02 いつもの通学

 昔の人なら意外に思うかもしれないが、絶えず雨が降っていても、今の時代、さほど傘を必要としない。


 なぜなら、大概、歩道には屋根がついていたり、トンネル化していたりするからだ。


 僕の家も出た所にすぐ屋根付きの歩道があり、いつものようにそこを歩いて、少し離れた巡回船の停船所へと向かう。


 道路のように張り巡らされた……否。昔は実際に道路だったものを水路に変え、それを使って市内をぐるりと回っている定期船だ。


 かつては自動車や電車が交通の主役だったみたいだが、こうも道より川の方が多くなると、俄然、船を多用する社会となっている。


「あ、おはよう」


「ああ、おはよう」


 相変わらずじめじめとした停船所で少し待ち、定刻通りに来た巡回船に乗り込むと、これもまた毎朝のことだが、クラスメイトの女の子と会った。


「なんか蒸し蒸しするね」


「ああ、もう夏だからね」


 雨風に晒されないよう、巡回船の乗客スペースは閉鎖式の仕様なのだが、通勤通学時間はやはりぎゅうぎゅう詰めになってしまうので、中は湿気と人いきれで気持ちの悪い蒸し暑さである。


 太陽は雨雲に隠れて見えなくとも、やはり夏になるとそれなりに温度が上がるのだ。


「ねえ、修学旅行で行きたいとこ考えてきた?」


「うーん。一応考えたけど決めかねてて。東京なんてどんなとこかぜんぜん知らないからね」


 そのまま、おしゃべりに突入する彼女に合わせ、窓際に移動した僕もその問いかけに言葉を返す。


「そっかあ……あたし、東京●ィズニーランド行きたかったんだけど、あれって東京じゃなく千葉だったんだね」


「ああ、そうらしいね。なんかのテレビ番組でも言ってたよ」


 そんなとりとめのない話を彼女と交わしながら、雨水の伝うガラス窓越しに川沿いの景色をぼんやりと眺める。


 そういえば、そんな加工が施されているのか? ガラス窓は湿気で曇りもしてないし、雨水も弾いているので見慣れた外の景色が問題なくよく見える。


 この小型船が淀みなく進んでゆく真っ直ぐな水路――かつて道路だった川の、コンクリート補強された岸辺に並ぶ小規模水力発電用の水車。


 くるくると一定のリズムで回るその車輪は、古い時代、米の脱穀や小麦の粉挽きなどに利用されていた原始的な原動力なのであるが、今は代わってより近代的な原動力――即ち電気を生み出す道具へと進化している……その作られるものは少々異なれど、同じ形、同じ原理を用いていることを考えるとなんだかおもしろい。


 その背後にそびえる、巨大な灰色の壁の上方を見上げれば、高台にはこれまた判で押したようにまるで特徴のない、三角屋根の無機質な細長い建造物が整然と並んでいる。


 それは工場……ただし、中で作られているものは工業製品ではなく、僕らが普段食べている米や小麦、野菜や果物類だ。


 ずっと雨なのでどうしても日照時間が足りないため、近年、露地物の作物というのはまずない。


 やはり僕らの世代からすれば、穀物や野菜が屋根のない野ざらしの場所で作られている世界の方が、どうしても想像できない。


 農作物だけでなく、牧畜においてもそうだ。


 今の時代でも人工合成肉では満足できないというグルメな人々が多いため、酪農だけでなく、食肉用の畜産業もいまだ健在なのであるが、当然、家畜達は雨を嫌うので、やはり牧場も屋根付きの屋内だ。


 この辺では土地柄的にまったく見られないが、あそこにあるような農作物工場だけでなく、いわば家畜の工場ともいえる巨大な屋内牧場なんてものも存在するのである。


 だが、やはり屋内だと中が見えないし、覆屋も装飾のまるでないもののため、風景としてはなんとも味気のないものだ。


 昔の映像や時代劇などで、鏡のように青空を映す広大な水田や、一面を覆う緑の若草が風に吹かれる牧場の景色なんかを見ることもあるが、一度でいいから直にこの目で見てみたいものである。


「――ねえ? どうしたの? 着いたよ」


「…え? ああ、いや別に……」


 流れ行く殺風景な船窓の景色にそんな妄想を描いている内にも、どうやら高校の最寄り停船所へ着いていたようだ。


 僕は怪訝な顔をした同級生に促され、慌てて後を追って巡回船を飛び降りた。


 この停船所、最早、この高校のために作られたと言っても過言ではなく、低地を通る水路の上にある学校までは登りトンネルで繋がっている。


 さらにそこから屋根付きの回廊も昇降口まで繋がっているので、一度も濡れることなく校舎まで行くことができる。


 しとしとと雨音だけが静かに響き渡る、コンクリの床と鉄骨の柱に、トタン屋根を被せただけの簡素な回廊……そこを同じ撥水加工の施されたグレーの制服の生徒達が、まるで蟻の行列の如く黙々と進んで行く……。


 僕もその行列の一部となって昇降口を潜ると、今日もいつもと変わらぬ学校生活が始まった。

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