六月十一日
コンビニと言って家を出たけれど、コンビニの少し先に深夜一時までやっているドラッグストアがあるのを思い出し、進路を変える。薬があったら買っていこうと思ったのだ。
生理痛用の薬なんて今まで気に留めたことがなかったけれど、頭痛薬のすぐ隣にすぐ見つかって安堵する。
予想はしていたがいくつか種類があって、いちばん効果が強そうなものを表示とパッケージと勘で手に取り、ふと思った。彼女は普段、それ用の薬を飲んでいたのだろうか。もしもうすでに愛用の常備薬があるのなら、買っていっても意味がない。一年間一緒に住んでいて、俺はそんなことすら知らない。迷って、手に取った薬箱を買い物かごに入れた。スマホで連絡を取るのも、彼女に負担かもしれないと思うと気が進まなかった。要らぬ買い物だったとしても、俺が数千円をどぶに捨てたことになるだけだ。大した出費ではない。
プリンと、インスタントのお粥と、ウィダーインゼリー、ポカリスエット。思いつくままかごに入れる。明日の朝の分も足りるように。多すぎるのは構わない。どうせ腐るものではない。
薬を含めて結果五千円を超えてしまった代金をカードで支払って、大きいサイズのレジ袋も買って、彼女はたぶん、エコバッグを携帯しているんだろうなと思いながら、がさがさと五月蝿いレジ袋を引っ提げて家に戻ると、彼女は変わらない体勢で掛け布団も掛けずにベッドに転がっていた。
「おかえり」
「いろいろ買ってきた。残してもいいから、食いたいものを食えるだけ食え」
「うん、ありがとう」
彼女の枕元にポカリを置いて、プリンを開封すると、彼女は素直に体を起こした。
彼女が抱えていた枕を背中の下に噛ませて、掛け布団をおなかまで掛ける。彼女はプリンを一口食べて、おいしいな、と呟いた。
「知らなかったよ。彩人がこんなに面倒見よかったなんて」
「俺も知らなかった」
自分がこんなに、好きな人間に対してなら、必死になれるなんて。
「何それ」
彼女が肩を上げてふふっと笑う。
俺と結婚するまで――結婚してからも、か――恋人がいたことのない恵実だった。好きな人すらいたことがないと言っていたから、そういうタイプの人間なんだと思っていた。俺は学生のころから女と付き合っては別れてを繰り返していたけれど、果たしてそういう相手が体調を崩したときに、ここまで甲斐甲斐しくなれただろうかと思うと、もしかして俺は彼女らを、本当に好きではなかったのかもしれないという気さえしてくる。
こいつと同じ。
結局、恋人なんていたことがなかったのかもしれない。
彼女はプリンを半分食べたところで力尽きて、またベッドに横になった。
「明日の朝食べるからさ、捨てないで置いといて」
「分かった」
歯磨きしてないなあとぼやきながら、彼女はベッドの端に掛けた俺の手に、そっと自分の手を重ねた。
可憐に笑う。
「落ち着く」
きっと、半分頭が回っていなかったのだろう。
そういうことにしておきたい。俺は、下になった自分の手を反して、汗ばんだ彼女の手を両手で包んだ。
目を閉じた彼女に、俺は静かに声を掛ける。
「大丈夫、ここにいるから」
彼女が、ここにいて、と息だけで言った。
「ここにいるよ。安心して、おやすみ」
十五分後、彼女の寝息が聞こえてくるまで俺はずっと彼女の手を撫でていた。薬のこと言い出せなかったなとぼんやり考えながら、俺も結局、ベッドの脇で座ったまま眠ってしまった。
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