第五章その4
熊本駅に到着すると駅構内の書店は二階にあり、規模も小さかったがすぐに『涼宮ハルヒの憂鬱』は見つかった。
「よかった見つかって、帰って早速読んでみるよ」
「うん、感想楽しみにしてるね」
「そ、それじゃあ帰ろうか僕は新水前寺で降りて、そこからバスに乗って帰るよ」
翔はもうすぐ二人っきりの時間も終わると名残惜しさを感じながら一階に降りる、白川口から外を見ると、まだ雨が降っていて、今日はもう止むことはないだろうと新水前寺駅までの切符を買おうとした時だった。
「あれ……あの子さっきの?」
「どうしたの真島君?」
「いや……あの子さっき、外で歩いてた子だ」
自動券売機の上にある路線図を見上げてるさっきの女の子がいた。青い傘を畳んでピンクの長靴を履いてるショートポニーテールで、小学校低学年くらいの可愛らしい女の子だった。彩は首を傾げながら訊く。
「外ってどの辺り?」
「呉服町を出て祗園橋に着く前かな?」
「一人でどこへ行くのかな? 家出じゃないよね?」
確かに女の子は遠足に使う子供用のリュックサックを背負い、クマのキャラクターのキーホルダーが目を引いた。彩は迷うことなく歩み寄り、しゃがんで目線を合わせて優しく微笑みながら声をかけた。
「こんにちわ、今日はどこかへお出かけ?」
「あっ……うん、友達に会いに行くの」
女の子は少し警戒してる様子だが素直に肯くと、翔も歩み寄りながら訊いた。
「えっと……こんにちわ、君はどこから来たの」
「……健軍」
「おうちから歩いてきたの?」
翔はまさかと思いながら訊くと、女の子はコクリと肯いて彩は驚愕する。
「健軍からって、途中で市電とかJRには乗らなかったの!?」
「うん……お小遣いがなかったから」
なんて子だ! ここから健軍まで最短ルートで歩いても六~七キロはある、途中で足が痛くなるぞ! 彩は驚愕して一度翔を見つめるが、すぐに怖がらせないように優しく訊いた。
「えっと……名前教えてくれるかな? あたしは神代彩、こっちのお兄さんは学校のお友達の真島翔君」
「いずみ……
「それじゃあ和泉ちゃん、ちょっとお姉ちゃんたちとあそこのお店で休もうか? どうしてここまで歩いてきたのか聞かせて欲しいの」
「うん」
和泉という小さな女の子は彩を見つめる、それはまるで微かに希望を見出したような眼差しだった。駅と隣接するドーナツチェーン店に入り、そこで彩はオレンジジュース、翔はウーロン茶、和泉はコーラを注文する。
席に座って一息吐くと和泉は喉が渇いてたのか、あっという間にコーラを飲み干してしまいリラックスした表情になると、彩は優しく語りかけるように訊く。
「それで……和泉ちゃんはどうしてここまで歩いてきたの?」
「友達に会いに行こうと思って……でも、どこの駅かわからないの」
降りる駅もわからないのにどうして? いや、子どもだからこそ何も考えず、後先考えずにただ友達に会いたいという一心で、行動を起こしたんだろう。彩も後先考えない無謀さに危うさを感じてたのか、更に訊いた。
「どうしてそこまで歩いて友達に会いに行こうとしたのかな? お父さんやお母さん、きっと心配してると思うよ」
和泉は首を横に振った。
「心配しても、願いは聞いてくれないの……お父さんはいつもお仕事で、お母さんはもうすぐ赤ちゃんが生まれるの」
「奇遇だな。ついこの前僕の親戚に従弟が生まれたし、もうすぐ弟か妹が生まれる」
翔はこの前生まれた鷹人と、もうすぐ生まれる命に思いを馳せながら微笑むと和泉も微かに微笑むが、その表情には陰りがあってすぐに微笑みが消える。
「あのね、あたしね。前に南高江に住んでたの……そこには沢山お友達がいて、学校が終わったら一緒に宿題して夕暮れまで遊んで、夏休みは毎日みんなでプールに行ったりして楽しかった……だけど、この前……お母さんがいきなり引っ越すって言って……みんなにはまた明日って言ったのに……違う学校に行かされたの」
「……だから友達に会いに行くために今日ここまで来たのね」
「うん、みんなに会いたい」
和泉は眼差しには強い意志が秘められていた。なんだろう? この子はきっと将来、何か大きなことを成し遂げそうな気がする。もしかすると世界を巻き込むとまでは言い過ぎかもしれないが、翔は意を決して訊いた。
「なぁ……友達の学校はどこかわかる?」
「えっと……城南小学校」
「城南小学校か……どの辺りだ?」
翔は携帯電話のネットで調べる、翔はポケットから携帯電話を取り出して調べると住所ではわからない、それならと思いながら席から立つ。
「神代さん、さっきの書店に行こう。地図帳だ!」
「う、うん」
彩も肯くと早速店を出てさっきの書店に戻り、熊本県内の地図帳を購入するとすぐに城南小学校は見つかった。
一番近い駅はJR鹿児島本線川尻駅! 熊本駅のすぐ隣(※二〇一六年三月二六日に西熊本駅が開業するまで)にある駅だ。
「神代さん、和泉ちゃん、降りる駅は川尻駅、すぐ……隣だ!」
翔は視線を彩の瞳に向ける、彩はきょとんとした表情を見せるがすぐに感じ取ったのか、肯いて自信と使命感に満ちて迷いのない瞳に変わった。
「うん、和泉ちゃん一緒に行こう! 友達に会いに!」
彩の言葉、一言一言は凛として柔和だが、同時に、絶対に信念を捻じ曲げずに最後まで貫き通すという意志の強さが籠っていて、翔は全身から熱が込み上げてくるような感じがした。
ちょっと内気だけど優しくて、だけど強い心を持ってる、これが神代彩の本質なのかもしれない。和泉はなんの濁りもない、小さな子供の純粋な笑顔で肯いた。
「うん! お友達紹介するね!」
ならば決まりだと翔も立ち上がって店を出た。よし! 和泉の友達に会いに行こう! そう意気込んで自動券売機で川尻までの切符を買い、鹿児島本線八代行きの電車に乗る雨が止む気配はないが、和泉の表情はまるで快晴の太陽のような笑顔だ。
『ご乗車ありがとうございました、次は川尻です。お降りのお客様はお近くのドアからお降りください――』
車内アナウンスが流れる、いよいよだと翔は和泉を見つめると、嬉しそうな笑顔で肯いた。電車を降りると駅の改札を通り、さあまずは城南小学校へ行こうと地図帳を開いて歩くと二キロくらいはある。
健軍から熊本駅まで歩いてきた和泉はもう既に体力を限界まで消耗してるはずだ。
翔は気付かって訊いた。
「和泉ちゃん、二キロくらいは歩くけど大丈夫?」
「うん、みんなに会えるから」
和泉は幼いながら強い決意を秘めた眼差しで肯くと、彩は微笑みながら肯く。
「和泉ちゃん、強くて頑張り屋さんね。あたしも見習わなきゃ」
神代さんはいいところが沢山ある、そう思っていた時に目の前に青いトヨタ・クラウンが止まると和泉は怯えて彩の後ろに隠れ、翔は反射的に身構えた。後席のドアが開いて傘を差し、降りてきたのは五〇歳くらい、白髪を纏めた鋭い眼差しのおばさんだった。
「見つけたわよ和泉、車に乗りなさい」
大きくはないが雨音の中でもハッキリ聞こえるほど剃刀のように鋭い声で、おばさんは翔と彩を一瞥すると綺麗な角度で頭を下げる。
「お兄さん、お嬢さん、このたびは孫娘がご迷惑をおかけしました」
「い、いいえ別に……迷惑ではないです」
翔は直感的に苦手なタイプだと感じた、高森先生があと一〇年くらいしたらあんな感じになるかもしれない。和泉は怯えながらもキッと睨み返すと、おばさんは物腰の柔らかい態度から一変して、小さな子供でも容赦ないという冷たい口調になる。
「なんなのその目は? そんな子に育てた覚えはないわ和泉、帰るわよ」
「いや! みんなに会うまで帰らない!」
和泉は首を横に振りながら拒絶すると、おばさんは力ずく連れ戻そうと歩み寄ると彩は凛とした眼差しでおばさんの足を止めようとする。
「待ってください、和泉ちゃんはお友達に会いたいだけなんです」
「お嬢さん、和泉にそんな我が儘、許されると思っているのですか?」
「我が儘ではありません、願いです」
毒蛇のような眼光を放つおばさん、彩は物怖じすることなく凛とした声を響かせる。
「電車の中で和泉ちゃんからお話しを聞きました。その日の夕方に突然転校させられ、さよならも言えずかけがえのない友達から引き離された。あたし達から見れば……ほんの一〇キロ程度の距離かもしれません。でも、この子からすれば遠い見ず知らずの土地にある日突然放り出された! それでもめげることなく、この子はどうにかして友達に会いに行こうとしたんです!」
強まる雨脚にも負けない言葉だった。彩を見る和泉の眼差しはきっと雨雲の隙間に射しこむ太陽の光を見つけたかのように、ジッと見つめている。
おばさんは表情を一切変えることなかった。
「確かに……ある日突然、友達を失うことは辛く理不尽なことです……それを受け入れ、乗り越えてこそ人間です。大人も子供ありません」
「この子に理不尽を与えたのは誰ですか?」
「私たちですが、それを補償する必要は一切ありません。むしろ耐えることを覚え、学ぶのにいい機会です」
おばさんの言うことは正論だ。生きてる限り理不尽は避けられない、翔はこのおばさんが体験したであろうあの日の言葉を引用する。
「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ……ですか?」
「そうです。これでも私、戦前生まれで和泉と同じくらいの頃、あのことを経験し、立派な人間になったのですから……さあ和泉、この人たちに謝って車に乗りなさい!」
おばさんは見た目はかなり若い。五〇に見えるが実年齢は七〇手前だろう和泉に強く言うが、彩はそっと腕を和泉の前にやって優しく、強く諭した。
「和泉ちゃん、あたしはあなたの味方になるわ。だから恐れないで」
「気の強いお嬢さんね……いいえ細川学院高校の神代彩さん」
おばさんは無機質な笑みで言うと、彩は眉を顰めて微かに動揺するとそれを見逃さず追い打ちをかける。
「ご一緒してるのは同じクラスの真島翔君ね、休日に逢引なんて褒められたものじゃないわ……高森先生も悲しむわよ」
「なぜ、僕たちのことを知ってるんですか!?」
学校にクラス、担任にまで知られてるってことは簡単に学校に連絡される。翔は戦慄して訊くとおばさんは返事代わりに髪を下ろし、眼鏡をかけると背筋が凍りついた。
「まさかここであなたたちに会うなんて、奇遇ですね」
間違いない。情報収集の最初の日の放課後、最初に声をかけられた細高OBでボランティアのおばさんだった。姿を変えて擬態してたのは自分たちだけではなかった。
「和泉、今すぐ車に乗りなさい……さもないと、あなたもこの人たちも厳しい罰を受けることになるわ。今乗れば今日のことは怒らないし、この人たちのことは見逃すわ」
「……あなたのやってることは、脅迫です」
彩は平静を装って見つめてるが、実際はマジギレして睨んでるに違いない。翔も彩と同じ気持ちだった。
「俺たちを人質にして脅して、この子に言うことを聞かせる……これが大人のやることですか!?」
「あなたたち、大人というのはこんなものじゃないわよ。さあ和泉、来なさい」
おばさんは冷たい笑みで手招きする、翔は横目で見下ろすと揺さぶりをかけられた和泉は唇を噛み、今にも泣き出しそうな瞳だった。
「ごめんなさい……お姉さん、お兄さん……ありがとう、もう……いいから」
和泉が真逆の感情で作った満面の笑みが引き裂かれそうなほど痛々しく、手を震えさせながら彩から手を離して歩き出す。おい行くな和泉! 友達に会いたいんじゃなかったのかよ!! 翔は手を伸ばして引き止めたかったが、そんなことすれば和泉の覚悟が無駄になる。
そんな気がして、翔は呆然と立ち尽くして彩は静かに動揺してる、車に乗った和泉は発進する瞬間、満面の笑みで手を振って雨の中に消えていった。
まるで空野和泉は最初から存在しなかった幻のように。
翔は呆然と立ち尽くす、スニーカーから雨水が染み込んでるのも忘れるくらいに。
「なんでだよ……あの子はただ……友達に会いたかっただけなのに、こんなのって……アリかよ!」
拳を握り潰さんばかりに握り締め、胸がギリギリと痛み、歯を食い縛った口から血が滴り落ちる。畜生……畜生……どうしてだ?
「真島君……血が出てるよ」
彩はバッグからポケットティッシュを取り出し、口から滴り落ちた血を拭った。
「すまない……あの子、どうなるんだろう?」
「あたしにもわからない、でも……これから歪んだ大人たちに育てられるのかもしれないと思うと可哀想で……どうする……ことも……できないなんて……」
彩は血の付いたティッシュを握りしめて言葉と手を震えさせ、その瞳から溢れ、流れ出てくる涙は止めようがなかった。
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