腐敗臭が虫を寄せる

 夢枕に彼女が立っていた。彼女は悲しそうな、申し訳なさそうな顔をしている。そんな顔、しなくたっていいのに。彼女はその時のことを話してくれた。話してくれた…と思う。具体的な内容が思い出せないけれど。とにかくこのままでは騙されて、殺されるということが言いたいようだった。私は彼女に、もう大丈夫、安心してと言ったと思う。彼女は私のたった一人の…真の意味で、たった一人の友人だ。私を守ろうとしてくれた、彼女の言葉を私は信じる。この両親は偽物なのだ。

 証拠、証拠が必要だ。両親が偽物だということを証明できるだけの証拠。どんなものでもいい。それを探さなければ。危険な賭け、時間はあまりない。けれど、やらなければ。それが今できる私の最良の選択肢に違いないのだから。


 両親は私の外出をほとんど許さなかった。表向きは、の目の悪さと、火傷の酷さということだったが、その真意はおそらくは見た目の悪さと、私がでは無いと知られることを恐れているからだろう。その目的は、死んだを生きていることにして、いずれ自分たちのアリバイが確固たるものになるタイミングを見計らって、を殺すために違いなかった。

 数週間は、私はチヤホヤされ続けた。よくもまあ、の両親に成済ましておきながら、いけしゃあしゃあとこんな振る舞いが出来るものだと感心してしまうほど、二人は迫真の演技だった。の受賞ものだと思った。父は父らしく、母は母らしく、甲斐甲斐しく私の世話を焼き、気にかけ、私の容態を度々心配した。私が何か新しいことを一つ行うたびに、喜び、驚き、動揺し、時にはともに悲しみ、本当の親子のように過ごした。父は度々仕事で家を空けたが、帰ってくると真っ先に私の部屋に来て話をした。仕事の話、友人の話、趣味の話・・・。私の声は焼け爛れて、タダでさえ汚い割れた音を出していた喉は、更に酷く、聞き取りづらい声になっていたが、父は懸命に私の話を聞いた。母はその間、私の焼け爛れた髪を撫でてくれた。まさに、愛にあふれた家族像そのものだった。全てが仮初で偽物で、私にとっては反吐がでるほど居心地の悪い時間に違いなかった。

 私の態度が一向に軟化しないせいか、そんな時間は長くは続かなかった。父も母も、なんとなく疲れてるような雰囲気を漂わせている気がした。数週間前、家に来た時と比べると、二人とも、明らかに元気がなかった。少なくとも、私にはそう見えた。その日も、無言の食卓に着く。並んでいるものはの好物ばかりだと言うのに、3人の表情は硬い。いつしか、食卓は常に静寂が支配するようになってしまっていた。毎日全く同じように、の思い出の中の料理だけが繰り返し繰り返し並んでいる。私は全て、こんな料理好きだったことは一度もない、けれど作ってくれてありがとうと言いながら食べた。母は、もう何か食べたいものがあるか、などと聞く勇気は無くなっていたようだった。それをする意味さえ無い事を母はわかっているんだろう。本当は他人なのだから。

 が近づいている。直感でそう思った。なら、このことに大層悲しんだような気がしたけれど、は自分の直感の確からしさがむしろはっきりしたことで、自分の正しさを強く実感していた。この二人のしっぽを出させるには撒き餌が必要だ。そこで私はまずを入れるために、出来る限り差し障りのない記憶をことにした。

 記憶の偽装はそんなに難しくない。ほんの少し、含みを持たせるだけでいい。なんてこと無いことだ。例えば、2人の食事に入っていて、私の食事に入っていないもの。それは彼女が嫌いだったか、アレルギーがあったものに違い無い。知人や親戚たちは、アレルギーのことは一言も言っていなかったから、それは嫌いなものに違いなかった。その話をするのだ。食事の話ならば毎日起こっていて、嘘を出来る限り吐かずに済み、自然で収集を付けやすい話題だ。


 繰り返される無言の食卓。食事もそこそこに私はおもむろにスプーンを置く。スプーンがお皿とぶつかって、金属音が小さく静寂を破る。父と母はその音に気が付き、手を止める。そして私はほんの少しの間を置いて、口を開く。




「…そう言えば、わたし、玉葱は食べないのよね…。」




しわがれた声で、出来る限り嘘を混ぜないように、探れるように、相手が勝手に思い込むように言葉を選んでいく。恐る恐る2人の顔を見上げると、両親は怪訝な顔をしている。しまった・・・怪しまれたか、と思ったその時、母が口を開いた。


「…そう、そうなのよ。あなたは玉葱を食べないの…好き嫌いは良くないわって…私は良く叱った。おかあさま、でも、嫌いなものは嫌いだもの、あなたはいつもそう言って、絶対に食べようとしなかったわ。私はなんとかしてあなたに玉葱を食べさせようって、努力したわ。刻んで隠してみたり、煮込んでトロトロにしてみたり…でも、ついにあなたは玉葱を食べてはくれなかった…。」


母はそう言うとしくしくと泣き始めた。私の心臓がきゅんと締め付けられた。泣かせるつもりじゃなかったわ。どうして泣くの。あなたは偽物の親なのに。父が、情緒不安定な母を部屋に連れて行ってしまった。私は独り食卓に取り残されて、食事を続けるしかなかった。

 つまるところ、私の演技は上手くいったのだ。だから、きっと今夜、2人は話合いをするに違いない。私を殺すか殺さまいか、その決断をするために。その会話を押さえるのだ。そして私は彼らに見つかる前にこの家を出る。彼らを告発し、私は虫たちが集るというこの腐った死体から這い出て、自由な大空と大地へと歩を進めるのだ。

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