レフィナはへたり込んだまま動かない。

 彼女は今、呆然と地面を見つめて夫のことを思い出していた。


 レフィナの夫はギルドでもそれなりに名を馳せている人物だった。魔法も人並みに扱え、武術にも長けていたことから、高額報酬の依頼を完遂することも出来ていた。そうして稼いだ金を、彼は一切自分のためには使わず家族のために使った。

 しかし彼は死んだ。レフィナが聞いた話によると、どうやらギルドからの依頼である人物について調べていたらしい。その人物は違法な魔法生物〝魔物〟を頻繁に生み出しているという噂が流れていたのだ。

 調査するにあたって、彼は信頼できる者と組んで行動していた。その時組んでいたとされているのが最強の男とも言われている――そう、ユースである。

 しかしユースは事を慎重に進める人間だった。例え被害が出たとしても、確証がない限りは動かない。正義感の強い彼とは、真逆の考えを持っていたのだ。

 調査していた街で被害が出始めた時、彼はユースに言ったという。


『例えあいつが犯人でなかったとしても、疑いがあるならば俺はあいつの所に行く。それでもし大勢の人が助かる可能性があるなら、俺は迷わず行動する』


 そう言ってユースの静止を振り切って、彼は単身調査対象のいる屋敷に突入した。

 結果は悲惨だった。彼の疑いの通り、屋敷には魔物がいた。だが彼の手には負えないほど、凶悪な魔物だったのだ。

 ユースが現場にたどり着いたときにはもう、彼は屍と化していた。無惨にも魔物は、骨ごと彼の体を貪り尽くしていたという。

 魔物はユースによって早々に葬り去られた。そして残ったのは凄惨な血の海と、彼の所持品だけだった。


『すまない、助けられなかった』


 女性が訃報を知らせに来た日、ユースもまたレフィナの元を訪れていた。開口一番に言ったのがこの言葉だ。

 当然、レフィナはユースを糾弾した。夫を返してくれ、そう叫んだのを彼女は今でも鮮明に覚えている。目の前の男が悪いわけではないと分かっていても、悲しみの感情を吐き出さずにはいられなかったのだ。


 当時のことを思い出して、レフィナはふらふらと立ち上がる。

 夫との間に生まれた娘・セシル。愛する娘を一時でも手放そうと考えた自分を呪う。裂けて血が滲むほど、唇を強く噛み締める。


(ソラさんは……あの人によく似ている)


 娘のために単身乗り込んでいった青年。レフィナの目には彼の背中が、夫の背中と重なっていた。


「あの人と同じようなことになってほしくないから……!」


 レフィナは意を決して家を飛び出した。

 誰か彼の助けになれる者はいないか。考えるよりも先に彼女はギルドへと向かっていた。もしかしたらあそこには、彼の助けになれる者がいるかもしれないと。

 息も切れ切れになりながら走り、ギルドに近付いたとき、レフィナは見覚えのある少女を見つけた。少女は書類の束を見ながら、ぶつぶつと何かを呟いている。


(あの子、確か昨日ソラさんと一緒にいた)


 彼女ならばあるいは。そう思いレフィナは駆け寄った。


「あの!」


 声を掛けられて、少女がレフィナの方を向く。


「ん? どうかしましたか? て、あなたは昨日あいつといた……」


 少女トゥネリは小首を傾げる。


「お願いです! 私の娘セシルと、そしてソラさんを助けて下さい!」


 レフィナの叫び声に、周囲を歩いていた者たちが一斉に顔を向ける。

 周囲の視線を感じてトゥネリはレフィナの手首を取った。


「ちょっとわたしの部屋で詳しく話してもらえますか? ここだと人目につくので」

「あ、は、はい……」


 トゥネリに手を引かれるまま、レフィナは宿舎へと向かった。

 部屋に案内されると、レフィナは事情を全て話した。セシルが連れ去られたこと。その原因。そしてセシルを取り戻すため、ソラが単身乗り込んでいったこと全てだ。


「あのバカ……また一人で背負おうとして……」


 話を聞き、トゥネリは唇を噛む。


「私は……彼のことが心配なんです。彼は私の夫に似ている……誰かのために自分を犠牲にする人だって……」

「そうですね。あいつは……自分には誰かを守れる力があるって自覚している。だから背負うとしてるんだと思います。それが力ある者の責任なんだって」

「あの……あなたは彼とはどういった関係なんですか?」

「あいつとはとも――」


 トゥネリは問いに答えようとして一瞬言葉を詰まらせた。


「いえ、あいつとはちょっとした縁があるだけですよ」


 どこか判然としない答えにレフィナは首を傾げるが、今は気にしている場合ではなかった。

 レフィナは立ち上がると、頭を深々と下げる。


「お願いです! お金はいずれちゃんと支払います! だから……ッ!」

「いいわよ、お金なんて」

「えっ?」


 レフィナの驚く声に対して、トゥネリは大きくため息を吐く。


「別にわたしはあなたからの依頼を受けて行くわけじゃないから。わたしが勝手に、少しでもあいつに恩返しをしたいってだけよ」


 そう吐き捨てるように言うと、トゥネリは席から立ち上がる。そして扉に手を掛けて、レフィナの方を見た。


「しばらくここで待ってて下さい。あなたの娘さんも、あいつのことも、それに一緒にいるであろう他の子供たちも全員助けて帰ってきますから」


 言い残された言葉に、レフィナはまた深々と頭を下げた。

 部屋を出て、トゥネリは早足で廊下を歩く。足取りからどこか苛立ちが見える。


「あ、トゥネリさん!」


 外に出たのとほぼ同時に、ルージュヴェリアが声を掛けた。その傍らにはシェルヴィアの姿もある。


「どうしたの? 二人揃って」

「それが聞いてください!」

「ユースのやつが、商会本部に乗り込んでいったらしいわ」

「はぁ!?」


 話の内容にトゥネリは思わず叫ぶ。そして額に手を当てて項垂れた。


「どうしましょう! まだ商会が本当に絡んでいるかわかっていないのに……トゥネリさん?」

「どいつもこいつも……わたしが体裁を気にして行動している内に好き勝手行動しやがってぇ……!」

「あの……もしかして怒ってます?」

「あったりまえでしょ!?」


 トゥネリの叫び声に、ルージュヴェリアは肩を震わせる。それだけトゥネリから溢れている怒りは凄まじい。シェルヴィアでさえ狼狽えている程だ。


「大体あなたがあんなこと言わなければもっと早くに行動出来ていたのに!」

「え、ちょ、ちょっとどうして私が責められているんですか!?」

「うるさい! ああもう、何が依頼よ! 何がギルドよ! めんどくさいにも程があるわよバカ!」

「う、うるさいってなんですか!」


 何故こんなにも怒りを露わにしているのか分からず、その上理不尽にも矛先が自分に向けられたことで不快感を示すルージュヴェリア。

 一方二人の様子を眺めるシェルヴィアは、呆れた表情を浮かべている。


「二人とも喧嘩はやめなさいよみっともない」

「シェルヴィアさん! これ私悪くないですよね?」

「知らないわよそんなこと」

「そっ、そんなことって!」

「それよりもどうするのよ。下手したら大事になるわよ?」


 シェルヴィアの指摘に二人は言葉を詰まらせる。実際大事に発展しかねない状況であるのは間違いなかった。

 トゥネリは頭を掻き毟ると、立ち去ろうと動く。


「あのトゥネリさん、どこへ行くんですか?」

「決まってるでしょ。バカの手助けに行くのよ」

「つまりユースのところに行くってことね?」

「そっちのバカは別に放っておいても一人でなんとかするわよ。どうせあいつらも一緒にいるんだろうし」

「え、じゃあ誰のところに……?」


 問いに、トゥネリは軽く一息吐いて目蓋を閉じる。その様子を二人が不思議そうに眺めていると、トゥネリは目蓋を開いた。


「わたしが守りたい人のところによ」


 それだけ言うとトゥネリは駆け出す。向かう先はリヴェルトス商会ヘルディロ支部の建物。あの場所にいるであろうソラのところだ。


(だってわたしが力をつけたのは、そのためなんだから……)


「守りたい人って、誰のことだろう?」

「さあ?」


 走り去った背中を見送りながら、二人は首を傾げるのだった。


 走りながら、トゥネリは考えていた。

 もし誰かが商会建物に侵入していたならば、何か騒動が起こっていてもおかしくはない。それが無いということは、ソラは商会内部の人間に気づかれずに進んでいるということになる。そうなると思い当たるのは、商会が管理して運営している地下道の存在だ。


「そういや八番街の地下道で誰か倒れてたらしい」

「え、うそ。誰かに襲われたのかしら」

「最近何かと物騒だよなぁ」


(八番街……確かあそこって商会が土地を管理している区画よね……)


 トゥネリは自分の記憶を辿って、八番街に設置された地下道の入り口まで向かった。

 入り口の前では憲兵が倒れていたと思われる男二人に話を聞いている。


「だから覚えてないんだよ! 誰かに襲われたような気がするけど、それが誰か思い出せないんだって!」

「しかし君たち、状況から見るに武装した状態で戦ったのは間違いないんだろう?」

「いやそうだけどよ!」


 男たちの話を耳にして、疑問を浮かべるトゥネリ。


(あいつ、記憶操作の類の魔法も使えるの……?)


 男たちの様子から見るに、倒れるまで何をしていたか記憶にない様子だ。


(まあ考えても仕方ないか。それよりあいつら、多分商会に雇われてる人間よね)


 男の腕に、商会のシンボルを象った刺青が入っている。鑑みるに、この男二人が傭兵であることは間違いない。


(てことは、あいつはここを通って行ったってことか)


 トゥネリは周囲を見渡す。人集りは出来ていない。元々人が来にくい場所であるのが幸いしている。

 息を潜めて、見つからないように入り口に移動する。特に難なくこれを突破し、トゥネリは地下道へと入っていった。


 地下道を通ることで潜入に成功したトゥネリは、探査魔法を使ってソラの魔力の痕跡を探した。


(これは……あいつの髪と同じ色の痕跡?)


 魔力の痕跡は稀にその人間特有の色をしていることがある。ソラもまたその稀少な痕跡が出るのか、痕跡の中に一つ特徴的な空色の物が混じっている。

 トゥネリはこれをソラのものと考えて、痕跡を辿った。道中誰かに見つからないよう、気配を押し殺して進む。幸い誰かが通るということがなかったため、ここも難なく進むことが出来た。

 が、トゥネリは却って不審に思えて仕方がなかった。


〝――まるで、なにかを待っていたみたいだな〟


 脳裏にユースの言葉が蘇る。

 今回の一件も、すんなりと潜入できる今の状況も誰かに作られたものだとしたら。


(違う……そんなわけない……!)


 子供を連れ去られたと訴える者の表情は演技などではなかった。

 子供たちに恐怖を与え、親に悲しみと絶望を与える。そんなことを意図的に起こす者を到底許せるはずがない。

 トゥネリは邪念を振り払うと、足早に痕跡を辿った。そして。


「なんでって、あんたの手助けをしに来たに決まってるでしょ?」


 ソラとの合流を果たすのだった。







「全く。お前たちが束で掛かっても勝てるわけがないと言っただろうに」


 玉座のように豪勢な椅子に腰を掛け、男が嘆息混じりに呟く。

 男の視線の先には、円を描くようにして昏倒させられた複数の傭兵。彼らの近くには折れた武装が転がっている。

 その中央に悠然と佇むのは、傭兵たちを単身で倒したユースと顔立ちが似た少女二人だ。


「ねぇユース。こいつら頭悪いのかしら? ユースの顔を見て気づかないなんて。どう思うアルマ姉様?」


 ブロンドの長い髪を二つに結った銀眼の少女が、悪戯な表情を浮かべる。


「ラミナ……人の悪口は……ダメ……。事実を敢えて言わないのが大人の嗜み。事実だけど」


 対して銀髪の長い髪を二つに結った金眼の少女アルマが微かに頬を膨らませる。と言っても、無表情なのだが。


「そうは言ってもアルマ姉様? こいつら素手のユースにすら敵うはずないのに立ち向かったのよ?  脳味噌足りてないんじゃないかしら」


 ブロンドの少女ラミナは近くに倒れている男の頬を軽く踏みつける。さぞ楽しそうな表情で。


「ラミナ……仕方ない。だって事実足りてないんだもの」


 アルマは屈むと、近くに倒れていた男の頬をつねって遊び始める。無表情ながらも、どこか楽しそうな雰囲気で。

 二人のやり取りを聞きながら、ユースは額に手を当てて項垂れた。


「お前らな。誰のせいでこうなったと思っているんだ?」

「勿論、私がこいつらを侮辱に侮辱して煽って」

「私が男の一人の股間に蹴りを入れたから」

「面倒ごとは起こすなって言ったよな?」


 ユースは深いため息を吐くと、椅子に座る男に顔を向けた。


「あー、その、なんだ。別に殴り込むつもりはなかったんだ。ちょっと話を聞きに来たくらいで」

「分かっている。大方、昨今好き勝手動いている輩たちについて聞きに来たんだろう?」


 男は笑みを浮かべると、立ち上がる。


「ねぇユース。なにこの男、気持ち悪いんだけど」

「ラミナ。思ってても言っちゃダメ。私も思ってるけど」


 側の二人が話し始めるのを聞き、ユースはあからさまに大きく咳払いをする。すると二人は口を噤んでつまらなさそうに後ろを向いた。


「その口振りからするに、あんたの指示なんだろう?」

「そうでもあるし、そうでないとも言える。それはそれとしてだ。あの女の子供が現れたのだろう?」


 男の問いに、ユースは眉間にシワを寄せた。対し男は不気味な笑みを浮かべて言葉を続ける。


「事が発展したということはそういうことだ。ガルディアンの名を持つものよ」

「お前ら、あいつに一体なにをさせるつもりだ?」

「はて、お前も聞いているはずだが……この先の未来で待ち受けていることを」


 男の言葉に舌打ちすると、ユースは踵を返す。表情から静かな怒りが滲み出ている。


「おや、もうお帰りか? もう少しゆっくりしていくといい」

「あんたとの下らない会話に付き合っている暇はない。お前ら帰るぞ」

「えー? 観光しないのユース」

「せっかくここまで来たのに」

「うるさい。お前らはそもそも歩いてないだろうが」


 ユースと二人の少女が去っていくのを眺めながら、男は微笑する。


「お前がどう干渉しようと、変わることのない道なのだよ」


 再び椅子に座ると、男は天井を見上げる。豪華な照明があるだけの、ただの天井だ。

 しかし男は何かが映っているかのように目を細める。


「ようやく動き出すのか……この世界は」


 男は呟きとともに狂った笑い声をあげる。瞳に宿るは狂喜、あるいは愉悦。待ちに待ちわびたこの時に、リヴェルトス商会の長ヘンドレルは心を躍らせるのであった。


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