⑥陰り

 あれから三日が経過した。


 アマトは片瀬あずみや前川空と順調に仲良くなっていった。本当に順調すぎるくらいに。

 特に事件らしい事件は起きなかった。だけれど僕は二つのことが気になった。


 一つ目はアマトの女の子に対する態度。

 態度が悪い訳じゃない。アマトは二人の女の子を惚れさせるために近づいているはずだ。でもアマトは異性ではなく、彼女らに友達として接しているように見えた。話の内容も異性の気を引くような話などではなく、授業の話だったり学校での出来事が中心だったり。うーんでも、最近親しくなった人と馴れ馴れしく恋の話だとかプライベートなトークをするのもちょっとアレだし。まあこれはいいや。


 そして二つ目は神様の様子について。僕はこちらの方が特に気になった。

 時が経過するごとに、アマトが二人の攻略対象と仲を深めるごとに、顔に刺す影が大きくなっていったと思う。いや、普通自分が仕掛けたゲームに負けそうになるときは、恥ずかしかったり悔しくなったりでイイ気はしないだろう。


 けれどそれとは違うなにかが、次第に彼女に降り積もっているのかもしれない。つまり、神様は勝ち負け以外の、別の事柄に縛られ始めているのではないか?

 変化は緩やかだ。出会って当初は『ラブゲーム』以外については関心をもたなかった神様。だけども、ある種のワードを彼女に放つとピクリとした反応を示す。

 神様はアマトに惚れだしたのか? いや、その線は薄いか。


 ゲームを仕掛ける立場なら、アマトが女の子と仲を深めていくことは想定のはず。アマトが女の子二人に話し掛けられもせずに彼の破滅が見たいのなら話しは別だけど、そんなゲームは普通仕掛けるかな? 始めから地獄を味わう光景を見るのはツマラナイ、持ち上げられて下に落とされることが普通は好きなんじゃないのか? (こんなことを考える僕の性格がイケナイのかもしれない)。けど、女の子とあいさつを交わすだけで顔をしかめるのは不思議だ。


 とまあ、あれこれ考えたところであくまでも僕の推測に過ぎない。ましてや神様、人間の僕の考えでは理解できないものが多いのかもしれないし。これは様子見ということで。

 しかし、どれもこれもアマトの作戦なのかもしれない。きっとアマトなりの考えがあるのだろう。


       ◇


 下校時刻になった。


「わりぃイーさん、今日は片瀬と一緒に帰る!」


 そう言って、アマトは片瀬さんと帰ることになった。ということで、僕は一人で下校することに。

 アマトはゲームの途中なので片瀬さんと帰るのは仕方がない。けれど……、


「寂しいなあ、一人で帰るのは……」


 今まではアマトと一緒に帰れていたのに、一人は寂しいと思った。って、なんだか恋する女の子の気持ちみたいかも、これ……。

 いやいや、アマトは男で僕だってれっきとした男。変なことを考えるのは止そう。

 どれもこれも神様が悪い、そうに違いない! 神様が勝手に僕を人質にとってゲームをさせたことが悪いんだ! そう思うとすごく腹が立ってくる。


「……僕にも、何か力になれることないかな……」


 空はオレンジの光で染まっていた。その光源である太陽は地平線に身を預けようとしている。そんな寂しそうな空で、僕の言葉は風に流され消えていく。


「もう三日前になるのか……、神様に出会ったのも」


 目を瞑れば、あの時の情景がスっと浮かばれる。そして腑抜けた吐息は再び風に流された。

 分かってる、僕がアマトの力になれないことぐらいは。

 これまで大した恋愛経験のない僕が、恋愛ゲーム攻略に加担できることなんて思いつかない。傍からアマトを見守ることしかできないのだ。アマトは僕のせいでゲームに挑んだのに……。

 ふと、僕の目に入ったのはあの石畳の階段。背後ではスプリンクラーが無機質に水滴を飛ばしていた。


 水滴の一つ一つが丁寧に夕焼け色を映写する。儚く舞い散る水の粒は、一体この世界の何を表しているのだろうか? 主人公の絶望? ヒロインの未来? さっきまでは楽しそうだった昼の情景ラブコメディーも、いずれは夜を迎えることになるのか?

 そして、


「――――ねぇ、ちょっと待ちなよ」


 あの女の声だった。


 静けさに、暗闇に紛れるような黒髪ロング。水滴で作られた霧の中からもの静かに歩み寄るのは神様と名乗る少女。

 人形のようなパッチリとした目で僕を捉えた。触れたら弾かれてしまいそうな唇から紡ぎだされた言葉に、僕は足を止めた。


「アマトを監視しなくても大丈夫なの? 僕に構っちゃって」


 怖い。


 純粋にその感情に胸が支配される。

 何をされるのか分からない。相手は美人を入れ物にした神様。暗闇の差しかかる空も相まって、恐怖という感情が次第に膨らんでいく。

 神様は歩を進め、そしてじっくりと口を開き、


「神様の心配をありがとう。けどね、それは余計なお世話だよ」

「で、僕に何の用? 学校で話せない内容なの?」

「うん、そうだね。その通り。それと、そんなに怖がらなくてもいいよ。別に命を刈り取りに来た訳じゃないし、すぐに済む話だからさ」

「はっ、話ってのは?」


 彼女は目を細めた。それは僕のことを下等生物のように見下しているごとく。


「キミ、カレの周りでウロチョロするのみっともないから止めて。すごくウザイから」

「……みっともない? ……ウザイ?」

「そう、キミみたいに何もできやしない無能クン見てるとすごくイライラしてくるからさぁ。さっさとカレから離れたら?」


 一切温かみの感じられない言葉が、彼女の口から紡がれる。


「むっ、無能じゃないから……。ぼっ、僕でも……アマトの力には……」

「へぇ~、じゃあ具体的に言ってみてよ。一体カレの何に対して力になれるって。私から見れば、キミの力なんて全部カレで補えると思えるけど?」

「……そっ、それは…………」


 今さっき、僕が考えていたことを、目の前の女は的確に付いてくる。それは手を付いて立ち上がろうとしているところに、腕を払われてまた這いつくばってしまうような感覚。


「……その、一緒にいれば勇気をあげられたら……」

「そんな子供じゃないでしょ。一人じゃ何もできない人間には見えないし。キミの方がよっぽど子供に見えるね。あっ、これ外見の話じゃないよ」


 何度も何度も立ち上がろうとしては、彼女の前ではまた失敗してしまう。

 神様は笑っていた。純粋に見下すように、苦しむ僕を舐め回すように、本当に楽しそうに。


「ごめんね、イジワルなこと言っちゃって。でも、これは私からの忠告。このままなら篠宮天祷くんは破滅に陥って、キミは何もできずに指をくわえているだけ。そんなの嫌でしょ? なら、ここは男らしく退いた方が賢明。でしょ?」


 僕の唇はわなわなと震える。拳もギュッと握られる。


「ア、アマトは神様なんかに負けないから…………」

「声、震えてるよ? 妄言を言うにしても、もう少しカッコよく言ってもらわないと困るなあ」


「………………」

「無言で突っ立ってるなら、さっさと現実から逃げる準備でも整えたら? 見ないっていう選択肢は恥ずかしいことじゃないからね」

「ぼっ、僕は…………」


 言葉がつっかえて出てこない。しっかりと反論したいのに、それでも全く続きが出せない。

 神様は僕が反論できないことを確信したように、あらかじめ予測していたように、僕のことを見限ったのか、


「もういいよ、キミが何言っても説得力ないし」


 神様は吐き捨てるように言った。そしてクルリと黒髪と紺のスカートを靡かせ、


「じゃあね、また明日」


 そうして手を振って、スプリンクラーから放出される霧の中に消えて行く。情けないことに、僕は黙って見送ることしかできなかった。


「……どうして……、どうして何も言い返せなかったんだ!」


 殴ってやることもできなかった。言い返せもしなかった。


 怖かったから。


 悔しい、何も抵抗することができなかった自分が悔しい。勝手にアマトが破滅の未来を歩むって宣言されたことが悔しい。


「どうして、何も言い返せなかったんだ…………」


 ふと、僕は何かにすがるように空を見上げた。

 いつの間にか太陽の大部分が身を沈め、空の大部分が黒く塗られている。


「…………アマト、ごめんなさい」


 謝ったって、どうにもならない。


「――――呼んだか、イーさん」

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