4-8、怒りと嫉妬の業火

 

『アハハ、いい叫びね! 先に言っておくけど、あなたは力と引き換えに心の中では常に嫉妬の炎が燃え上がるわ。そしてその苦しみは、を手にする時まで続くことになる!』


 嫉妬の悪魔レヴィアタンが蛇の口から舌を覗かせながら言った。

 嫉妬の炎か。確かにさっきから心の中が落ち着かない。常に何かを求めているようだ。イリスの呪いを解く条件が「世界一おいしい食べ物」だったのに対し、おれの場合は「世界一焦がれたもの」か。抽象的すぎてわからないな。

 だが、今はそんなことどうでもいい。今ここに力があることが重要なのだから。


「さぁ、行かせてもらおうか!」


 体が軽い。

 一歩踏み出しただけの感覚で、おれは数歩先のクローディアとの距離を詰めていた。左の短剣ダガーは盾で受け止められたが、右手で振るった短剣ダガーがクローディアに迫る。


「くっ!」


 クローディアは長剣を引き寄せると、根元でおれの攻撃を防いだ。

 おれは反撃の盾『バングリア』がわずかに振動したのを察知した。すぐさま盾の表面を蹴ってその場を離脱。直後に、おれが立っていた場所を衝撃波が襲う。


 いける。おれはクローディアの動きに反応できている。

 おれは危険を敏感に察知してしまい、そのせいで足が竦んで動けなくなってしまうことが数え切れないほどあった。だが、今はその繊細な感覚が危機回避のために役立っている。

 感覚と身体反応。二つが同じ水準に高まるだけで、これほど世界が違うとは!


「思い上がるなよ、ラッド! そのまやかしの力ごと断罪してくれる!」


 クローディアが前に出た。

 斜め下から掬い上げられるように剣が振られる。おれは後方に下がって回避する。間髪入れずに放たれた二撃目は短剣ダガーで受け止めた。

 動きが止まったところで、クローディアが盾を突き出す。まずい、また衝撃波が来る!

 慌てて跳んだおれに、クローディアはしてやったりと言う笑みを向けてきた。


「いい反応だな。だが、それだけ貴様の次の動きは読みやすい。戦闘とは選択の連続だ。反応の速さを競う場ではないのだよ!」


 衝撃波は放たれなかった。陽動攻撃フェイントだ!

 空中に逃げて無防備なおれに、クローディアの盾が再び向けられる。


「激震を起こせ、バングリア!」


 今度こそ衝撃波が生まれる。逃げ場がないおれは正面からまともに食らった。おれの体は軽く吹き飛び、茂みに突っ込む。

 距離が離れていたのが幸いだった。もう少し近くで受けていたなら、痛いでは済まなかっただろう。やはりクローディアは強敵だ。悪魔憑きとなっても、一筋縄ではいかない。


『そうそう。悪魔憑きになって初めて触れたものには特別な力が宿るのよ。イリスちゃんの大鎌亡霊ファンタズマみたいにね』


 嫉妬の悪魔レヴィアタンが思い出したように言った。


「そう言うのは早く言ってくれよ……モーリーはなんだったんだ?」


『体よ。あいつは自分の体に劣等感を感じていたから、無意識に触ったんじゃないかしら』


 なるほど。だからモーリーは全身に針のような鱗を生やす能力を身につけていたのか。

 実は、嫉妬の悪魔憑きになるとモーリーのようなおぞましい姿になってしまうのではないかと危惧していた。契約をためらった理由の一つでもある。


「おれが契約して初めて触ったものと言ったら……」


 おれは両手に持つ短剣ダガーに目を落とす。これらにイリスの亡霊ファンタズマのような能力が宿ったのだろうか。だが一体どんな能力だろうか?

 なんとなく短剣ダガーを持つ手に力を入れると、刃の表面が鱗に覆われた。鈍い光を放つ、硬そうな鱗だ。


 もしかして、おれの武器の能力はただ刃を頑丈にするだけのものなのか? それはあまりにもショボすぎる。なんの打開策にもならない。


『前にも言ったでしょう。魔力は人の心の力。あなたが願った思いに応じて、力は形を変える』


 おれの失望の目に気がついたのか、嫉妬の悪魔レヴィアタンがため息交じりに教えてくれた。

 願った思いに応じて形を変えると聞いて、おれはイリスの亡霊ファンタズマを思い出した。あの武器の特徴は生きて自分の意思があることだ。もしかしたらイリスは寂しくて、自分のそばにいる誰かを無意識に欲していたのではないだろうか。その願いが生きた武器と言う形になったのだとしたら、それはとても悲しいことだ。


「……ますます負けらんなくなったな」


 おれは奥歯を噛み締めた。

 モーリーが全身に棘のような鱗を纏う姿に変わったのは、痩せて貧弱な自分の体を大きく強く見せたいという思いが形になったからだろう。だったら、おれは——おれが憧れた力は——


 視界の先では、騎士二人がおれを追って近づいてきていた。

 おれはイリスと会ってから、戦いの中で何かを投げることを自分の武器としてきた。投擲技術はおれの数少ない長所だ。その技術に加え、もう一つある特別な能力を足したい。それがおれの願う力の形だ。


 思いを込めて両手の短剣ダガーを握ると、応えてくれたかのように鱗が赤い光を発した。光を伝って、感覚がおれの中に流れ込んでくる。一体この武器が何をできるのかが、直感で理解することができた。


「これでもくらえ!」


 おれが両手の短剣ダガーを振るうと、刃を覆っていた鱗が剥がれて飛んでいく。鱗は回転しながら空を切り、騎士たちの足元の地面に突き刺さった。

 刃のような切れ味の鱗を飛ばすだけでも、十分な遠距離攻撃になる。この鱗のことは「刃鱗」と呼ぼう。そしてここからが刃鱗のもう一つの能力——


「燃え、上が、れ!」


 おれの声に反応したように、地面に刺さった刃鱗が炎を上げて爆ぜた。騎士二人は爆発の衝撃で後ろに倒れる。

 爆発、衝撃。

 それはおれが心底と思い、欲した力——クローディアの盾『バングリア』の能力の模倣だ。燃やした嫉妬の炎がそこに加算されて形となった。

 ああ、そうさ。おれはクローディアの強さに憧れた。嫉妬するほど焦がれていたのだ。


「……なるほど。それが貴様の魔武器の力か。よほど私に対抗心を燃やしたと見える」


 おれが再び相対すると、クローディアが分析するような口調で告げた。


「だが、そんな力で何かが守れると思ったら大間違いだ。扱いきれぬ炎は己自身をも巻き込み燃やしてしまうだろう」


「へっ、悪いがこちとらすでに火がついちまっているんでね。もう止まらねぇんだよ!」


 おれは刃鱗をクローディアに向けて放つ。盾にぶつかり小爆発が起きた。煙に紛れて、おれは側面に回り込む。クローディアはその場に留まることをせず、身を引いた。

 おれはさらに追撃をかける。クローディアは今度は盾で防ぐこともせずに、身のこなしだけで攻撃を回避した。

 おかしい。手応えがなさすぎる。クローディアならば正面から切り結ぶことができるはずなのに、後ろに下がってばかりだ。


 一瞬、彼女の視線がおれから外れ、別の場所を見た。おれはクローディアの意図を理解する——狙いはイリスか!

 慌てて振り返ると、騎士たちが横たわるイリスに手を伸ばしていた。くそっ、感情が昂ぶっているせいで周りが見えていなかった。


 おれは刃鱗を飛ばそうとして、躊躇する。鱗の爆発がイリスを巻き込んでしまう。彼女の体をさらに傷つけてしまえば、今度こそ命が危ない。

 どうする? どうすればいい!

 一か八か直接向かおうと足に力を込めた時、突然騎士たちが何かに弾き飛ばされた。

 イリスを守るようにそこに立っていたのは——


「レン!」


 褐色肌の槍使いレンが、振り回した槍を構え直す。レンはおれを見ると微笑んだ。


「……ラッド、君はすごいよ。あたしは体が竦んで動けなかった。クローディアさんが恐くて、一歩も踏み出せなかったんだ。あたしができるのはこんなことしかないけれど、イリスちゃんはあたしに任せて。こいつらには指一本触れさせないんだから!」


 レンは騎士が振り下ろしてきた剣を槍で受け止めると、鎧を足で蹴り飛ばして転倒させる。

 彼女がいればイリスは大丈夫だろう。安心して任せることができる。それだけの強さと技術が彼女には備わっている。


「君が踏み出した一歩は、絶対に大きな意味がある。あたしはそう信じている。だから君は、君が思うように進め! 進め、ラッド!」


 レンが拳を突き出し、叫んだ。

 レンはきっと、おれが嫉妬の悪魔レヴィアタンと契約する姿を見ていたはずだ。それなのに、おれの選択を信じてくれている。イリスを助けようとする人はおれだけじゃない。そのことが本当に心強い。


 ありがとう、レン。

 おれは思いを込めて、彼女に頷いた。

 これでおれは目の前のことに集中できる。クローディアと戦うことだけに全力を注ぐことができる。


「……やれやれ。どいつもこいつも、魔女に惑わされてしまうとは情けない。やはり頼れるのは己自身だけというわけか」


 クローディアが呆れたようにため息をついた。

 次に彼女が顔を上げた時、その目には冷酷な光ではなくこらえようのない怒りの炎が宿っていた。


「このたわけどもが! 正しい道を歩むことができぬのなら、それは押し並べて罪だ! 正義の意思に反するのならば、全ては悪なのだ! 覚悟しろ、懺悔しろ。この私が貴様らに断罪の刃を食らわせてくれる!」


 闇の中で、クローディアの剣が光り輝く。

 おれはその光に飲み込まれないよう、あらん限りの力で吠える。


「何が正しいかなんて、勝手に上から押し付けるんじゃねえ! おれは、おれの見たこと、聞いたこと、感じたことを信じる。その先で自分の道を選ぶんだ! 果たしてあんたはおれの覚悟を食い尽くせるのか、できるもんならやってみやがれ!!」


 業火と業火はぶつかり合い、憎しみの火炎を作り出す。

 だけどもう止まらない、止められない。ましてや止まるつもりもない。

 これがきっと、道を選ぶということなのだ。

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