4-9、ラッドの一撃

 

 クローディアが振るった剣を、おれは逆手で握る短剣ダガーで受け止める。

 鋭く、重い一撃だ。そこには明らかな殺意が込められていた。おれはクローディアの殺意を、むしろ心地よく受け止めていた。これまで足元を這い回る鼠程度にしか見られていなかったおれが、明確な敵として認識されているのだから。


 数合打ち合った後、おれは後ろに引くと同時に短剣ダガーに刃鱗を纏わせる。ただ正面から投げつけても、さっきのように盾で弾かれるだけだ。

 おれは刃鱗をクローディアの足元に放つと、地面に着弾した瞬間に爆発させた。煙が上がり、周囲の視界が遮られる。


「目くらましか! 小賢しい!」


 煙に巻かれたクローディアが苛立った声をあげた。

 おれは身を屈めると、煙に乗じてクローディアの側面に回り込む。正面から正攻法でクローディアの盾を掻い潜ることができるとは思えない。レンも、イリスも、魔女ブレアも、結局は彼女に傷一つ付けることはできなかったのだから。


 どうする? どうすればあの鉄壁を崩せる?

 考えろ。攻めながら考えろ。必ずどこかに突破口はあるはずだ!

 側面に回ったおれは、足に力を入れて一気に駆け出す。勢いのまま、煙の中の人影に向けて短剣ダガーを振り抜いた。

 甲高い金属音が響く。ダメだ。煙に紛れたおれの攻撃は、あっさりとクローディアの盾に防がれてしまった。


「目をくらませ、側面に回る……単純で退屈な発想だ。視覚さえ塞げばどうにかなるとでも思ったか? 音と空気の流れだけで敵がどこから来るか感知することなど容易い。覚えておけ、隙がないからこその鉄壁だ!」


 反撃の盾『バングリア』が振動する。まずい、衝撃波が来る!

 その場を離れようとしたおれは、動くよりも先に何かをぶつけられる。クローディアが盾を打撃武器として使い、そのまま殴ってきたのだ。

 そしてここから発動するのは——


「吹き飛ばせ、『バングリア』!」


 超至近距離から突風のような衝撃波が直撃した。

 全身が砕けたのかと錯覚する強烈な一撃を受け、意識が遠のく。気がつけば、おれは地面の上に這いつくばっていた。


 どのくらい意識を飛ばしてた? いや、一瞬だけだ。致命的ではない。まだ間に合う、まだ戦える。身体中が壊れたみたいに痛いが、今は痛みなんて気にするな。回復している時間すら惜しい。

 立て!

 立って、戦え!


「……もうわかっただろう? 貴様などでは私には到底敵うはずがない。何も守ることなどできはしないのだ」


 力を振り絞って立ち上がろうとしているおれに、クローディアが冷たく言葉を投げかける。


「異端の企みなど成就しないのが世の常だ。諦めろ、ラッド。諦めて、魔女と関わってしまった己の人生を後悔し、懺悔しろ。地獄行きくらいは免れるかもしれん」


 おれはなんとか立ち上がると、口の中に溜まった血を地面に吐き出した。顔を上げ、クローディアの顔を睨みつける。


「諦める、ものかよ……! おれの人生は、イリスと出会って輝き始めたんだ。その出会いを後悔なんてするもんか。見ていろ、おれはあんたを超えるぞ——クローディア!」


 クローディアの鉄壁の防御を掻い潜るには五感のさらに先、意識の外から崩しにいかなくてはならない。しかも、一度だけの不意打ちでは確実に防がれる。何重にも罠を張り、一瞬の好機をものにしなければ勝ち目はない。

 本当にあの人は化け物だ。おれみたいに悪魔の力に頼ることなく、自らを研磨し続けることで今の実力を手にした。尊敬に値する。


 だが、おれにだって積み重ねてきたものがある。弱いからこそ、頭を使ってきた。弱いからこそ、人が予想もつかない手段を常に探し求めてきた。その弱さで今——強者クローディアを倒す!


「己の無知をも自覚できぬのならば是非も無い。ただ死ね。死んで骸と化すがいい!」


 クローディアが剣を引き、盾を構えたまま突進して来る。おれが横に飛んで避けると、すぐさま体を入れ替え刃を振るってきた。

 おれは身を屈めて剣の軌道の下を掻い潜る。地面すれすれから振り上げた短剣ダガーは、盾に防がれる。おれはさらにもう一方の手で短剣ダガーを振るい、刃鱗を飛ばした。

 クローディアは頭を傾け、刃鱗をかわす。刃鱗はクローディアの背後の木に突き刺さった。おれの狙いは最初からこれだ。


「燃え、上が、れぇ!」


 意思を込めて短剣ダガーを握ると、木に突き刺さった刃鱗が赤く発光する。この位置なら、クローディアは守るものが無い背後から爆発を受けることになるだろう。

 正面と背後からの挟撃だ。


「雑魚が……巡回処刑人エクスキューショナルを舐めるなぁあああああ!!!!」


 クローディアが吠えた。

 周囲のものを振り払うように、体を回転させる。盾を後方へ動かし、剣でおれを斬りつける。直後、刃鱗が爆発するが盾の防御が間に合い防がれてしまった。

 おれは短剣ダガーで剣を受ける。衝撃で刃を覆っていた刃鱗が剥がれ落ちた。


「無駄だ! 全ては無駄なのだ! 貴様に私を超えることなどできん!」


 クローディアが鋭い声で告げる。

 くそっ……失敗した、失敗した、渾身の不意打ちも失敗してしまった! やはり無理だったのか? おれがクローディアに挑むなんて、最初から無謀な挑戦だったのか?


 いいや、違う!

 クローディアも余裕を失ってきている。おれの攻撃が少しずつ要塞の壁を崩しているんだ。ここで手を止めたら二度と好機チャンスは訪れない。

 諦めないと言ったばかりだろう。進み続けると決めたばかりだろう。逃げて、逃げて、逃げてきた人生を変えると誓ったばかりだろう!


 だから——


「おれのあがきはこっからだぁあああああ!!!!」


 倒れかけた体をギリギリで支え、俯きかけた顔を無理やり正面に向かせる。

 クローディアの剣によって剥がれ落ち、空中を舞う刃鱗が目に入った。おれは咄嗟に短剣ダガーを通じてそいつに意思の炎を送り込む。

 赤く光った鱗が小爆発が起こし、クローディアの手から剣を弾く。


「くっ!」


 クローディアが小さく舌打ちした。

 これで剣は奪った。あとは盾を掻い潜るだけだ。おれは二度の爆発で辺りに立ち込める煙の中に身を投じた。


「また煙に紛れての不意打ちか! とことん芸のない男め!」


 クローディアの呆れた声が聞こえる。だがなんとでも言え。おれはどんな手段を使っても、勝利に手を伸ばすのだ。

 煙の中だろうと、クローディアの鋭い五感は近づくものに敏感に反応する。彼女は上空から風を切って迫る音に気づいたようだった。


「次は上か!」


 クローディアが盾を頭上に掲げる。次の瞬間——呆れるほど軽い金属音が響いた。

 盾に当たったのは、一本の短剣ダガーのみ。そこにおれの姿はなかった。


「馬鹿な! 武器の遠隔操作だと……!?」


 クローディアはイリスの亡霊ファンタズマのようにおれも武器を自在に操れると勘違いしたようだが、実は違う。

 おれはただ、刃鱗を纏わせた短剣ダガーを投げただけだ。クローディアの真上に来たところで鱗を起爆。勢いと回転をつけ、まるでおれが上空から不意打ちを仕掛けたように見せかけたのだ。


 そしておれ自身は——どこにも回り込んでなどいなかった。煙の中に姿を隠し、やったことはただ真っ直ぐに突き抜けただけだった。

 真っ正面から、クローディアに向かって走っただけだった。


 通常ならば、反撃の盾『バングリア』の衝撃波を受けてあっさりあしらわれていただろう。だが今、一か八かの囮の攻撃でクローディアの盾は上に向いている。そして剣はすでに叩き落とした。

 無敵要塞の門が、正面にだけ開かれたのだ!


「おれが正面から突撃してくるなんてだったろ! おれにはそんな勇気なんてないって、見くびってただろ!」


 おれは走りながら叫ぶ。

 小物みたいに

 弱者みたいに

 相手を嘲る言葉を叫ぶ。


 見くびられて当然だ、あなどられて当然だ。クローディアはおれの情けない姿を知っている。怪物にビビって武器を落とし、盗賊が恐くて逃げ出したおれを知っている。

 だからこそ、正面こそが彼女の意識の外側になったのだ。

 それは同時に、おれがかつての自分からほんの少しでも変わったことの証になった。


 見たか、クローディア


 見ていてくれ、レン


 そして見守ってくれ——イリス!


 これが


 これが——



「これが、おれの、一撃だぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 刃鱗を纏った最後の一本の短剣ダガーを、ガラ空きになったクローディアの体に叩き込む。刃と鎧がぶつかった瞬間、赤い閃光が爆ぜた。

 爆音、そして衝撃波。

 誰も傷つけることが叶わなかったクローディアの体は、爆発を直に受けて吹き飛び後方の木の幹に叩きつけられる。


「くそっ……私が……こんな、雑魚に……!」


 木の幹を背に倒れたクローディアの手から、彼女の象徴とも言える盾『バングリア』が力なく落ちて地面に転がった。

 処刑人クローディアは動かない。意識を失ったか、そうでなくともしばらくは満足に活動することはできないだろう。無敵の要塞はここに陥落したのだ。


 おれは爆発の余波を受けて痛む左手を抱えながら、倒れたクローディアに近づく。

 散々痛めつけられておきながら、不思議と彼女への怨みや怒りはなかった。代わりに湧き上がってきたのは、味わったことのない充実感だ。


 おれは自然と叫んでいた。

 逃げ続け

 負け続け

 敗れ続けた十七年間の負け犬人生で、一度も言うことができなかった言葉をついに口にした。


「おれの……勝ちだっ!」

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