3-8、影との戦い

 

    *  *  *



 翌日は今にも雨が降り出しそうな曇天の空だった。

 厚い雲が光を遮っていても、華やかな祭りは平常通り執り行われている。五月女王祭メイクイン・フェスト当日まではあと二日。祭りの日が近くにつれて盛り上がりは高まっていく。

 そして、魔女の夜会サバトは明日の夜には始まってしまう。この島に来て初めて祭りの日程を知ったのだから仕方がない話なのだが、あまり余裕はなさそうだ。

 日が傾きかけてきた。薄暗い空がさらに暗さを増していく。


「……そろそろ出発の時間かな」


 装備の確認をしたおれは、イリスとレンの二人を見た。レンは槍の穂先を研ぎ終え、短い鞘に納めて頷く。イリスは宿の主人が作ってくれた羊肉のパイに大口で噛り付き、残りを全てたいらげた。うん、二人とも準備は完了しているようだ。

 嫉妬の悪魔レヴィアタンは夜にブレア山へ向かえと話していた。夜ならば何かがわかるはずだと。


「皆、気をつけるんだよ。危なくなったら引き返すことも大切だ」


 宿の入り口で主人に見送られながら、おれたちは出発した。

 魔女が住まい悪魔が眠るブレア山へ。


 途中までの道はおれが昨日歩いた通りなので、問題なく進むことができた。相変わらず、巡礼者や花の収穫人で賑わっているサフィア山に比べてブレア山の山道は人気がない。


 緩やかな傾斜の道は森の中へと続いていき、あたりは不気味な暗さに包まれた。おれは火打ち石で打ち金を打って火種を作ると、油を塗った松明に火を移した。真っ赤な炎が燃え上がり、周囲を明るく照らす。


「昨日、おれが来たのはここまでだ。おかしな人影が道の先に立っていて、耳元で女の子の声が聞こえる不思議な現象に遭った」


 おれが言うと、レンが自分の体を抱きしめ震えた。


「そんな恐いことがあったんだ……う〜、あたしだったらすぐに逃げ出しちゃうね」


 あの影は魔力が作り出した幻影だったのか、それとも実態を伴った何かだったのか。今となってはわからない。

 道を進んでいくごとに、闇は深さを増していく。森の間を風が駆け抜ける。木々の葉が揺れて潜み笑いのような音を奏でた。

 気のせいだろうか? 誰かに見られているような視線を感じる。観察されているような、そんな視線だ。


「ねぇ、あれ……なんだろう」


 レンが立ち止まり、道の先を指差した。

 道の真ん中に、ぼんやりと人影のようなものが見える。おれが昨日遭遇したのと同じ状況だ。ただ一つ違うのは、その影が動いているように見えることだ。


 影はうねうねと奇妙な動きをしながら、段々おれたちに近づいてくる。

 本当にこいつは幻影なのか? それとも——


『構えて! そいつは悪魔のよ!』


 女性の声が響いた。おれたちは咄嗟に武器を構える。影は動きながら近づき、そして形を変えて飛びかかってきた!

 影は四つ足の獣のような形象となった。鋭い爪を生やした腕を勢いのままに振るってくる。


「させるか!」


 いち早く反応したのはレンだった。短槍の側面で爪の一撃を受け止める。

 攻撃を防いだレンの体がわずかに後退した。つまり、奴には実体がある。形がある。重さがある。怪物と変わりはしない。


「邪魔」


 レンが影の怪物を引き受けている隙に、イリスが側面から大鎌を振るった。

 だが、そこで不思議な現象が起きた。影の怪物の姿が消え、イリスの一撃が空を切る。大鎌の切っ先が地面に突き刺さった。

 バカな。奴は姿をくらますができるのか? いや、それならばイリスの攻撃は当たっていたはず。となると、瞬時に別の場所へ移動したことになる。


『坊や、後ろよ!』


 先ほどの女性の声が響き、おれは振り返る。すぐそこには影の怪物が口を開いて、今にもおれを喰らいにかかろうとしていた。

 おれは後ろに倒れて……というかほぼ腰を抜かすようにしてなんとか回避する。おれの頭のすぐ上で怪物の牙が黒く光った。


「ラッドくん!」


 体を反転させたイリスが身を投げ出すような勢いで跳び、大鎌を怪物めがけて薙いだ。

 しかし怪物の姿はまたしても消えて、イリスの鎌は何もない空間を斬っただけに終わった。


 奴はおれたちに攻撃できるが、おれたちが奴に攻撃を仕掛けても文字通り影のように消えてしまう。これでは一方的に攻められるだけだ。

 だが、どんな謎にも解答がある。そいつを解けば脅威はなくなる。

 観察しろ、考えろ。おれができることを探すんだ。


「次はそこかぁ!」


 影の怪物が姿を現した瞬間を狙い、木を蹴って跳躍したレンが真上から槍を叩きつける。しかし、怪物の姿は三度消えてレンの槍の穂先が地面に突き刺さった。

 怪物がどこに移動したのか周囲に視線を飛ばして警戒するが、次に姿を現したのはなぜか同じ場所だった。

 影の怪物はたくましい腕でレンを払った。槍を地面に突き刺したままだったレンはすぐに対応できず、弾き飛ばされ木の幹にぶつかる。


「レン、大丈夫か!」


「けほけほっ……問題ないよ!」


 レンが咳き込みながら立ち上がる。

 今、なぜ怪物はその場を動かなかったんだ? 動かなかったのではなくのだとしたら、そこに謎の答えがあるはずだ。

 レンの槍は奴の体を捉えられず、地面に刺さってしまった。もし、そのことが奴の移動を妨害したのだとしたら、二つの事象の間にはどう関係があるのだろうか。


 地面に刺さった?

 いや、違う。レンは偶然あるものを突き刺したんだ!


「レン! 一瞬でいい。奴を木のそばで足止めしてくれ! イリス、いつでも攻撃に移れる準備を!」


 一つの仮説に至ったおれは二人に指示を出す。レンとイリスは頷いて散開した。

 影の怪物の姿が消える。おれは左手に松明を持ったまま、右手で短剣ダガーを構えて投擲の姿勢を作った。

 さぁ、どっからでも来やがれ。次に顔を出した時がてめぇの最後だ。


 姿を現した影の怪物が背後からレンを襲う。レンは身を捻って回避すると、短槍の側面で怪物を押さえ込んだ。

 その瞬間、おれは松明を高く掲げた。闇の中で揺れる炎から生まれた光は、を木の幹に映し出す。


「そこだっ」


 おれは右手の短剣ダガーを短い動作モーションで放った。回転しながら宙を飛んだ短剣ダガーは、勢いよく影が映った木の幹に突き刺さる。

 怪物の姿が消えた。だが、影はそこに残ったままだ。少しして、怪物が同じ場所に現れる。どうやら怪物はその場を動くことができないようだ。


 おれは自分の推測が当たったことを確信する。

 影だ。

 奴は影に潜って移動することができるのだ。潜っている間はあらゆる攻撃を受け付けないが、移動の起点である影を捉えられたらその場を離れることができない。レンの槍が奴の影を突き刺したことが手がかりとなった。

 怪物が己の影に刺さった短剣ダガーに気がつき、叩き落とそうと腕を上げた。だが、その腕は真横から弾かれる。


「さっきのお返しだよっ」


 槍を振るったレンが得意そうな顔で叫んだ。

 木々の隙間から差し込む光が遮られた。イリスがローブを翻し、大鎌を大上段に構えて空中に身を踊らせる。


「邪魔、邪魔、邪魔」


 振り下ろされた死神の刃は、影の怪物を横に両断する。怪物の断面からは黒い煙が吹き出し、やがて消滅していった。

 どうやらなんとか倒せたようだ。しかしあの怪物は一体なんだったのだろうか。途中で聞こえた謎の声は「悪魔の虚影」と呼んでいたが。


「やったね、イリスちゃん! さすが、頼りになるね」


 槍を回して肩に担いだレンが、イリスの頭を撫でた。


「ううん。ラッドくんが敵の謎を暴いてくれたおかげです」


 イリスがおれを見て微笑を浮かべた。最近、イリスの表情が少し豊かになっている気がする。


「いや、レンが要所で適切に動いてくれなかったらこんなにうまくいかなかったよ。柔軟な対応力にはいつも驚かされる」


 おれが素直な気持ちで言うと、レンは照れたように笑った。


「えへへー。それじゃあ、こんな時はみんなで勝利を喜ぼうか」

 レンがイリスとおれの手を取り、三人で輪になる。そして同時に両脇の人と手を打ち合わせる。パン、と軽快な音が森に響いた。

 なんか、こう言うの楽しいな。


『はいはい。楽しんでるとこ悪いけど、失礼するわ』


 誰もいない場所から女性の声が聞こえた。続いて藪の中から一匹の蛇が這い出てくる。


「わ、蛇が喋った!?」


 突然のことに、レンが驚いて飛び上がった。イリスは青ざめた顔でおれの背中に隠れる。

 この蛇は嫉妬の悪魔レヴィアタンが化けた姿だ。影の怪物との戦いで何度か助けてくれたのも、この悪魔の声だ。


「あの、えーっと……レン、こいつは今回の依頼者の使い魔みたいなものなんだ」


 レンには悪魔の存在を伏せているので、おれは先手を打ってごまかした。レヴィアタンは不服そうな様子だったが、ため息をついて話に合わせてくれる。


『まぁ、そんなところよ。あなたがレンね。美しい褐色の肌に整った容姿、嫉妬しちゃうわ』


「え? あ、はぁ……ありがとう。あなたも綺麗な鱗だよ」


 蛇に褒められ、レンは困惑している。そんな状態でもしっかり相手を立てることを忘れないのは、さすがとしか言いようがない。


「ところでレヴィ……いや、ヘヴィさん。悪魔の虚影ってどう言うことなんだ? あいつは一体なんだったんだ?」


 おれが名前をごまかすと、レヴィアタンはますます不服そうに目を細めた。


『全く、失礼しちゃう。いい、虚影は悪魔の力が漏れ出た姿。言ってみれば眠っている間の分身みたいなものよ。その形は対応する獣の形象になる。暴食は蝿、憤怒は狼、強欲は狐と言うみたいにね』


 そして嫉妬は蛇なのだろう。

 あの影の怪物の姿は四つ足だと言うこと以外、よくわからなかった。おれの知る獣なのだろうか。


『今の獣の形象は獅子。対応する悪魔は傲慢よ』


 獅子。

 話や伝説で聞いたことはあったが、見たことはない。曰く、強靭な四肢と立派な立髪を持つ獣たちの王なのだとか。

 傲慢という感情は驕り高ぶる心から生まれる。自分の力こそが至高だと信じて相手を見下す。おれが未だ持ち得たことがない感情だ。


「前にあんたは、この島に眠る悪魔が目覚めれば世界は混沌に包まれるって言ってたよな。それだけヤバい奴なのか?」


 尋ねると、蛇は頭を縦に振った。


『そう。数ある悪魔の中でも、傲慢は常に世界の表舞台に現れようとするの。自分の力を誇示するためにね。傲慢の悪魔ルキフェルが復活した時は毎回ロクなことがない。あいつは必ず支配者たる神に反旗を翻す』

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