に数枚の銅貨がばら蒔かれた。

 ポルパは用事は済んだとばかりに踵を返して、捨て台詞を吐いた。

 

 

「それで充分だろう」

 

 

 こんなものでは、と呟めく仕立て屋の抗議に聞く耳も貸さずにポルパは外套マントを小脇に抱えてその場を去っていく。

 店主は呆然とした表情で銅貨に目を落とした。

 

 豪胆で力を持つ騎士カルキを演じ切ったポルパは、得意顔で腰巾着をひきつれ闊歩する。

 顔中に耳珠を引っ付けた床屋はポルパの視線から逃れるようにくるりと通りに背を向け、湯屋の娼婦は吸っていた葉煙草ビデイを慌てて側溝に投げ捨てた。

 

 嘆かわしい。

 目の前の惨状に、小生は落胆した。

 寝そべって尻尾を振りながら、情けないハヌディヤー通りの人々の後ろ姿を見やる。

 

 どうやら、歌舞伎者ダリルの精神はすでに地に落ちた。

 見かけを飾り付けるばかりで、本物の侠客の心意気を持つものは、とっくに息絶えたのだ。

 圧倒的力を持つ騎士団カルキジャーチに泣き寝入りし、愛すべき自由の魂を売り払った。

 

 奇妙に静まり返ったハヌディヤー通りは、廃墟の街そのものだった。

 せり立つ岩壁にすすけた家屋が張り付く陰気な通りに、騎士カルキが甲冑を揺らす音だけか響いた。

 疎らに立ち止まった人々は、黙って厄介者が過ぎ去るのを待とうとしていた。

 

 そんな通りで、ポルパに近づく影があった。

 

 野次馬を尖った目付きで睨み返しているポルパとその従者に、影は滑るように近づいていた。

 

 奴がその行動を起こし始めたのは、ポルパの財布が取り出された瞬間である。

 貨幣の音を、耳敏く聞きつけたのだ。

 

 覚束ない足取りで通りを漂っていたそいつは、その時ぴたりと動きを止めて方向転換をした。

 この通りでただ一人、男は騎士カルキたちに向かっていく。

 

 すでに駆け足となって、しかし音もなくポルパと従者の正面に位置取っていた奴は、そのまま余所見をする騎士カルキの一団に突っ込んだ。

 

 うわっ、と太っちょの騎士カルキが、一驚を上げながら尻餅をついた。

 騎士カルキの一団は一様に、突然の衝突に呻いたり体を泳がせたりして、驚きに顔を歪める。

 

 

「ごめんよ!」

 

 

 ディディは一団の中を、一直線に駆けていった。

 直ぐ様、ポルパが青筋を立てて怒鳴る。

 

 

「きっさま、どこに目をつけているか!」

 

「あんたと同じところだよ。そっちも気をつけな!」

 

 

 言い終わる頃には、ディディの後ろ姿はすでに往来の人込みに紛れて見えなくなりつつあった。

 

 けれど、こうした場面には誰しもが見覚えがあった。

 最初にそれを予感したのはポルパだ。

 

 ポルパははっとしたような顔になって、座り込んでいる太っちょに掴みかからん勢いで迫った。

 財布は、と怒鳴るポルパに太っちょは気の抜けた声で財布、とオウムのように繰り返す。

 

 

「我輩の財布だ、早く確かめんか!」

 

 

 太った従者はそこでようやくごそごそと懐に手をやって、やがて呆けた顔でポルパを見返した。

 

 

「あれ。……無いす」

 

「無いっすじゃない、ばかもん! さっきの男だ!」

 

「ポルパ百人長バッタ……」

 

 

 ポルパの必死さに相反して奇妙なまでに小声の痩せっぽちが、震える手でポルパの右腕を指差した。

 

 訝しげに眉を寄せたポルパが、外套マントを抱える右腕に目を落とす。

 けれどそこからは、指障りの良い美しい布は消え去っていた。

 

 いつのまに。

 漏れ出たポルパの声は震えていた。

 代わりにポルパは、空の瓢箪を小脇に抱えていた。

 

 ふむ。

 盗賊か。

 

 一連の事件を眺めていた小生は、出会った時のディディの言葉を思い返していた。

 

 盗賊、ってやつさ。

 知ってるだろ?

 英雄の武勇伝じゃ井の一番に切り捨てられる、端役もいいところの、しがない盗人だ。

 

 そういったディディは、あの時、なぜか自嘲気味に笑ったのだった。

 

 けれど、たった今ディディが巻き起こした小気味いい風は、誇りも尊厳も失った歌舞伎者ダリルたちの燻る灰の燃えさしに小さな火を灯した。

 顔を伏せた誰しもが、今や顔を上げてその黒い風を見送っていた。

 

 追いかける騎士カルキがどたどたと駆け抜けて行く様が見えなくなるまで、人々はそちら側に視線を送っていた。

 娼婦がぴぃっと小さな指笛の声援を送り、それは地底街を照らす月白色の照明に吸い込まれていった。

 

 ディディは只の盗賊なのか。

 それとも、微かに残された一握りの本物の歌舞伎者ダリルなのか。

 

 ようやく面白いものが見れる。

 小生は、思わず猫の笑みで笑った。

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