第6話 メイドとゴールデンウィーク。
いつも通りの時間に目が覚める。目覚めは良い方だから起きるのには苦労しない。
ジャージに着替え一階に降りると陽菜はもうすでに朝の仕事を始めていた。
「陽菜、おはよう。いってきます」
「おはようございます。行ってらっしゃいませ、ご主人様」
五月の寒いというより涼しい朝を駆け抜ける。通い慣れたランニングコースは桜が散ってすっかり緑になっていた。いつも通りの時間に目的地の神社に着く。
息を整え構えを取る。父親に教え込まれた格闘術の練習と言うか確認をする。
絶対に忘れるなと言われているし、自分も覚えておきたいとは思う。
実際に人と戦うのとは違い、こういうのは一人でやってもせいぜい型の確認しかできないが、やらないよりはましだろう。
まあ、対人稽古なんて、父親としかやったことないけど。
かれこれそろそろ三か月、対人での訓練はしていない。
父親はかなり強いと思うから、その経験だけでもかなり役に立つはずだ。というか世の父親があれくらい戦えたら怖い。
何を思って熊を素手で倒せるほどに強くなろうと思ったのかはいまだに謎である。
一通り型の確認が終わったら、今度はダッシュで家に帰る。ウォーキングやランニングをしている他の人たちを追い抜きそのまま家に帰る。
これが僕の朝の日課だ。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま」
「シャワーの準備はできているのでどうぞ」
「ありがとう」
毎朝僕が帰って来るのに合わせて、シャワーと朝食の準備がされている。着替えまで準備されるのは少し恥ずかしいが、やめてくれとも言いづらい。
熱めのシャワーを浴びて出てくるころには、朝食の準備は済んでいる。
僕が食べている間に陽菜は別の仕事に取り掛かる。陽菜はまだ僕とはご飯を食べてくれない。
朝食を食べ終わり、やることがない僕はそのままリビングのソファーで何をするわけでもなく怠惰に過ごす。
無気力にそこにいるだけの物になる。
掃除機をかける音が、洗濯物が出来上がった音と同時に止まる。僕が陽菜の仕事を手伝う余地は無いし陽菜が許さない。
一度手伝おうとしたが、あっさりと陽菜にその仕事は取られてしまった。
「メイドの仕事を全うさせてください」
そう言われてしまっては任せるしかあるまい。
感情はちゃんとあるし、メイドと言う仕事に強いこだわりがある。
その事はわかってはいた。けれど、彼女はどうしてそこまで尽くそうとするのだろう。
仕事だからという一言で済ませようにも済ませられない話だと思う。
わざわざ同じ高校に入学する必要なんて無いはずだ。むしろその方が仕事も多少は楽になる。妥協を許さないという彼女の姿勢だとしても、どうにも腑に落ちない。
派出所とやらの指示、だとしたら、何が狙いだ。
「ご主人様、午前中の仕事が終了したことを報告申し上げます」
「うんお疲れ様」
陽菜は平常運転、怠惰な僕を呆れるわけでも蔑むわけでもない。淡々とそこにいる。
スマホを開くと桐野から練習がきついと連絡が来ていた。
自分で選んだ部活だろとだけ返しておく。
寝休日を過ごす僕よりは立派ではあるが。
そんな連休もそろそろ終わるという日。いつもと変わらず仕事をしていた陽菜が、自分のスマホを差し出す。
「夏樹さんの方からお出かけの誘いが来ました。ご主人様も来てほしいとのことです」
「うん。準備する」
自分のスマホを確認すると確かに連絡が来ていた。
部屋に戻り部屋着から着替えて荷物を持って玄関に向かうと陽菜はすでに待っていた。
今日は白いパーカーにジーンズという格好だ。
「んじゃ、行くか」
「はい」
布良さんから指定された場所は電車に乗って一駅にあるゲームセンターだ。
はて、ゲームセンターで遊ぶというイメージは全く無いのだが。
「来たね~、私も今来たところだよ~」
待っていた布良さんの格好と言えばこれまたゲームセンターじゃなくてオシャレなカフェにティータイムでも行くのかという格好だ。ピンクのカーディガンに白のロングスカートを合わせたおとなしい格好。
「夏樹さん。こんにちは」
「さて二人とも、今回は私の高校デビューに付き合ってくれてありがとうございます」
「高校デビュー?」
「そうです。そうなのです。遊びを覚えるのも、大事だと私は愚考したのです。というわけで、ゲームセンターデビュー、行ってみましょう。と言いたいところだけど、二人ともお昼食べちゃった?」
「いえ、まだですよ」
「そう、じゃあ。そこのファミレスで良い?」
そんなわけで昼食。
注文したものが届いたところで、三人で手を合わせる。
「陽菜ちゃん、オムライスがとても似合うね」
「はて、それはどういう意味ですか」
「うーん、そうだね。なんか絵になる」
「遠回しに子どもっぽいと言われている気がします」
「あはは」
そう言いながら自分のパスタを一口食べる布良さん。僕はと言うと、ドリアを頼んだのは良いが熱くて苦戦している。
「うーんそうだね、あれだよ。白に黄色映えると言うか、うん」
「いえ、取り繕わなくても。いろいろもう諦めてはいるので」
「まだ諦めちゃ駄目だよ。一緒に頑張ろう」
「布良さんがそれ以上育ってどうするのですか?」
「まぁまぁ」
会計を済ませ、ゲームセンターに戻り、布良さんが先頭を切って意気揚々と中に進む。
正直ゲームセンターはあまり得意な空間ではない、うるさいとも思うし、雰囲気が苦手だ。
入ってすぐ、陽菜が立ち止まる。
「陽菜、どうした?」
「いえ、なんでもありません」
陽菜がじっと見ていたのはUFOキャッチャーの中にある人形。
「やってみるか?」
「い、いえ」
「じゃあ、僕がやる」
三百円取り出し挑戦、しかし取ることができない。掴んだが、少し動かしただけで終わる。
「アーム弱すぎだろ」
「そうですね」
「日暮君、やってみても良い?」
布良さんがじっと、僕が取ろうとした人形を眺めている。
まだ挑戦回数は残っている。僕がこのままやっても無理そうか。
「どうぞ」
「ありがとう」
布良さんが挑戦。
迷うことなくアームを動かしていく。
アームに、人形のタグを引っかけて、持ち上げる。そのまま吸い込まれるようにストンと取り出し口に落ちてくる。
「本当に取れちゃったよ……」
本人が一番驚いていた。
「あげるね。陽菜ちゃん」
「えっ、でも。相馬君が払ったものですし、夏樹さんが、取ったものですし」
「良い。僕が持ってるより、陽菜が持っている方が似合う」
人形と布良さんを交互に眺め、僕を見る。頷いて視線に答える。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
それからいろんなゲームで遊んだ。
「ゾンビが迫って来る、ひぃ!」
「夏樹さん、ちゃんと狙ってください」
陽菜が意外とゲームが上手だ。迫りくるゾンビの頭を正確に打ち抜いている。
「布良さん、ハンドル切りすぎ、ガードレールにぶつかるよ」
「ハンドルが重い……」
布良さんの操作する車が、時間内にゴールに着くことは無かった。
どうしよう、このままでは布良さんができるゲームが、UFOキャッチャーだけになってしまう。
「夏樹さん、そっち行きました」
「任せて! それ!」
エアホッケーで盛大に空振りだと……。
二対一での勝負、陽菜がとるポイントと布良さんのミスでの失点が釣り合っている。
僕が自分で決めるポイントもあるから、勝っているのだがこれ負けた方が良いのかな。
まぁ、これだけ失敗しても楽しそうだからなぁ、これはこれで良いのかな。
しかし、布良さんの才能は別のゲームで発揮された。
それはとても有名な太鼓を使ったリズムゲーム。僕は苦手だから布良さんと陽菜がやる。
「せっかくだし一番難しいのに挑戦しよう」
「わかりました」
二人とも最高難度を選択。止めた方が良かったのかな、と迷っているうちに曲がスタート。僕は、見守る事しかできない。
リズミカルに響く太鼓の音、二人とも無難にスコアを重ねていく。どうしてだろう、二人が眩しく見える。少しずつギャラリーが増えていく。
曲が終盤に差し掛かっても、二人の集中が乱れることは無い。冷静に叩く。最小の動きで素早く処理していく。
やがて、曲は終わり。フルコンボこそ行かなかったが、演奏成功の文字がそこにはあった。
「ふぅ、疲れた」
「布良さん、どこに行くのですか?まだ終わってませんよ」
「え?」
「二曲目は何にされますか?」
気が抜けた布良さんの集中力では、最高難度を成功させることは叶わなかった。
「結構遊んだなぁ」
見ているだけでも結構楽しめた。
「あっ、見つけた! これだよ」
「どうかしましたか? 夏樹さん」
突然駆け出した布良さんが指さしているもの、それはプリクラだ。
「高校でできた友達と一緒に撮るの、夢だったの。撮らない?」
「えぇ、良いですよ。相馬君も撮りましょう」
「そうだね、思い出思い出」
それからが大変だった。
「ほら陽菜ちゃん笑って! 顔は可愛いのにどうして不愛想なの?」
「布良さん、時間ないよ」
「撮り直しが一回できるらしいから、とりあえずこれは捨てる。さぁ陽菜ちゃん、私に笑顔を見せて」
「良いじゃないですか、笑顔見られるの恥ずかしいです」
「そんなことないよ、陽菜ちゃんは可愛いから」
陽菜の頬をムニムニとほぐしにかかる布良さんと、それを引きはがす陽菜。
狭い空間がちょっとだけ賑やかになる。
「諦めてください」
「あと十秒だぞ」
「ほら、夏樹さん。センターはあなたです。飛び切りの笑顔をどうぞ」
「陽菜ちゃん、笑ってよ」
「はぁ……わかりました。特別ですよ」
撮れた写真をデコレーションするコーナーにて、布良さんは一言こう言った。
「陽菜ちゃん、作り笑い苦手なんだね」
「だから言ったじゃないですか」
最後に撮った写真、そこには不気味な笑みを浮かべた陽菜がいた。
「もう写真なんて撮りません。えぇ、絶対に」
「まぁまぁ、デコしよ?」
「お任せします……」
出来上がった写真は、それはもう見事に女子女子していて、写っている自分の場違い感がすごい。
ゲームセンターを出て近くの喫茶店に入り各々注文して、今日のゲームセンターでの戦利品を見てみる。
「この人形、本当にもらってもよろしいのでしょうか?」
「うん、陽菜ちゃんのために取った物だし」
「ありがとうございます」
熊の人形を大事に抱きしめるその姿は、年相応に見えた。良い友達を持ったなと思う。
「はい布良さん、切り分けたからどうぞ」
今日撮った写真をそれぞれ配る。
「ありがとう日暮君」
「ありがとうございます。大切にさせていただきます」
布良さんと別れ家路につく。
電車の中、陽菜はさっきのプリクラを見ている。
その顔には何も浮かんではいない。けれど多分、嫌な気持ちで見ているわけじゃないはずだ。
「……良い写真だね」
「そう、ですか?」
「うん」
電車を降りる頃には、日はほとんど沈んでいた。
家の方に足を向ける。
「あっ」
「どうかした?」
「あの、調味料類。特にお醤油が心許ないので、買いに行ってもよろしいですか?」
「OK、行くか」
「いえ、一人で」
「僕も行った方が色々買えるでしょ」
「そ、そんな。相馬君を荷物持ちにするわけには」
「良いから。行くよ」
陽菜は、立場上、多少強引に行けば断れない。そう思ったら案の定、押し切れた。
二人でスーパーに行くと、丁度夕方の時間帯で、店は込み合っていた。
しかし陽菜が言うに今日、明日分の材料は既に用意されているそうで、本当に調味料を買うだけで済んだ。
「兄妹でお買い物かい? 仲良いね。妹さんの方はよく見るけど、今日はお兄ちゃんも一緒なのね」
レジのおばさんにそう言われた時の陽菜の表情が、わずかにひきつっていた。
「妹ですか。私と相馬君、そんなに似ていますか? 妹に見えますか?
お兄ちゃんとお兄さんとお兄様と兄さんと兄様と兄ちゃん、どれがお好みですか?」
「いや、妹萌えとかしないから」
袋に買った物を詰めながらそんな会話をする。こんな会話ができる程度には、仲良くなれたのが嬉しい。
買い物が終わり、少し歩き疲れたし、すぐに冷蔵庫に入れなきゃいけないものもないから、近くの公園で少し休むことにした。
夕方のこの時間がとても心地が良い。
特に話すわけでもなくベンチの上でくつろぐ。この気温は、眠気を誘うには丁度良すぎると思う。夕方だからだろう。子ども達もそろそろ帰り始める時間帯、賑やかに帰っていく声が、まばらに聞こえる。
日も長くなってきたとはいえ、そろそろ冷え始めてきた。そろそろ帰ろうかなと考えたとき、肩に小さな重みを感じた。
陽菜だ。控えめに頭を乗せ眠る。疲れていたのかな。
もう少しここにいても良いかなと思うけど、そろそろ風邪をひかないうちに帰った方が良いだろう。
規則正しい呼吸。整った顔立ち。兄妹に見えるほど似てるかな? どうだろう。
でも、陽菜の顔は、どこか、記憶の奥底をくすぐってくる。
決して嫌な感覚ではない。どこか懐かしい。そんな感じだ。
そっと起こさないように陽菜を背負う。思っていた以上に軽いことに驚く。
「起きないでくれよ」
兄妹に見えるならこういう風にしても、全然不自然じゃないだろう。
素直に全身を預けてくれるのはきっと寝ているから。起きたら、どんな反応するだろう。そんな悪戯心も湧いてくる。
そのまま家に帰りソファーに寝かせる。
起きないな。そっと頭に手を乗せて撫でる。髪、サラサラだな。
自分の部屋から掛布団を持ってきてそっとかける。起こすつもりは無い、今日はこのまま休ませてあげよう。
数時間後、起きてきた陽菜が稀に見る慌てぶりで謝ってきた。
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