5-8、祝福の白き花冠
今、おれの腕の中にはイリスがいる。とても幸福な時間だ。
できればいつまでもこうしていたいが、すぐにでも動き出さなくてはならない。この暗黒空間はまだ悲嘆の怪物の体内なのだから。
「イリス、立ってくれ。早くここから脱出するんだ!」
おれはぎゅっと抱きついてきているイリスに声をかけるが、彼女はわずかに身じろぎしただけだった。
「ん。もう少し、このままがいいです」
「そんなことを言ってる場合じゃないんだってば! ここはまだ怪物の体の中なんだぞ!」
おれは無理やり立ち上がると、抱えていたイリスを地面に置く。イリスがしょんぼりとした表情になったので心が痛んだが、ここは鬼にならなくてはならない。
「とにかくまずは出口を探そう! おれが入ってきた場所に戻ることができれば、外に帰れるかもしれない」
おれは傷口から入ってきたのだから、同じ場所から出ることもできるはずだ。塞がっていなければの話だが。
「待ってください、ラッドくん。あの子を置いていくわけにはいきません」
イリスの手を掴んで歩き出そうとして、逆に強い力で引き止められた。彼女が指差す先には、呆然と立ち尽くしている魔女ブレアの姿があった。
「あいつは、お前の体を乗っ取った魔女なんだぞ! なんでそんなやつの心配をしなくちゃいけないんだ」
おれが強い口調で言うと、イリスは激しく首を横に振る。
「あの子も悲しみの呪いに囚われただけ。呪いは、解かなくてはならない。そうしなければ、悲劇はいつまでも続いていく」
イリスの声には強い意志が宿っていた。淡々としか喋らなかった頃に比べたらまるで別人だ。
「呪いを解くって言っても、どうすればいいんだ。解呪には条件があるんだろ」
全ての呪いには、それを解く鍵がある。イリスは「世界一おいしい物を食べる」ことだし、おれは「世界一焦がれたものを手にする」ことだ。だが、ブレアの呪いの鍵はまるで見当がつかない。
「宿屋のおじいさんが話してくれた伝承を思い出してください。そこに手がかりがあるはずです。彼女がなぜ悲しみを抱えることになったのか、その原因が」
イリスに言われ、おれは宿屋の主人から聞いた伝承を思い出す。
双子姉妹サフィアとブレアが、島にやってきた料理人の息子の少年に恋をした。少年はブレアに惹かれ、思いを打ち明けるためにサフィアに協力してもらって花冠を作ることにした。だけど、一緒に花冠を作っているところをブレアが目撃し、少年はサフィアが好きだったのだと早とちりをしたブレアが悲しみの余り自らの命を絶ったのだ。
すれ違いから生まれた悲劇が全ての始まりとなった。無事に花冠がブレアに渡されていれば、少年の思いは伝わり幸せな結末を迎えただろうに。
花冠、という言葉におれは思い至ることがあった。サフィアが
二つが表裏一体、祝福と呪いならばあの花冠は大きな意味を持つことになる。
「気がつきましたか? ラッドくんが女の子から受け取ったと言う白い花冠。あれが呪いを解く鍵になるはずです」
イリスが真剣な表情で言った。
「……その子の言う通りです」
ブレアに吹き飛ばされていたサフィアが、いつの間にか戻ってきていた。イリスの言葉に頷くと、おれの方を若干非難がましい目で見る。
「この花冠をブレアに渡してほしくて、私は毎年誰かに託していました。その願いはようやく実現されそうです」
サフィアがもう一度、おれに花冠を差し出してくる。おれはそいつをしっかり受け取った。さっき受け取りを拒否したことを根に持っているのだろうか。
「しかし、この花冠が重要だったなんてなあ。イリスはよく気がついたな」
「だてに何度も呪われていませんからっ」
おれが言うと、イリスは胸を張って得意そうに言った。
なんだか彼女の性格が変わったような気がする。表情が少しだけ豊かになって、自分の考えを話してくれるようになった。ちょっとはおれに信頼を置いてくれたからだろうか。
「行きましょう、ラッドくん。この物語を終わらせるために」
イリスの言葉におれは頷いた。
詰まるところ、呪いを解くというのは不完全な物語を完結させる行為なのだ。すれ違いから生まれた悲劇を、そして悲しみの連鎖を終わらせるために、おれたちは物語の幕を引く。
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