【自分という役】

自分じぶんというひと


自分をやめられるなら楽になれるのだろうか?

自分を捨てられたなら楽になれるのだろうか?

他人がいる。

自分がいる。

他人がいて自分がいる。

自分がいて他人がいる。

その中でずっと自分というひとを演じてきた。

自分というひとを必死で作り上げた。

そこには孤独しかない。

そこには不自由しかない。

すべての自分が自分というひとに殺されていく。

すべての自由が不自由の中にある。

自分のすべてが自分を殺していく。

孤独ではないのは自分というひとでしかない。

自分という他人は常に孤独で包まれている。

他人のぬくもりがあたたかく思えるのは演じてきた自分というひとが感じている他人のぬくもりでしかない。

自分がない。

他人がある。

もうなにもいらない。

自分も自分というひとも他人も他人というひともいらない。

なにもいらない。

許されるなら自分を救ってやりたい。

自分を自由にさせてやりたい。

そう思いながらそれが出来ないのは他人というひとと自分というひとが繋がっているとわかっているから。

なにもなければどれほど楽だろうか?

それは本当に楽なのだろうか?

それはわからない。

ただ、自分は一度も自分だったことがない。

他人に合わせた事は一度もない。

それでも自分だった事もない。

自分は自分をしっかり持っていると思われているらしい。

それは自分というひとをしっかりと演じられているだけに過ぎない。

自分はどこにいるのだろう?

自分というひとはどこへ向かうのだろう?

一度でもいい。

自分になりたい。






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