2-10、そして黒幕は最後に現れる

 

 決着はすでに着いたと見ていいだろう。イリスは足を負傷したとは言え、十分に動くことができる。対してモーリーは両腕を失い、イリスの攻撃を防ぐすべはない。

 あとはイリスがとどめを刺せばそれで終幕だ。


「ガ、ギ、グゥゥウウウウウ……! まだだ、まだ、まだぼくはァ……!」


 モーリーの目が光り、体が発酵したパン生地のように丸く膨らんでいく。イリスはとっさに体を引き、大鎌の側面を盾にして構えた。

 次の瞬間、モーリーの全身の鱗が四方八方に弾け飛んだ。針のように尖った鱗は、建物の壁や石畳の道に突き刺さっていく。


「イリス、無事かっ!」


 おれは自分の気が緩んでいたことを恥じた。奴は最後まで抵抗してくる。武器はまだ体中に残っているのだ。


「大丈夫」


 イリスは大鎌の側面に刺さっていた鱗を振るい落とすと、冷静な声で返答した。


「これで、まだ、ぼくは……!」


 その隙に、モーリーが体を反転させて走り始める。奴は逃げようとしているのだ。あれだけ自分の痕跡を消すことに長けたやつを逃してしまえば、どこで潜伏されるかわからない。だが、頼みのイリスは足を怪我している。おれが追うしかない。

 おれが短剣ダガーを抜いて一歩踏み出した時、モーリーの足が止まった。よく見れば、奴の足元に矢が刺さっている。


「いたぞ、怪物だ! 決して逃すな!」


 おれたちとは別に地上を巡回していた冒険者たちの一行パーティが、モーリーの行く手を阻んでいた。

 もちろん、これは偶然ではない。おれは巡回班の順路ルート上にやつを誘い出していたのだ。間に合うかどうかは賭けだったが、うまくかち合ってくれたようだ。これがおれが想定していたもう一つの罠だ。

 騒ぎを聞きつけたのか、別の道からも男たちが現れた。夜の見回りを買って出ていた加工場の職員たちだ。その中には頭領のシギの姿もある。


 周囲を見渡したモーリーは自分の置かれた状況を察したようだった。

 正体を暴かれ、両腕は失い、逃げ道もない。どう足掻こうが、ここから再起することは不可能だ。


「……お前だ」


 モーリーがポツリと呟く。

 奴の不気味に赤く光る目は、真っ直ぐおれに向けられていた。


「そうだ、お前だ。お前が来て、全てが狂った。ぼくがこんな目に遭うことはなかった。ぼくの、完璧が計画が……お前だ、お前だ、全部お前のせいだァアアアアア!!!!」


 狂ったような声をあげ、モーリーが両腕の切断面から血を撒き散らしながらおれ目掛けて突貫してきた。

 破れかぶれか、あるいはおれだけでも道連れにしようとでも言うのか。その迫力は鬼気迫るものがあった。

 だが、おれだってただでやられるつもりはない。両手に短剣ダガーを構えて迎え撃つ準備をする。


 牙を覗かせ飛び込んできたモーリーと、短剣ダガーを握るおれの間に割って入る影があった。

 イリスだ。


「……ラッドくんを狙うなら、わたしは百万回許さない」


 悪魔憑きの少女が大鎌を高速で振り上げる。宙にいたモーリーの体の中心を、その鋭利な切っ先で貫いた。

 モーリーはもはやうめき声すら上げなかった。大鎌の先で串刺しにされた体勢のまま、大量の血を口から吐く。震える手で体を刃から外そうとするが、その手は力なく滑るばかりだった。


「……イリス、もういい。寝かせてあげてくれ」


 イリスはおれの言葉に頷くと、大鎌を抜いてモーリーの体を地面に転がした。倒れたモーリーは虚ろな表情のまま、月夜を見上げる。


「お、おい……その声、まさかお前、モーリーか……?」


 大型の角灯ランタンを持ったシギが恐る恐るモーリーに近づいてきた。モーリーは顔を動かすと、悲しげな目でシギを見上げた。


「親方……そんな目で、ぼくを見ないで……」


 モーリーは血を吐きながら、今にもかき消えそうな声で続ける。


「ぼくは、みんなに認められたかった。ひょろひょろの骨みたいなやつだって、バカにされたくなかった。たくましい体が、羨ましかった……生まれ変わったら、ぼくも、海の、男に……」


 モーリーの目から光が消えた。体は力を失い、二度と動くことはなかった。

 シギはモーリーの変わり果てた姿をじっと見つめていた。何か思うことがあるのか、取り乱したり喚いたりすることはなかった。


「……教えてくれ、冒険者さんよ。こいつに一体何があったんだ。一体何が……こいつを怪物にしちまったんだ」


 シギがモーリーの遺体を見たままぽつりと呟いた。

 おれは少しためらった後に口を開く。


「悪魔の仕業だ。悪魔がモーリー……いや、モーリーさんの心の弱い部分に漬け込んで、呪いをかけたんだ」


 モーリーの態度から考えると、奴が悪魔に契約を持ちかけたのが真実なのだろう。だが、おれはとっさに嘘をついてしまった。冒険者としては失格な話だが、モーリーに同情してしまったからだ。

 モーリーは自分の貧弱な体に劣等感を感じていた。そして自分をバカにしてくる奴らに恨みを抱き、悪魔との契約で力を手に入れ凶行に及んだ。


 おれもそうだ。おれもずっと、弱い自分が嫌いだった。だからおれをバカにしてくるたくましい冒険者たちが憎くて、そして羨ましかった。きっとこの気持ちは、モーリーも抱いていたものだろう。

 結局のところ、おれも借りた力に頼って生きている。イリスという悪魔憑きの少女の力に。その点では、おれもあいつも変わりはしない。同じ弱者だ。


「そうか……バカ野郎め。大体想像がつくぜ。自分のひょろっこい体が嫌いだったんだろ。うちの他の職員は、みんな屈強な体をしてるからな。だがよぉ……親がくれた大切な体を嫌うなんて悲しいことがあるかい。なぁ、モーリーよ」


 シギが分厚い手でモーリーの顔を撫でた。

 シギの気持ちを推し量ることはできない。自分の加工場の仲間を失い、その犯人は同僚だった。どれほど遣る瀬無い思いを抱えているのだろうか。

 震える海の男の背中が、少しだけ小さく見えた。


「……よくやってくれたな冒険者さんたちよ。後始末は俺たちに任せてくれ。そこにいる怪我を負った冒険者も病院に帰しておく。明日の朝に小屋に来てくれたら、その時に報酬は払おう」


 シギが立ち上がり、その場にいた冒険者たちに向けて告げた。冒険者たちは武器をしまい、夜の街に散っていく。職員の男たちが倒れたブランを運んでいった。


「そうだ! イリス、急いで傷の手当てをしよう。ひとまず応急処置をして、その後は病院に行って治療してもらわなくちゃ」


 イリスはモーリーの鱗が突き刺さり、足に大怪我を負っていた。あれだけの血を流していたのだ。相当な深手だろう。

 しかし、イリスは拒否するように首をぶんぶん横に振る。


「いや! もう大丈夫です。全然痛くない」


「いいから見せてみろって」


 おれは嫌がるイリスのローブを無理やりめくって生足を見る。血がべったりとついた足の太ももに深い傷があったが、驚いたことにすでに塞がっているようだった。

 こんなすぐに傷が塞がるなんて、それこそ治癒キュアの術でも使わない限りはありえない。それともこれが悪魔憑きの体の回復速度なのだろうか。


「変態、変態っ」


 イリスがポカポカとおれの頭を叩いてくるので、おれはローブの裾を戻して顔を上げた。


「わかった。確かに大丈夫そうだな。だけど、大事をとって宿にはおれがおぶって帰ろう」


「だ、大丈夫です。痛くはないのでっ」


 顔を赤らめたイリスが体の前で手を振る。


「お前が痛みを感じていなくても、おれが痛いんだよ。そんな状態で歩いて傷が悪化したらどうするんだ。いいからここは言うことを聞いてくれ」


 痛みは体が自分を守るための信号シグナルだ。痛くないからと無理をしてしまえば、体が壊れる可能性がある。


「……わかりました」


 イリスは観念したようだった。おれがしゃがんで背中を向けると、そこによじ登ってくる。


「血がついてしまいます」


「洗えば落ちるよ」


「重くないですか」


「はっはっは。食料の買い出しに行った帰りの荷物袋の方がよっぽど重いさ」


 本音を言えば大鎌ファンタズマの重量を感じるが、背負えないほどではない。おれが立ち上がって歩き出すと、イリスがぎゅっとおれの体を掴んだ。





 イリスを背負って、夜の街を宿に向かって歩いていく。

 昨日の夜も巡回をしたが、今日は緊張もなくのんびり進むことができている。

 見えない怪物の脅威は去り、メーアローグの街は再び平穏を取り戻した。これで夜を恐れる者はいなくなることだろう。

 それにしても静かだ。逆に不気味に感じるほどに。


「やぁ、無事に怪物との決着はついたみたいだね」


 聞き覚えのある女性の声が響いた。続いて少し先の曲がり角から人影が現れる。


「ノヴァルニエ」


 おれは人影の名前を呼ぶ。

 声の正体は、同じ依頼クエストを受けた女性冒険者ノヴァルニエだった。彼女は蛇のような目を細め、おれたちを見る。


「アタシは言われた通り地下水道に入ったけど、あれでよかったのかい? 一人きりだったから、すごく恐かったよ」


 おれはモーリーをおびき出す作戦をあらかじめノヴァルニエに伝えていた。誰も地下水道の探索に向かっていなかったら、待ち伏せを勘付かれてしまう恐れがあったからだ。


「あぁ、おかげで真犯人が病室に現れた。見えない怪物の正体はやはりモーリーだった。あいつが、この街で五人を殺していたんだ」


「へえ」


 ノヴァルニエは特に驚くことなく相槌を打った。


「ところで、君が背負っているイリスちゃんは怪我をしてしまったの?」


「そう。モーリーは悪魔憑きだったんだ。恐ろしい強さだったが、イリスが怪我を負いながら倒してくれて——」


 おれは話しながら、凍るような寒気を感じた。

 なんだ? この寒気の正体は一体なんなんだ? モーリーはすでに死んでいる。では、一体何がおれをこれほど恐れさせているんだ?


「へぇ、あいつでもイリスちゃんに傷をつけることはできたんだ。少し見直したかな。ふふっ、もう死んじゃってるけどね」


 ノヴァルニエが冷たい笑みを浮かべて言った。

 なんだ? ノヴァルニエは何を言っているんだ? 傷をつける? 見直した? 死んじゃった? それではまるで……まるで、モーリーが悪魔憑きであったことを知っていたみたいではないか!


 おれは背中のイリスが震えていることに気がついた。これは恐怖による震えだ。

 イリスがほかの誰よりもノヴァルニエを警戒していたことを思い出す。

 悪魔憑きの武器ファンタズマは、悪魔憑きに対して恐怖していた。では、悪魔憑きが恐れる対象は——?


 まさか


 まさか……!





「ふふっ。勘付いちゃったみたいだから、改めて自己紹介しておこうかな。アタシの本当の名前は嫉妬の悪魔レヴィアタン。嫉妬の感情を司る悪魔だよ」


 そう言って、ノヴァルニエだった何かは先が二股に別れた蛇のような舌を真っ赤な口から覗かせた。

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