第6話 夜の商店街

 私は夜の商店街を、例によって下を向いたまま足早に歩く。昼間とは全く違う雰囲気に私は驚く。そういえば、私は日が暮れてから一人で街を歩いたことがない。


「おい姉ちゃん、一発やらせろよ。」とガラの悪い男に品の無い言葉をかけられる。


 自分が母の用意した服を着ていることを思い出して心の中で舌打ちした。家を出る前に着替えてくるべきだった。


 私は男を無視して歩き続ける。背後から、男がついてくる気配がして、私は慌てて振り向く。男はニヤニヤして私を見ていた。気味が悪くなって、私は走り始める。


 急に、恐怖が胸に広がる。本能的に(逃げなきゃ)と思う。私は走る速度を早め、向こうから歩いてくる人たちの何人かにぶつかった。それでも、私は走る速度をゆるめない。男の足音がついてくる。私はなおも走る速度を上げる。息が切れてきた。サンダルが足に食い込んで痛い。


「おい、無視してんじゃねぇよ、ブス。」


 商店街を抜けて人気がなくなると、いきなり背後から腕を掴まれた。男はバランスを崩した私を抱き止めると、強引に引きずって歩く。


「離して!」と私が叫びながら抵抗すると


「うるせえ!」と男が私を地面に叩きつけるように突き飛ばした。


 派手に転んで膝と手を擦りむいた。血が流れ始めるが、恐怖のあまり痛さも感じない。


 転んだ私を男はなおも抱き上げて引きずり、近くの公園に連れ込んだ。人目のつかないところに乱暴に投げ飛ばされる。


 すぐに男が覆い被さってきた。全力で抵抗する私の横っ面に思い切り平手をくらわせる。


「バンッ」と音がして、口に金錆びた味が広がる。大声を出そうとするが、喉に張り付いたように声が出ない。全身が小刻みに震えて歯の根が合わない。


 男が乱暴に私のスカートを捲り上げて下着を引きずり降ろそうとする。私は思い切り足を動かして男を蹴る。股間を狙ったが当たらず腹部にヒットする。


「ふざけんな!」と男が叫び、二度平手が飛んだ。


 目から涙が出て、鼻血が出る。でも、痛さは感じない。恐怖と、それから吐き気を催すほどの嫌悪感だ。


(いやだ、いやだ、いやだ!)と心が悲鳴を上げているのに、声にならない。


 男が私に馬乗りになる。男の右手が私の左腕を抑え付け、男の左手が忙しなく私のスカートの中をまさぐる。私は無我夢中で右手を動かし、石か何かないか地面を探る。レンガのような硬いものが手にあたる。私はその硬い物体を手に取ると、思いっきり男の頭に叩きつけた。


「ぐあっ!」という呻き声が聞こえたかと思うと、頭から大量に血が吹き出した。私は急いで男の下から這い出し、立ち上がる。男は動かない。


 私は震える膝をなんとか動かして、そこから走って逃げた。公園から出て街灯のある通りに出ても、なお私は走り続けた。ときおり、ギョッと目を見張った通行人が視界に入ったが、私は下を向いて走り続けた。とにかく、家に帰りたかった。誰かに引き止められませんように、と祈るように息を切らせて夜道を掛けた。


 なんとか誰にも引き止められずに家に辿り着くと、ドアを開ける手ももどかしく、バスルームに直行した。玄関に父の靴はなかった。思いっきりシャワーを流す。


「美華、帰ったの?」と不機嫌な母の声が聞こえたが無視した。


 母に見つかる前に、現状を把握しなければならない。恐る恐る鏡を見てみると、ひどい有様だった。すでに両ほほと左目が腫れ上がってきていたし、唇と鼻の両方からまだ流血していた。明日にはもっと顔が腫れていることだろう。とても学校に行ける顔ではない。


 血のついた服をなんとかしなければならない。顔を見られないように言い訳を考えなければいけない。ぐるぐると思考を巡らせながら、私はバスルームにへたりこんだ。全身が震えて止まらない。勝手に涙が出て、嗚咽が漏れた。


(死んだかもしれない。)その可能性は、体の痛みや、さっき身に起こったことよりも、ずっと激しく私を恐怖の底に陥れた。


(人を殺してしまったかもしれない。)レンガで頭を殴った感覚や、返り血の感触が生々しく思い出されて、私は身震いする。


(誰か、助けて。)私はシャワーの流れるバスルームの床に座り込んだまま、しばらく一人で泣き続けた。

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