決意と微笑

 俺と、尋と、辻先輩は走る。

 いきなりの急展開について行けず、俺の思考は今にも転びそうだった。

 ギャルゲーのような展開が作られたものだと分かって、ここはやはり現実だという思いを強くした矢先、尋が語った今回の一件の裏の真実。人格の、アップデート? そのために人ひとりの人格を消す? 語られた内容は、正直、ギャルゲーどころかSF映画だった。


「松本は、大丈夫なんだろうか」

 そんな得体のしれない実験をする戌亥光久。発信機を暴き、俺たちを逃がし、光久と鉢合わせたであろう松本の安否が気になった。

「大丈夫。だと思うよ」

 尋は、努めて冷静な声を出して言う。

「わたし、御津宮さんに全てを聞いてから、ずっと考えてたんだ。その話が本当だとして、どうしたら止められるだろう、って」

 尋は自分もヒロインのひとりとして動きながら、計画の破壊について考えていたらしい。


「でも、誰に相談しても駄目だったと思うの。御津宮さんが見た手記よれば、光久の実行している理論は周りにまったく認められていない、妄想の類として扱われているみたいなの。彼ほどの男が理論立てて説明しても理解されない話を、わたしたちが言ったところで、きっと誰も信じない。妄想扱いされて終わり。第一、計画が成功したところで、御津宮さんは世間的に死ぬわけじゃない。むしろ世間的にはそちらの方がいいと思われる、明るい性格になるってだけなんだよ。だから、光久は、そもそも口封じをする必要がないの」

「それには僕も同意する。彼は無駄なことをしない。それに、極力暴力的なことを嫌う」

 辻先輩は、光久となにか関わりがあるのだろうか。なにか知っているような口ぶりだった。

「おそらく、光久がやろうとしているのは、わたしたちと御津宮さんを分断することだと思う。人格アップデートの当日まで、彼女に余計な気を起こさせないように」

「光久が御津宮を隔離するってことは、考えられないか?」

 そうされたら、絶望的だ。


「急な隔離は、それ自体が彼女の精神に要らぬ変化をもたらす可能性がある。だから、私達をひっそりと隔離する方に、行くと思う。多分」

「――――なるほど、確かにその通り。あなたは本当に優秀だ」

 称賛の声。俺は尋のことを「どこか抜けているがたまに勘が鋭い奴」と認識していたが、実際はかなり頭の切れる奴で、たまにその部分を出していたということなのだ。


 って、待て。今、尋を褒めた奴は、誰だ?

 振り向くとそこには、黒い影。戌亥光久は、いつの間にか俺たちに並んでいた。

 その手が俺たちに迫っている。手には針のようなものが握られており、ギラリと不気味な光を放つ。アレに触れるとまずい。きっとそこで強制エンディングだ。だけど回避しようという思考に身体がまるで追いつかない。針の先端は俺を捉えている。一番ぬるい俺から始末するつもりか。


 その瞬間。目の前を風が通り過ぎた。

 風が目の前に実体化する。辻先輩が蹴りを放ち、光久の針を弾き飛ばしていた。

「雪島さん! 彼を連れて早く!!」

 辻先輩の、今までからは考えられないほど大きな声。

 俺の腕は勢いよく尋に掴まれ、引っ張られる。

「ユウキちゃん、こっちへ!」

 数秒の間に交わされるやり取り。俺は、指示に従うだけで必死だ。俺と尋は、転げ落ちるように階段を駆け下り、外を目指す。

「今度こそ、キミをことができそうだ」

 そう呟く辻先輩の後姿。

 どうか、どうか無事でいてくれ――――。



 ******



「一体どういうつもりですか、これは」

 先生は、心底呆れたという風な声で聞いてきた。

「彼らが不足な事態を起こしそうになったとき、それを鎮圧するのもあなたの役目のはずですが? それを放棄し、私の邪魔までするとはね。まったく、どこで壊れてしまったのか」

「先生は、紗枝を、消すつもりなんですか」

「一体なんのことでしょう」

「僕のことは、彼女の研究を基にした、実験だったんですね」

 人格のアップデート。説明していた雪島さんですら半信半疑だったその研究。私だけはそれが現実味を帯びたものであることを知っていた。私が目の前にいる先生に施された施術は、まさにそういうものだったから。


 理想の人格を作り、現実の人格を上書きする。

 かつていじめに苦しみ、周りの全ての言葉が悪意あるものに聞こえていた私は、常に両手で耳を塞いでいた。そしてあることを考え続けていた。

 それは、機械になりたいという願望。

 周りの人間は私を人間扱いしないし、

 周りの命令には従わなければならないし、

 心は、身体は、ただただ痛い。


 だったら、せめて。

 人間でなくていい、人間の命令には従う、その代わりそれが当然で心も身体も痛まない。生理的な嫌悪もない、不快もない。そういうものになりたいと思った。機械になりたかった。

 あの頃の私は、その逃避的な願望を抱えながら、常に両手で耳を塞ぎ、世界を拒絶していた。

 そして、そんな私の目の前に現れた彼女は全てを見抜いていた。


「機械になりたい――――か。なかなか面白い願いじゃないか。君なら、彼の治療に値するかもしれないね。そして君が精神の均衡を取り戻した際には、あるゲームに参加してもらうとしよう。そしたらどうだい! 君は先輩で、しかもロボっ娘だよ!!」


 私は治療を受け、かつての自分の両手の代わりに耳を塞ぐヘッドフォンを身に着けて、変わった。それは彼の実験の一つの成果。自身を機械として扱うことで、私は精密な動作と、肉体の損傷を恐れて無意識にかけている力のリミッターを外すことにも成功した。それも先生の狙い通り。

 結局、私の存在は「キーアイテム」なしでも変身できる紗枝の前座でしかなく、私の今までの行動も、先生によるプログラムに従っていたに過ぎない。

 けれど、今は。


「先生には、本当に感謝しています。けれど、あなたが紗枝を、僕の友達を消そうとするならそれを止める。恩知らずと言われても、理に適っていないと言われても……これが、僕の『意志』だ」


 さっき、皆に先生が来ることを伝えたときもそう。北原君を先生の攻撃から守ったときもそう。先生の命令に反した行動をとる私の身体には拒絶反応が、全身を蝕む痛みがあった。

「まったく、愚かですねぇ。いや、あなた風に言えば非理論的、ですか? せっかく痛みのない世界を用意したというのに。今のあなたを作ったのは誰だと思っているんです。だいいち、患者が医者に勝てるとお思いですか?」

 けれど大丈夫。これはかつての、ただ耐える痛みとは違う。戦う痛みだから、問題ない。


 先生の言葉に、私はほんの少しだけ口角を上げる。これが私が今できる、精一杯の不敵な笑みだった。

 その変化に気付いたのか、先生は意外そうな顔をする。

 笑ったのなんて、本当に何年振りだろうか。


「さて、どうでしょう。でも苦戦はすると思いますよ。今のは人間ですから」

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