お泊まり
「おかえり。」
家のドアを開けるとなぜかエプロンをした陽一が仏頂面で立っていた。
「た、だいま。えーっと、お婿修行?」
「ちげーよ。姉貴がカレー作るの手伝わされてんの。」
確かに手元を見ると、包丁とジャガイモが握られていた。
「それはいいことだけど、包丁はおいてきてよ。強盗に家を乗っ取られたかと思ったよ。」
陽一は今気がついた、というように自分の手を見下ろし、くるりと包丁を回して自分の胸に突き立てる真似をした。思わず叫びそうになる。幾ら何でも危なすぎる。手が滑って本当に突き刺さったらどうするのだろうか。
「もうすぐ死ぬって奴がわざわざ悪徳積むかよ。どうせならいいことして死ぬさ。」
幸いにも陽一は手を滑らせることなく、笑いながら包丁をおろした。僕はへなへなと玄関にしゃがみこむ。
「・・・冗談でもやめて。感情の起伏は無駄にエネルギー消費するんだよ。」
「そりゃあ俺と一緒にいるなんて災難だな。」
「ほんとだよ。」
スニーカーを脱ぎ、キッチンに直行する。
「おかえりなさいごめんね勝手にキッチンと食材借りてる。」
彼女は僕を見るなり一息でそう言った後、僕の後ろからキッチンに入ってきた陽一を睨んだ。
「あんた包丁持っていかないでよ。そのせいで玉ねぎ丸ごと入れなきゃいけなくなっちゃったじゃん。」
「そんなん少しくらい待ってろよ。さっきも思ってたけどさ、どんだけ気い短いんだよ。」
「はぁ?あれは重大なことでしょうが。ってかジャガイモの皮むきヘッタクソ。半分になっちゃってんじゃん。」
「三分の二だろ。元の表面積と総重量から察するに・・・」
どんなカレーが出てくるんだろうとビクビクしている僕を差し置き、二人はギャイギャイと兄弟喧嘩を始めた。
「あんたは思考と行動が繋がってないんだよ。実践できなきゃ意味ないっての。」
「あいにく姉貴みたいに器用でも体力馬鹿でもないんだよ。」
「あ”?中学までバスケやってたろーが。」
エスカレートしてくる二人の間に割り込み、笑みを振りまく。このまま殴り合いでも始まってしまったら大変だと判断したのだ。
「あの、陽一は向こうで休んでてよ。僕手伝いますから、それでいいですよね?」
「でも陽一は・・・」
「僕、上手くはないですけど、そこそこできますよ?心配しないでください。そちらの邪魔はしません。」
陽一をリビングに押しやり、シンクに転がっていた残りのジャガイモの皮むきに取り掛かる。陽一は渋々といった風にリビングへ行き、彼女は怪訝そうに僕を見た。
「ねえ久成、私の名前知ってる?」
おもむろに口を開いた彼女は、そんなことを聞いていた。
「知ってますよ」
「呼ばないよね」
「そうですか?」
素知らぬふりをしてみせる。僕なりの理由があるのだけれど、それをいったところで彼女が納得してくれとは思えない。
「私の名前呼ぶ奴なんて、ろくなのいなかったけどね」
泣き笑いのような表情でニンジンを乱切りにする。傷ついた彼女に取り入って、ズタボロに引きちぎった彼らの姿が映っているような気がした。僕はじゃがいもで泥だらけになった手を洗い、ぽんぽんと彼女の頭を叩く。彼女は頭を抑えて僕を見上げ、「お子様扱い?」と言った。
「そういうつもりじゃなくて、えっと、悲しいかなって、だから決してお子様扱いしてるつもりはなくて・・・」
わたわたと顔の前で手を振って否定すると、彼女は味見していたカレーを見事に吹いた。
「かわいすぎか。真っ赤だよ。」
水で口元のカレーを洗い、いいこいいこと僕の頭を撫でる。
「そっちこそ僕のことお子様扱い・・・」
「いいでしょ、年上なんだから。ていうか髪濡れてるよ?うわ、服も!」
「雨降ってきちゃって・・・」
「風邪引くわ!今すぐお風呂はいってこい!」
「いや僕風邪とか引かないんで・・・」
そんな僕の説明も虚しく、キッチンから引きずり出されて風呂場に放り込まれ、ドアを勢いよく閉められた。
「ちょっと待ってください。着替え、ないんですけど。」
「陽一に届けさせるから。あと20分でご飯だからね。」
彼女には振り回されてばかりだ。だが、逆らっても結果は変わらないので僕は素直にお風呂に入り、陽一が持ってきてくれた服を着てキッチンへ戻った。
「リビング行ってて。」
スプーンを持って出て着た彼女の後からリビングに入ると、げんなりした顔の陽一が卓袱台の前にあぐらをかいていた。陽一の前に置かれているお皿には、玉ねぎが丸ごと入っていた。
「姉貴、これ、新しい創作料理?それとも何かの嫌がらせ?」
僕は陽一の横に腰を下ろす。幸いにも僕のお皿にはきちんと切られたものが入っていた。
「さっき包丁持ってった人が食べるべきでしょ。」
「理不尽極まりない。そもそも姉貴はカレーってものを誤解してる。」
「は?カレーなんて誤解も何もないでしょ。」
再び不毛な兄弟喧嘩が始まりそうだと感じた僕は、パチンと音を立てて手を合わせ、カレーを頬張った。辛くて、しょっぱい。ほんの少し甘い。いや、でも辛い。
「辛い。」
ぼそりと呟くと、彼女はスプーンを手に取り、カレーを一口救ってたべた。
「そう?私はこのくらいがいいけどな。」
二人して陽一を見ると、陽一は思いっきり咳き込んで水をガブガブ飲んでいる真っ最中だった。
「辛っっ!火い吹くわ!」
涙目になった陽一が勢いよくコップを机に叩きつける。
「よくこんなの食えるな?姉貴の馬鹿舌につきあってらんねーよ。」
「こんくらい食べなよ。久成は普通に食べてんのに。」
「あ、いや、僕味覚が鈍いんで、普通の人より刺激物がいけちゃうっていうか。」
「そうそう。この中で唯一普通の舌だから、信じて。」
また一口食べた陽一がひいひい言いながら頷く。
「でもさ、お姉ちゃんのカレー食べられるの後どのくらいかわかんないよ?」
地雷を踏んだな、と思った僕の変な緊張は、二人の笑い声に打ち破られた。
「だとしてもこんな激辛カレー、寿命縮む気しかしねーわ。」
「なら牛乳入れようか?」
「もっとヤベー味になるだろ。それ。」
「もっととはなんだ。」
仲悪いようで、仲がいいのだろう。喧嘩するほど仲がいい、という言葉がこれほど似合う兄弟も珍しい。僕はヤイヤイやっている二人を尻目に、黙々とカレーを食べ続けた。半ば漫才のようになっている二人のやりとりを聞いて時々笑いながら、幸せとはこういうことを言うのだろうかと思っていた。
この風景を見て、誰が余命わずかな男子やアンドロイドが混ざっていると考えるだろうか。誰が死などと結びつけるだろうか。
案外、幸せや不幸は外目に見えないものなのだろう。
「ごちそうさまでした。わざわざ作ってくれて、ありがとうございます。」
お皿を持って立ち上がると、まだ半分も食べていないのに汗だくになった陽一が怪物でも見るような目で見上げてきた。
「食べ終わったの?おかしくない?もう辛いとか通り越して燃えそうだよ。1時間走ったみたいな暑さだよ。」
いっている側から汗がポタポタ滴り落ち、卓袱台に小さな水溜りを作っている。僕はピッチャーから陽一のコップに水を注ぎ、首にかけていたタオルを渡した。
「いやー俺食べるの遅いのかな?それともみんなが早いのかなぁ?」
タオルで額を拭った陽一は、彼女の方を見て悔しそうな表情を浮かべた。(彼女は最後の一口を食べ終えるところだった。)
「誰を基準にすべきなんだかわかんねぇし。」
おどけた顔で付け加え一気にカレーを口に流し込み、陽一は盛大にむせて、しばらく喘いでいた。その間に彼女はお皿をすべて持ってキッチンへ消えて行った。僕は陽一の背中をさすり、少しずつ水を飲ませる。
「大丈夫?」
「ありがと。あ”ー凶器だよ。これ。」
「ゆっくり食べたほうがいいよ。カレーで窒息死なんて笑い話にもならないよ。」
「いっそそのほうがいいかも。」
「・・・困るよ。」
苛だったような、寂しいような、なんとも言い表しがたい声が口をついた。
陽一は僕の顔を覗き込み、取り繕うように笑った。
「冗談だよ。というか久成、また姉貴に振り回されたみたいじゃん。」
「いや、用事があったのは僕の方だから振り回されたわけではないよ。」
「本当に?抱きつかれ、アーンやらされ、手ェ繋がれ、奢らされ、恥ずかしいセリフ言わされ・・・まさかのドM?」
「まず違うところから突っ込んでいい?盗聴器でも仕掛けてたの?」
「まさか〜姉貴から聞いたんだよ。久成カッコよかったぁって。」
「そりゃまぁ、光栄の極みだね。アイドルにでもなろうかな。」
「Mじゃねーよな。やっぱ振り回されてんだろ。」
渋々頷くと、なぜか慰めるように肩を叩かれた。
「姉貴は、悲しくなるとお前と出掛けたがるんだよ。」
「悲しく?」
「ほら、アメリカ行ってなんもなかったろ。多分気負ってんだろーな、ずっと寝言でごめん、っていってんの。」
陽一は少し顔をしかめ、唐突に立ち上がると僕の肩を強く叩いた。僕は衝撃によって痛みを錯覚するようになっているので、食い込んでくる陽一の指より叩かれた時の痛みがすごかった。
それでも黙っていたのは、陽一の顔がいつになく真剣で、わずかに縋るような表情をしていたからだった。
「・・・姉貴を、よろしくな。」
微笑んで頷こうとしたが、顔が引き攣ってしまって動かなかった。
ぽた、と雫が卓袱台の上に落ちて、また小さな水溜りを作った。
驚いた僕が顔を上げると陽一はいつもの顔で笑っていた。ハッとして自分の頬を触る。
「泣き虫さん。」
陽一がそう言って大声をあげて笑う。僕はぐいっと袖で涙を拭って陽一を睨む。
「そんなの僕のせいじゃない。文句は僕を作った人に言って。」
「教授?」
「うん。」
陽一はどーしよーかなーと呟き、ぽん、と手をうった。
「いつも強気の久成が唯一弱気になるのを見れるときだから、嫌かな。」
「悪趣味。お姉さんと同じくらいじゃない?」
「そりゃまぁ、あの弟だから。」
ドヤ顔をしてみせる陽一の頭をボコボコ殴り、反撃されて倒れた僕がソファに背中をぶつけて攻撃不可能になった頃に、彼女がお盆を持って部屋に戻ってきた。
「何やってんの。」
「いや別に。お騒がせして申し訳ございませんでした。」
陽一がぺこりと頭を下げ、ソファに身を投げる。彼女はそれを苛立った表情で見下ろした後、僕にも座るように促した。
「お話ししたいことがあります。」
僕にはかしこまったように言う彼女が、心なしか緊張しているように見えた。
「なにぃ?」
やる気なさそうに答えた陽一の頭を小突き、彼女は僕に向き直った。
「陽一くんを生き長らえさせるための政策は、どこまで進んでいますか?」
正直言って、ほぼゼロにちかい。思いつく限りのアイディアを計算式で出して見たが、これだと思うものにはまだたどり着いていない。
「あと2年あれば、多分・・・」
妙な沈黙があった。
彼女は陽一と僕を交互に見た。陽一は目をそらしたまま、軽く頷いた。何かをかみ殺すように彼女は頷き、鼻をすすった。
「久成を自由にするのは、あとどのくらいでできますか。」
ひどくこわばった声だった。
陽一は不敵に笑った。
「実行しろと言われれば、いつでも。」
素直に仰天した。簡単なことではない。どれだけの時間がかかったのだろうか。僕がのらりくらりと考えている間に、実行に移せるまで完成させているとは。
「・・・脱帽しました。」
ボソリと告げると陽一はだろ?と自慢げに言った。
「じゃぁさ、今月中に、実行して。」
「お、おう。でも、なんで。」
「陽一、あんたにアメリカに行って欲しい。」
驚いて彼女を見る。陽一も同じだった。ソファから身を起こし、全身でいっている意味がわからないと示している。彼女は僕と陽一にお構いなく話を進めた。
「向こうなら、結構なんでもすぐ試せる。臓器移植も可能だし。」
「ちょっと待ってください。そんな突然・・・」
「もしかしたら、生き残れるかもしれない。」
彼女は僕を見て、にこりと笑った。
「でも・・・」
「久成もアメリカに行けばいい。パスポートは作れるんでしょ?問題ない。」
「それが成功したら、陽一はアメリカに行く必要は・・・」
「それ、って。陽一が生身の人間じゃなくなるんでしょ?」
「確かに、僕と同じにはなります。でも少なくとも、成功率は高い。」
僕は彼女が無謀なことをしようとしているような予感がしてならない。
「生身のままでいて欲しい。小さい頃からの、陽一でいて欲しいの。」
振り絞るように言って陽一を見る。
「陽一に判断は任せる。久成の言っていることも一理あると思う。でも、私は陽一にこのまま生きて行って欲しい。」
重苦しい沈黙が流れた。僕が口を出せることではなくなっていたし、彼女がまた何か言えるような雰囲気でもなかった。
時計の秒針が何度か回り、重苦しさが限界に達した頃、陽一はなぜか突然お風呂の支度を始めた。怪訝そうにそれを見ている僕たちに、陽一はニヤリと笑って見せた。そのまま部屋のドアを開く。
「行かないよ。」
最後に一瞬立ち止まり、陽一はそう言って僕たちを振り返った。
「これ以上、迷惑かけたくないんだよ。」
ガシャ、と音を立てて、ドアが閉じた。
気がつくべきだったのだ。
この時点でもう、僕は、僕たちは、すでに交わることはなくなっていた。
僕の荒いプログラムで理解できるほど物事は単純でも簡単でもなかった。
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