幸福

 なぜかその日、僕は大学生の女性とカフェで会う約束をしていた。1時間も前に着いてしまったので、暇つぶしでカフェにあったファッション雑誌を読んでいるうちに彼女はきていたらしく、僕が気がつかなかったことに対して大層ご立腹だった。


「く〜な〜、おはよう?」


 耳元で鋭い声がして顔をあげると、彼女は不満そうにロングの黒髪をさっと払って、僕の向かい側に腰をおろした。


「おはようございます。髪、黒くしたんですね。」

「え?ああ、うん。」

「黒髪ロング、似合ってます。」


 手元にあった雑誌に目を落とすと、たまたま女性の髪型は積極的に褒めるべき、と書いてあったので、そう口にする。彼女は僕が考えていた反応よりももっと嬉しそうで、ふわぁと笑顔になって両手を顔に当てた。


「うわぁ 、珍しい。久成がそんなこと言うなんて。て言うか、そのイケメンフェイスがいうとめちゃくちゃ女たらしに見える。」

「褒めてませんよね?」

「いやぁ、褒めてる。嬉しすぎる!それ、大抵の女子一発で落とせるよ。ちょっと笑って。そう。それで何かいって。口説き文句。」


 彼女の機嫌が直ったことはよかったが、長くなりそうだ。面倒だが、これで断ると、また機嫌を損ねられてしまうかもしれない。仕方なく、僕はわずかな恋愛ストックからベーシックな言葉を引き出した。


「好きです。」


「告白してんじゃん!それじゃぁちょっと引かれるって。久成、口説くの意味分かってる?」

「すみません、よく分かってません。」

 正直に頭を下げると、彼女はなぜか不気味な笑顔になり、ずいっと身を乗り出してきた。

「じゃぁさ、すごい可愛い。って照れた感じで言って。」

「演技はあんまり得意じゃないので・・・」

「それか、今日は家に帰りたくない。のどっちか。絶対いって。」

「選択肢おかしくないですか。」


 ムッとした顔で彼女を見ると、彼女は思いっきり唇を尖らせ、少しつり上がった目を更に吊り上げて僕を睨んだ。にらめっこの様な形でお互い固まっていると、店員さんがコーヒーフロートとカフェオレを運んできてスマートに僕たちの前においたので、にらめっこは中断となった。



「美味しぃぃ。」

 彼女はコーヒーフラッペをストローで吸い上げ、感嘆のため息を漏らした。僕はさっきから飲んでいたアイスティーを放置し、彼女がおごってくれたらしいカフェオレに口をつけた。


 苦くて、甘い。


「久成って、フラッペとか全然飲まないよね。私より子供のくせに、大人ぶってんの。」

「時々は飲みますよ。」


 単純に味の判別がつかないのに高いものを買いたくないだけなのだが、ここでごちゃごちゃと味覚の話を持ち出すと面倒だろう。こう言う時、簡単に嘘がつけるくらい僕のプログラムは優秀だ。


「飲んでみなよ。美味しいから。」

 差し出された彼女のフラッペに戸惑っていると、彼女は僕のカフェオレを一口のみ、ウゲーと顔をしかめた。


「にがーい。なんでなんも入れないで飲んでんの。」

「いろいろ混ぜるの好きじゃないんです。」

 砂糖の量がよくわからない上、入れすぎても平気な顔で飲んでしまうので、入れないほうが無難だろうと踏んでいるのだ。お店で出てきたものをそのまま飲んで入れば、失敗することはない。


「おっとなー。てか、飲まないの?」

「いただきます・・・」

 ニヤニヤする彼女を尻目に、できるだけ浅くストローに口をつけて飲む。

 甘い。冷たい。苦い。ジャリジャリする。口の中で溶ける。味が残る。

「美味しい?」


 彼女は首をかしげる僕にそう尋ねた。

 美味しいのだろうか。全くもって分からないが、多くの人が買っていく商品なのだから、それなりに美味しいことになるのだろう。


「美味しい、です。これ、好きなんですか?」

「うん。私は甘いの好きだからさ、こう言うの見ると買いたくなっちゃうの。」

 僕はレジの方に目をやり、ショーケースに並んだケーキを眺めた。

「お腹空いてますか?」


「え?まぁ、昼食べる時間なかったからね。」

 財布をポケットから出し、腰をあげる。

「ケーキ、食べますか?カフェオレのお返しってことで。」

「気にしなくていいよ!先輩なんだから奢らせてよ。」

 そう行った矢先に彼女のお腹が情けない音を立てる。

「僕普通に仕事してますから。国家試験受かって初任給でたら、何か奢ってください。」


「そうだった。君お金持ちなんだよね。じゃぁガトーショコラ。」

「お金持ちではないですが。」

 僕はショーケースの前に行き、ガトーショコラとサンドイッチを注文した。店員さんがにっこりと笑いながらトレーを手渡してくれたので、僕は軽く笑みを返して席に戻った。


 彼女は僕がさっき読んでいたファッション雑誌から顔を上げ、僕が彼女の前においたトレーを見て目を丸くした。

「サンドイッチもいいの?ありがとう。これ、好きなやつだ!」

 ものすごく美味しそうな顔でサンドイッチを頬張る彼女を見ていると、自分もきちんと味覚が備わっているような錯覚に陥った。


「すごい可愛い。」


 さっき言われた約束の言葉をボソリと口にする。彼女はちらりと上目遣いで僕を見、ケラケラと笑った。

「赤いよ、久成。」

「約束させたじゃないですか。」

 色白の肌の人は、赤くなりやすいらしい。僕は片手で顔を抑え、俯く。恥ずかしいというのはこういうことを言うのだろう。


「この流れで恋バナでもしよう。久成、好きな女性のタイプは?」

「それ僕が言う必要ありますか?」

「言わなくてもいいけど、久成が誰でもオッケーって触れ回る。」

「・・・黒髪で切れ長の目で、清楚で自分意見をはっきり言う人。」

 スラスラと好きな人のタイプが口をついたことに驚く。なんと言う抜かりなさだろうと感心すると同時に、そう言う人を見ても何も思わない矛盾したプログラムに違和感を抱いた。


「明らかに上級編じゃん。恋とか興味ないです、って人じゃん。年は?」

「同い年か前後一つくらいがいいです。」

「へぇ。身長は?」

「すみません、僕ばかり喋っているようじゃつまらないので、そちらの話も聞かせてください。」

 彼女は「私には陽奈っていう名前があるんだけどなぁ。」とぼやいて、ガトーショコラの上にかかっている粉砂糖をちょいちょいと掬ってペロリと舐めた。

「私は黒髪ストレートで色白で二重で、暴力振るわなくてニコニコしてて優しい人が好きだよ。」


「それは、前よくつるんでいた人と対照的な人ですね。」

 彼女、井上陽奈は医学部の二年生で、元ギャルと言う経歴の持ち主で、陽一のお姉さんだ。


「DVに妻子持ち、二股、薬物、ろくなやついないよね。」

 自嘲気味に笑い、すっと首元に手を当てる。

 僕は彼女が残しておいたらしい金箔のかかったチョコをつまんで、パクリと口に入れた。案の定、彼女は僕とお皿を交互に見つめた後、猫みたいな唸り声をあげて僕のカフェオレについていたクッキーをかすめ取って行った。いつもの笑顔に戻った彼女にホッとしていると、あろうことか彼女は僕に恋人同士がやることを強要してきた。


「口開けてよ、久成。」

「そう言うのは恋人とやってください。僕はデートするためにここにきたわけじゃありません。」

「つれないなぁ、もう。アメリカ土産あげるからさ、付き合ってよ。」

 僕は深くため息をつき、差し出されたガトーショコラを頬張った。しっとりしていて、舌の上でほろほろと崩れ落ちる。

 甘くて、苦い。


「これ、お土産ね。」

 彼女は青いショールを僕に手渡し、(そう考えてもアメリカ土産には見えなかったが。)尊大そうに言った。

「ありがとうございます。成果は、ありましたか。」

 本題に切り込む。きっと彼女はこの話を先延ばしさせたかったのだろう。弱々しく首を振った後、うつむいてしまった彼女は追及を逃れようとしているように見えた。

「どうだったんですか?」

「教授がいろいろ話を聞いてくれて、私も色々見せてもらったんだけど、前例がないって。」


 予想していた答えだった。

 これは僕が期待も希望持てないロボットだからじゃない。

 そんなことはとっくに知っていただけだ。


 「今じゃもうどこでも同じような感じですよね。」

 淡々と答える。彼女は指が真っ白になるほど強く手を握り合わせ、こくりと頷いた。


「その間、久成んちに泊めてくれてありがとう。陽一も一人じゃ何するかわかんないから。」


 陽一は普通の人よりずっと強い。家族を悲しませるようなことしないだろう。でもそれはあくまで僕の見解だから、突然自殺を図らないとは言い切れない。

「それで今日は、何が聞きたいの?」

 彼女は硬い声でそう尋ねてきた。

「アメリカでの話だけです。あ、でもこの後、少し付き合ってくれませんか?」

 彼女はニヤァ、と陽一そっくりのいたずらっぽい笑顔になり、足を組み替えた。

 僕は笑顔を作る拍子に、ひとしずく机に滴り落ちた水滴を見なかったことにした。


「なにぃ?デートのお誘い?」

「そう言われるとそうかもしれませんね。」

 いたって真面目に答えると、彼女は黄色い声をあげた。

「どこ?どこ行くの?」

「結構大掛かりな契約が取れるかもしれなくて、スーツが必要なんです。でも僕が持ってるの、ちょっとカジュアルすぎて・・・」

 彼女はぽん、と手を打って立ち上がり、僕の頭を叩いた。

「久成のプログラムって、服のセンスあんまりないよね。」

 彼女は僕がアンドロイドだと知っているもう一人の人だ。陽一と違い、僕を生身の人間のように扱ってくるけれど。

「と言うのは建前なんですが、詳細は外でお話ししますね」

 彼女はわかってるわかってる、と言う風に頷いて、残りのフラッペを一気に流し込んだ。


「行こっか。」

「すみません、今度何かお礼しますね。」

 彼女は勢い良く立ち上がって僕の手を握った。

 振りほどけそうもないので引かれるまま外に出る。日が傾いてきていてもジリジリと暑いアスファルトの熱をスニーカー越しに感じる。クーラーで冷え切った体を暑さに慣らしていると、彼女が肩を突いてきた。話せと言う合図だと受け取った僕は、店のガラス越しに見えるフードの女性を指差す。

「朝からずっとついてきてる方がいるんです。あそこに座っている女性なんですが・・・」

 頭を下げると、彼女は「お互い様だね〜」と言って笑った。僕はよく彼氏のふりをして、ストーカーと化した彼女の元カレを諦めさせることに協力していた。初めは陽一がやっていたらしいが、陽一の彼女に会ってしまって修羅場になりかけた時があり、降りてしまったらしい。


「私は久成の恋愛の先生だもんね。」

「よろしくお願いします。先生。」

「今日相談があって。泊まりに行っていい?」

「はい?」

 思わず聞き返す。

 数秒後に彼女が行った言葉の意味を理解した僕は、何と無く17歳男子の考えることを恨めしく思った。いちいち頭をよぎることが鬱陶しくて仕方がない。


「いいですよ。話すことあるんでしたら、陽一も呼んだ方がいいですよね。」

「あ、うん。でもあの人、今日病院。」

「終わったら合流しましょう。外面には僕は普通の男子なので、女性を連れ込んでいると思われたら面倒です。」

「何か違うの?連れ込んでることに何か変わりある?」


「やましいことがないと言い切れるので、そういうことにはなりません。」

「やましいことって何?私わかんないんだけど。」

 彼女は僕の手をするりと恋人つなぎに握り替え、いたずらっぽく言った。

「わかってるくせにそういうこというの悪趣味ですよ。最低です。」

「耳赤いよ?だってどう言うか気になるじゃん。言わなかったらハグしちゃおうかな?」


 冗談めかしていないところが怖い。でも口に出すのは嫌だ。もごもごしていると、彼女は本当に僕を引き寄せ、軽く腕を回した。実際、僕はあくまで機械だからそういう行為に及ぶことはできないのだけれど、脳内は余計な情報で埋め尽くされる。


「照れ屋さんのプログラムって最高。ってちょっと待って、あの女ついてきてるよ。」

 慌てて振り向くと、フードを深く被り、マスクをした女性がこそこそと電信柱の陰に隠れていた。僕はためらいなく携帯を取り出す。警察へ電話をかけようとしたところで、女性のフードがパサリと落ちた。見覚えのある顔が慌てたようにフードを被ろうとしてワタワタしている。案外不器用なようだ。


「知り合いです。ちょっと待っててもらえますか。」

 僕は彼女が頷くのを確かめた後、女性の方に歩いて行って首を傾げた。

「何しているんですか?教授。」

 教授は僕を見上げ、いつもの人間らしさの失せた顔になった。

「お前は私からの連絡を着信拒否にしているな?今日緊急で実験室に来てもらわなくちゃいけない。だが、何がどう転んだのかお前の頭の中は桃色になっているようだ。」


 教授流の冗談なのだろうか。全くもって笑えない。


「だからってこんなストーカーのようなことをしなくても良いのでは?」

 教授はくいっとメガネを押し上げ、「これもおまえの行動をたどる実験の一つなんだよ。」とやるせなさそうに言った。確かに教授がつけてきていることがよくあるのは知っていたが、こんなに怪しい格好だったことはなかった。おかげで気がつかず、彼女に迷惑をかけた。

「警察に捕まったらどうするんですか?」

「理由は説明できる。問題ない。」 

「そういう問題ですか・・・」

「ああ。言い忘れていたが、今日、研究所に来い。」

「今日は無理です。泊まりに来る人がいるので・・・」

 教授は薄い唇を皮肉っぽく歪めて笑った。

「お前は子供を作ることはできない。その研究も進めてはいるが・・・」

「誤解しないでください。そういう意味じゃありません。それにそんなの、なくていいです。」

「より完璧を目指すには・・・」

「もう十分です。」


 教授と睨み合う。僕は教授といると、感情、と呼ばれるものが失せていく。完全な機械と化す。


「お前は私の思惑どうりに動いてくれていればいい。」

 教授は薄く笑って言い、僕の頭を突いた。

「はい。ですが・・・」

「お前のプログラムにちょっとした誤差を発見した。大事にはしたくない。」

「どこの部分に?」

「思考の部分だ。何かいじったか?」


 思い当たる節がないわけではなかった。陽一が書き換えたのだろう。

 このままだとまずい。やろうとしていることがバレたら、教授はどんな手を使ってでも阻止しようとしてくるだろう。


 圧縮作業で、省いてからいこう。

「わかりました。では二日後に行き

ます。」

 きっぱりと断言する。

 教授はちらりと通りに立っている彼女を見た。その顔が一瞬妙に引き攣り、ぱっくりと傷口が開いたように歪んで見えたのは、僕の気のせいだったのだろうか。それとも、教授の人間らしさが取り戻された瞬間だったのだろうか。僕には理解できなかった。



 立ち去る教授の背中が角を曲がったのを見届けてから、僕は彼女の元に戻った。

「すみません、待たせてしまって。」

 彼女はハッとしたように僕を見て、曖昧に笑った。

「全然大丈夫だよ。解決して、よかったね。」

 僕はあまり人の感情というものが読めない。だから、彼女のとってつけたような笑顔の意味も、きりりと唇を噛む理由も、僕には全くわからなかった。

「すみません、あの。」


 彼女はふと思いついたように歩き出し、彼女の家とは逆の方向へ向かって行った。

 彼女が向かっている所が分からなくなった僕は、そう呼びかける。彼女は振り返ることはなく、答える事もしてくれなかった。


 諦めてついて行くと、彼女は陽一がいるはずの総合病院の入り口へ消えていった。慌てて後を追う。何をする気かしらないが、部外者の僕が用もなく入れるほど、病院というのは適当な場所じゃない。彼女の後を追わなければ、僕一人外に残されてしまう可能性も大いにあり得る。


 自動ドアを潜って、一応手を消毒し、教授の実験室と同じような作りの白い空間に足を踏み入れる。ロビーには多くの人が待っていて、ある人はだるそうに、ある人はペちゃくちゃと話しながら自分の番号が呼ばれるのを待っていた。思っていたより多い人の数に圧倒されながら、必死で彼女の姿を目で探す。


 ようやく見つけた彼女は、エレベーターに乗り込もうとしているところだった。慌てて追いかけようとして、目の前にあった椅子に躓いた僕は、その椅子に座っていた人の足を蹴ってしまった。体勢を立て直し、エレベーターの方をみると、すでに彼女の姿はなかった。振り返って座っていた人に頭を下げる。

「申し訳ございません。お怪我は・・・」

 初老にさしかかったくらいの女性だった。

「あ、いえ。わざわざごめんなさいね。私が足を出していたせいでもあるのに。」

「こちらの不注意です。本当に申し訳ございません。」

 ひたすら頭を下げる。怪我をさせていたら命に関わってしまう歳の人だ。

「気になさらないで。それより貴方が探していらした方、あちらで看護士さんと何か・・・」


 誰にでもわかってしまうほど、僕は必死に探していたのだろうか。目を合わせ辛くなってもう一度頭を下げ、僕は早々にそこを立ち退いた。


 看護士さんと何か話しているのを邪魔するのも気まずい。諦めて外へ出ようとした僕の耳に、聞き覚えのある名前が飛び込んできた。


「井上が検査の最中にまた消えた。いつもの資料室を探してきてくれ。」

 白衣を着た医師が低い声で横を歩いていた看護婦に言い、颯爽と目の前を通り過ぎて行った。

「ほんと、何してるんだろうね。陽一は。」

 いつの間にか背後に立っていた彼女は、呆れ切ったようにため息をつき、僕の腕を軽く引いた。

「あれ、さっきまで看護士さんと・・・」

「あー陽一が何階にいるのか聞いてただけ。おいて行っちゃってごめんね?ちょっと考え事してたら・・・」

「それは気にしないでください。その代わり、一つ教えてください。」

 彼女は僕が怒っていると思ったのか、おずおずと頷いた。

「どうして病院に?用事があるわけでもないでしょう。」

「陽一に確認したいことがあったんだけど、また逃げ出したみたい。これじゃ、検査も長引く。」

「今ですか?」


 開き直ったように彼女は僕を見上げ、腰に手を当ててプイッとそっぽを向いた。

「知ってるだろうけど、思い立ったら吉日が座右の銘なの。さっき聞きたいことができたから、きたの。」

「知ってますけど・・・いくらなんでも突然すぎます。ついていけません。」

「久成が私についてこれた事なんてないじゃん。陽一もなんだけどね。」

「きっと誰もついていけませんよ。聞きたいことってなんですか?あとでじゃダメなんですか?」

 彼女は嫌な感じのし

かめっ面になって、「久成って意外と束縛系?」と意味のわからないことを聞いてきたので、僕は彼女を無視することに決めた。ロビーに行き、経済に関する話が載っている雑誌を購入し、椅子に腰を下ろす。彼女はその間じゅう謝ってきたけれど、無視しようと決めたからには答える気は無い。速読法で早く読み終わることもできるのだが、わざと1文字1文字おって時間を延ばす。


「ごめんて久成。束縛系とか言って悪かったって。本心じゃないから!久成はいいひとだよ。色々なかったら付き合いたいよ。頭いいし、顔もいいし、身長あるし。」

 僕はため息をついて足を組み、雑誌から顔をあげた。

「お世辞に聞こえます。みなさんのご迷惑にもなるので、静かにしていてくれますか。」


 彼女は膨れっ面になってスマホを取り出し、メモのページを開いた。何をするのかと不思議に思って眺めていると、[そろそろ機嫌なおしてよ。]と打ち込んで見せて来たので、僕もスマホの画面に[不貞腐れている訳じゃありませんよ。]と打ち込んで返す。


「不貞腐れてるでしょ。すみませんそこのお姉ちゃん。この人ふてくされてますよね。」

 あろうことか彼女は隣に座っていた小学校二年生くらいの子に意見を求め出した。その小学生はカップルの喧嘩とでも思ったのか、困りきった顔で「仲直りしないの?」と聞いて来た。


「私はしたいんだけどね〜このお兄さんが許してくれないの。」

「先輩、迷惑を振りまかないでください。」

「先輩?お姉さんたち恋人じゃないの?」

 僕はその小学生に微笑みかけ、首を横に振った。

「僕の友達のお姉さんなんです。」

 横で「小さい子には夢を持たせてあげなよ。」と見当違いのことをぼやく彼女のことは放っておいて、腰をかがめて視線を合わせる。

「迷惑かけてごめんなさい。」

「お兄さん、アイドル?」

 突然のことに反応できないでいると、彼女がケラケラと笑い「まさかー」と応じた。しばらくしてその言葉の意味を理解した僕は、どうして、と首を傾げてみる。

「かっこいいから。いいなぁ。」

 そう言ってふらりとさっていってしまった。


「最近の子はませてるねぇ。」

 彼女はのんびりと言って、僕の顔を覗き込んだ。

「やっぱ整ってるよね。不気味じゃない程度に。」

「別に整ってなくてよかったんですけどね。」

「それ、嫌味にしか聞こえないよ。」


 切れ長の二重で鼻筋の通った彼女がそれを言ってもまた嫌味にしか聞こえないのだが、突っ込む必要がないと判断して首をかしげるにとどめておいた。


 それから2時間経っても陽一は姿を見せず、しびれを切らしたらしい彼女が病院の廊下を行ったり来たりし始めたので、八つ当たりをされたらたまらないと思った僕は彼女に家の鍵を渡し、買い物をして帰るから先入っていてくれと言って病院を出た。

 ここ数日、本格的に夏になったのか、昨日までカラッと暑い日が続いていた。街を歩く人の服装も、半袖の人が増えている。


 女子高生が集団で下校するのを自動販売機で飲み物を買うふりをして見送った(普通に通って絡まれた経験から、僕は隠れるということを学んだ。)後、僕はいつもよりも少し遠いスーパーまで足を運ぶことに決めた。



 日が傾いた空に、低い雨雲が立ち込めていた。

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