死後の5分で空を見る

四葉くらめ

死後の5分で空を見る

「貴方には、どんな願いでも叶えられる時間があと5分だけ与えられます」

 強烈な痛みを味わいながら意識を失った俺は、気付けばどことも知れぬ空間に立っていて、誰ともわからない少女に話しかけられていた。

『空間』という曖昧な言い方しかできないのはこの場所がどういうところなのかをいまいち測れないためだ。

 俺がいたのは、端から端まで10数歩ほどの小さな舞台のような場所で、それより先は真っ暗だった。暗い部分がただ光が当たっていないだけなのか、それとも本当に足場がないのか、判断がつかない。

 いや……。おそらく、足場なんてものはないのだろう。きっとその先に足を踏み出した瞬間、さっき俺が体験したのと同じように、遙か下まで落ちてしまうに違いない。

 俺と少女はそんな舞台の中心付近で、数歩ほどの距離を置いて向かい合っていた。

 少女を見て、『あどけない』という言葉が浮かぶ。

 外見が幼いというわけではない。見た目は二十歳前後といったところで、まだ子供らしさは若干残っているものの童顔というほどでもない。

 それなのに『あどけない』という言葉が浮かんだのは、いまそこに見える表情に不純なものが一切見受けられないからかもしれない。

 言い方を変えれば、その表情はどこかしら作り物めいて見えたのだった。

「ひとつ聞いてもいいか?」

 ここがどこなのかとか、この少女は何者なのかとか、わからないことだらけだが、それよりもまず確認しなければならないことが俺にはあった。

「ええ、なんなりと」

「俺はちゃんと死ねたのか?」

 目の前の少女に尋ねる。

 少女は少し驚いたような顔をしてから、優しげに微笑んだ。その表情が妙に外見と不釣り合いで、この少女は見た目通りの年齢ではないのではないかと感じた。

「はい。貴方はきちんと死ぬことができましたよ」

「そう、か……」

 ほっとする。本当に、心の底から俺は安堵していた。

 もしこれで中途半端にも死ねていなかったのだとしたら、俺は深い絶望に襲われたことだろう。

「それで……あんたは? ってか、ここはどこなんだ。それにさっき言ってた5分っていうのは?」

「いちから説明しますから、慌てないでください。まだ5分はスタートしていませんしね」

 それから、少女は『こほん』と小さく咳払いをすると、椅子に座って、テーブルに置かれたティーポットをカップの上で傾けた。紅色あかいろの液体が湯気を立てながら、綺麗な曲線を描く。

 ……ん? 椅子? テーブル? いままでそんなものあったか?

 確かにさっきまではなにもなかったはずなのに、気付けば西洋貴族の家の庭にでも置いてありそうな、お洒落なティーセット一式が用意されていた。

「ほら、座ってください。貴方は紅茶と珈琲、どちらがよいですか? 他に飲みたいものがあったらなんでも言ってくださって結構ですよ」

 わけのわからないまま、俺は言われた通りに椅子に腰掛けた。

「じゃあ……珈琲で」

「わかりました」

 少女はそう答えると、そのままティーポットをもうひとつのティーカップの上に持っていく。

「いや、あの。俺、珈琲って言ったんだけど……」

 そこに入っているのは紅茶では。

 しかし、俺の意に反してティーポットから今度は黒い液体が流れ出てきた。

 少女がカップを差し出してくる。

 恐る恐る中の液体を口に運んでみると、確かに珈琲のスゥっとした苦みが口内に満ちた。

「珈琲だ……しかも普通に美味いし」

「ふふっ。よかったです」

 彼女が面白げに、いたずらが成功した子供のようなあどけなさで笑った。それは最初の少女の表情に似たものだった。

「びっくりしたでしょう。このティーポットからはどんな飲み物でも出せるんですよ?」

 そして、俺がもう一口、珈琲を飲み込んだ頃合いで少女が再度口を開く。

「わたし、実は女神なんです」

「はぁ」

 まあ、そんなような気がしていたような気もしないでもない。

 神々しさがあるかと言われると口を濁すしかないのだが、この空間の異質さや少女の表情が少女がただの人間ではないことを物語っていた。

「反応薄いなぁ」

 だが、どうやらこの受け答えは違ったらしい。

「な、ナンダッテー」

「棒読みひどーい」

 どうしろと……?

「まあ実はそんな感じの反応をする人って多いので、そんなにショックじゃないんですけど」

「なんか面倒な女神さまだな」

「貴方いま『面倒』って言いました!? こんな可憐な女神を捕まえておいて!?」

 うん、面倒だよ。この女神さま。

 口ではてきとうに謝っておいて、心の中では全力で面倒な人(?)だと思ったのだった。

「でも、女神さまが俺になんの用なんだ? 天国行きか地獄行きかの裁定でもすんの?」

 まあ、そんなことになれば、俺は間違いなく地獄行きだろう。死ぬ直前はかなり罪を重ねたわけだし。

「ああ、違います違います。というかそもそも天国も地獄もないですし。死んだらそのあとは魂を浄化して転生させるんですよ。だから、言ってしまえば生前にどんなに清く正しく生きようが、ずる賢く罪深く生きようが死後の扱いが変わるわけではないんですよ」

 ああ、それは安心だ。

 もう終わりにしたいから自殺したというのに、俺という人格がまだ続くのだとすれば、それこそ地獄というものだろう。

「そういうわけで、死後は基本的に魂の浄化作業をするのですが、その前に死者には5分間だけ、どんな願いでも叶えられる時間が与えられるのです」

「いえ、結構です」

 そんな時間いらないからとっととその浄化作業とやらを行ってほしい。

「断るの早くない!?」

 いやだって、別にこれ以上やりたいこととかないし。

「貴方ねぇ、わかっているんですか? なんでも叶えられるんですよ?

 なにか最期に食べておきたかったものは?

 会っておきたかった人は?

 遠い過去に渡って、恐竜を見ることもできます。

 遙か未来に赴いて、科学の粋を確かめることもできます。

 やろうと思えば、嫌いな人間に復讐をすることだって、好きな人とえっちなことをすることだってできちゃうんですよ! まあ5分しかないので、時間配分は考えないといけませんけどね。

 もし良心が痛むというのであれば、その点は安心してください。あくまで仮想的な世界で行うので、実際の現世に影響はありませんから!

 レッツ・ゴー・トゥー・キル! ですよ!」

 いや、そんな満面の笑みで人殺しを薦めるなよ! こいつ本当に女神か!?

 女神さまが一通り言い終わって「これでもなにもしないんですか?」とでも言いたげに俺を見る。

 しかし、あまりの剣幕と内容にこちらがポカンとしていると、女神さまは慌ててもうひとつ付け加えた。

「あ、あと! わたしとえっちなことするのだけはダメですからね!」

「いや、しねぇよそんなこと!?」

 そもそも、現世に思い残したことなどないのだ。大好きな鯖の煮付けは食べたし、会っておきたい人なんてものは元からいない。

 それに――復讐したい相手にはきっちりしてきた。

 だいたい、俺は事故死したわけでもなければ、衝動的に自殺したわけでもないのだ。

 自分のやりたいことを挙げて、それらを実現して、そして、満足感とともにビルの上から身を投げたのである。

 その上、更になにかやれと言われても思いつかないのだ。

「あー、もう! とにかく女神としては貴方に5分間、現世で自由に過ごしてもらわなくちゃいけないんです! なにかしたいことを見つけてくださいね」

 女神さまはそう言うと、椅子から立ち上がり、座ったままの俺の手を取った。

「あと5分間、貴方の気持ちが満たされますように」

 そして、両手で俺の手を包んだかと思うと、目を閉じてそう呟いたのだった。



 気付けば、また違う場所にいた。

 ここは……ビルの階段か?

 なんでこんな中途半端なところにいるのだろうと不思議に思ったら、そういえば、死ぬ5分前といえばちょうど階段を上っていた頃合いだったかもしれない。

 つまり、このままもう一度同じように階段を上り、同じように屋上の扉を開け、同じように飛び降りればぴったり5分が経つのだろう。

 いや、でもまた屋上まで上るのは面倒だな……。屋上までワープしたい。

「――!?」

 ぼんやりとそう思いながら足を踏み出したものの、あるはずの高さに足場がなく、転びそうになってしまった。

「ああ……、屋上に移動したのか」

 どうやらあの女神さまの言っていた『なんでも叶えられる』という言葉は本当だったらしい。

 にしてもワープしてしまったせいで時間が余ってしまった。

「どうするかな」

 なにかやりたいことはあるだろうかと思案してみるも、結局、なにも頭の中に浮かび上がってはこなかった。

 暇だ……。

 たぶん、5分なんてモノはあっという間なのだろう。なにかをしていればすぐに経ってしまうし、きっとなにかを初めてしまえばその〝なにか〟に満足する前に終わってしまう。

「やっぱりなにもやらないのが一番な気がするな」

 逆に、5分待つというのはなかなかに長く感じるものだ。なんならカップラーメンの3分ですらただじっと待っていると退屈で飽きてしまいそうになるし。

 ごろんと、コンクリートの屋上で寝そべる。

「暑い。木陰が欲しい」

 そう願えばコンクリートの上だというのに木とともに木陰が生まれ、

「そよ風も」

 と、オーダーすればたったいまできた木がざわめくとともに、火照る顔を風が冷ましていく。

「あとは――」


「女神さまとでも話すか」

「貴方バカなんですか!?」


 気付けば、隣に女神さまが座って、俺の顔を覗き込んでいた。

「バカとはひどいな。なんでも叶えていいんだろ? それに最期に女神と話すって贅沢じゃね?」

「うるさいです。だからってわざわざ女神を召喚する人がいますか。

 貴方本当にもったいないことしてるってわかってるんですか? なんでもできるんですよ? 男性ならもっとこうなんかないんですか、枯れてるんですか」

「おいおい、考えてみろよ。そもそも俺はもう死んでるんだから、いまの俺なんて生前の俺の出涸らしみたいなもんだ。枯れてるのは当たり前だろ」

「いやいや、その考えはおかしいですって普通悔いとか残ってるもんでしょ。

 だいたいこれ、貴方がいま一番したいことなんですか?」

 それは……、どうだろう。

 ぼーっと空を見ている。

 夏の空は水色の絵の具をぶちまけたみたいに青くて、その中に雲がぽつりぽつりと浮かんでいた。

 俺が死んだ場所――つまり、このビルは都心からは少し離れていて、人のざわめきや車の音なんかは、まったく聞こえないということもなく、かといってうるさいということもなく、どこかここが世界と一枚ずれた場所であるかのような感覚を思わせる。

 そして隣では小うるさい女神さまがもったいないもったいないとしきりに口にしている。

「ふっ」

「もー! なにがおかしいんですか!」

 いまのこの状況を、一番したいことと言い切るのは難しいだろう。きっと本気で考えれば、俺が死ぬ前に最高の快感だったり、好奇心だったりを満たせるなにかが見つかるのかもしれない。

 けど、それらを見つけたとして、俺は先ほど自殺をしたときのように、満足してこの5分間を終えられるか。

 きっと――終えられない。

 俺を最高の気持ちにさせてくれるなにかに対して、俺は5分間で満足することはできないだろう。5分間が終わるときに『もっとやっていたい』と思いながら終わることになるのだろう。


 それは、俺の死に様を否定することになる。


 したいことのすべてを成し遂げて自殺をした、過去の俺を否定することになるのだ。

 それは、つまらないだろう。

 だから、これはこれでよいのだ。

 無難な時間つぶしというこの5分間が俺にとって最高ではなくとも、最良の5分間だろう。

「ふわあふ」

「ちょ、あくび!? わたしがこんなに説得してる中あくび!? わたしの話つまらないってことですか!?」

「いやな? 女神さまの声がきれいだから眠たくなってきちまって」

「な……っ、き、きれいって……。なに当たり前のこと言ってるんですか。わたしは女神ですよ? そういう風に作られているんです!

 そもそもたとえなんでもできるからって女神を呼び出すなんて――」

 それからも女神のお小言は続く。

 それは他愛ない雑談で、言ってしまえばあってもなくてもいいようなおまけみたいな5分間で。

 気付けば、俺は口に笑みを浮かべていた。

「あー! また笑いましたね! もう、なにがおかしいんですか!」

 そうして俺は、女神のお小言にてきとうに返事をしつつ、ぼんやりと空を見続けていた。


   〈了〉

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死後の5分で空を見る 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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