第三章その2

 何とか医務室まで運び終えると彩は処置を受けてようやくホッと一息吐く。翔は手近な椅子に座り込んで崩れ落ち、太一も流石に堪えたのか両腕を回したりストレッチしたりしてる。

「両腕の関節が痺れてる。太一、君の言う通り筋トレしとかないといけないな」

「ああ、僕も流石に堪えたよ」

 太一も差し入れのスポーツドリンクを飲む。処置を終えた彩はベッドで横になり、右足首をテープで巻かれて挙上し、安堵の表情を見せていた。

「二人ともありがとう。中沢さんも怪我がなくてよかったわ」

「そうだぞ、中沢……神代さんに言うべきことがあるだろ?」

 太一はニヤケながらジロリと舞を見つめると、さっきから思い詰めながらモジモジして椅子に座っていた。

「わ、わかってるわよ!」

 舞は内気で恥ずかしがりやな女の子になったかのようにモジモジしながら歩み寄り、目の高さを彩に合わせると、彼女は察したのか温かくておっとりした微笑みを見せる。

 舞は消え入りそうな声で必死で絞り出す。

「か……神代さん」

「はぁ~い」

「わ……私のこと……昨日と、今日……助けてくれて……」

 そこで言葉が途切れる。舞は頬を赤らめながらも彩を見つめる、きっと視線を逸らしたいけど逸らしてはいけないと思ってるのかもしれない。彩はニコニコしながら黙って待ってるかと思ったら、聞こえるか聞こえないくらいの声で囁く。

「頑張って」

「た、助けてくれて、ありがとう……ございました」

 舞は頬を赤らめながら、まるで告白するかのように言うと、彩は微笑みから桜の花が満開するかのような満面の笑みに変わった。

「はい、どういたしまして……舞ちゃん」

「まっ――まい……ちゃん?」

 下の名前で呼ばれた舞が困惑すると、まるで急速に萎んだ花のようにしゅんとした表情になる。

「呼んじゃだめかな?」

「いいえ!! そんなことはないわ!! 神代さん――いいえ彩ならいいわ!!」

「よかった、嬉しいわ舞ちゃん」

 萎んだ桜の花が返り咲きするかのような笑顔で、彩は舞の頭を撫でた。舞は恥ずかしそうながらも、まるで心を許したかのように微笑んでいた。

 太一も安心したように微笑んで立ち上がったかと思うと、翔の肩をポンと叩いた、

「太一?」

 翔は太一の表情を見るとなんとなく二人だけにしてあげようと、言ってるようだった。翔もこの分ならもう大丈夫だろうと席から立ち上がり、静かに医務室を出ると玲子が待っていた。

「二人ともお疲れ、みんな驚いてたよ。あんなふうにして運べるなんてさすがね」

「提案したのは僕じゃない、翔なんだ」

「えっ? マジで? 真島君が?」

 玲子は驚いた表情で視線を翔にシフトする。

「凄いじゃん真島君、どこで習ったの!?」

「防災の講習会と本で読んだ知識さ、実際にやるのがまさかにこんなに大変だとは思わなかった」

 翔はちょっと恥ずかしくて思わず視線を逸らすと、玲子はその顔を覗き込もうとする。

「でも凄いじゃない! あの時あたしも気が動転してたのに、柴谷君とちゃんと考えて動くことができたんだから」

「そうそう、僕だって崖から落ちたって聞いた途端動揺してたから」

 太一は何回も肯いて言うが、翔は特にあの時動揺してるようには見えなかった。


 今回の騒動で一年生の間でたちまち広まり、みんなから注目されるようになったが、翔にとっては更に居心地の悪さに拍車がかかるようになった。

 その日の夕方から彩は安静のため夕べの集いや夕食、夜の活動には顔を出さず玲子によれば舞もずっと付き添っていて彼女も顔を出さなかった。


 翌日は朝食を終えると「来た時よりも美しく」というスローガンを掲げ、奉仕活動と称して館内の大掃除だった。ぶっちゃけ「立つ鳥跡を濁さず」の方がいいような気がすると思いながら直人と作業する。

「昨日は大変だったな真島」

「ああ、まだ腕が痛むよ」

「昨日からずっと中沢、神代に付きっ切りだってよ」

「二度も助けてもらったからな、中沢さん……口は悪いけど筋は通すタイプだから」

 翔は中学の頃の中沢を思い出す。入学した時から非常に口は悪かったが、同時に律儀で潔いところもあってか、一部の女子生徒には慕われていた。

 昼食を食べ終えると退所式を終えてようやく持ってきた私物も返却され、バスに乗って細高に帰る。

舞は彩に付き添い、萌葱と楽しそうに三人で話しながらバスに乗ると太一は微笑ましいのか上機嫌だった。

「よかった中沢にも友達ができて」

「小さい頃から見てきたのか?」

「ああ、小学校一年の頃からの幼馴染さ」

 初耳だと思いながら席に座ると、通路越しに隣の席にいる一成が訊いてくる。

「柴谷君、今の話本当かい? 中沢さんと幼馴染だということ?」

「気になるのかい?」

「いや、可愛い女の子の幼馴染ってさぁ……なんか漫画か恋愛シュミレーションゲームっぽいと思ってね」

 一成が言うと窓側の席に座ってる直人が指差しながら言う。

「こいつさ、ときメモやってるらしいぜ」

「オイラの兄貴が持ってるんだよ!」

 一成はムキになって言うと太一は訊く。

「それじゃあ佐久間君は実際に加藤君がその、ときメモとやらをプレイしてるのを見たことあるのかい?」

「いや、この前一成の家でメタルギアソリッドをプレイしてたらサイコ・マンティスっていうボスに『ときメモが好きなようだな』って言われたんだ」

 ゲームの敵キャラにメモリーカードを覗かれたらしい、翔もこいつを倒すには苦労して攻略法を見つけるまで何回死んだことか、一成は怒りに燃えながら言う。

「倒した後メモリーカードを見たらときメモ2のセーブデータが入ってやがったんだよ! おかげで友達の前で恥かいたぜ!」

「なるほど、趣味がバレるよう悪戯したというわけか」

 太一は苦笑する。そういえばもうすぐロサンゼルスで開催されるイベントで最新作の予告編が公開されるらしい、翔も会話に加わる。

「加藤君もメタルギアやってるの?」

「えっ、もしかして真島君もか?」

「うん、もうすぐ最新作が出るらしい」

「知ってる知ってる! 今度の舞台はジャングルらしいぜ! すっげぇ楽しみだ!」

「僕としてはどんな武器が出てくるかだな」

 翔は率直に言うと直人はニヤけながら訊く。

「なになに? 真島はガンマニアなのかい?」

 翔は首を横に振って否定する。

「マニアと呼ぶほどじゃないけど、バイオハザードとかをプレイしてるうちに知識が溜まってしまったんだ」

「バイオハザードも最新作が発表されたんだよな! 早く発売されないかな!」

 一成は瞳を輝かせ、四人でゲームの話しをしながら細高へと帰った。


 学校に到着するとようやく堅苦しい研修宿泊から解放され、翔はダッシュで図書室に行って「宇宙戦争」を手早く返却手続きを済まる。そしてダッシュで教室に戻ってホームルームを終えるとようやく終わりだ。

 明日から三日間ゲームのやり放題だが運動もしないといけない、そう思いながら太一と帰ろうと自転車を押して校門を出ると、珍しく舞が自転車を押して歩み寄ってきた。

「ねぇ柴谷君、真島君もいいかしら……相談があるから一緒に帰ってちょうだい」

 いつも以上に険しい表情をしてる舞、翔は他人事のように冗談半分で言う。

「何か非常事態でも起きたのか?」

「ええ、そうよ。だから聞いて」

 舞は動揺を必死で押し隠してるようで、それを見抜いた太一はいつものように微笑みながら訊く。

「珍しいねぇ中沢、僕たちに泣きついてくるなんて」

「……二度と喋れないように舌を引き抜くわよ!!」

 舞は睨みつけながら太一に暴言を放つ、どうやら深刻らしいと翔は傾聴する。

「それで、非常事態というのは?」

「神代さん、今日親御さんの迎えで帰ったの……帰り際にメルアド交換して……三日間ずっと自宅療養することになったの……それで、私が思わず言っちゃったの……遊びに来ていい? って、それで……明日……遊びに行くことになったの」

「なんだいいことじゃないか、神代さんは中沢のことを友達だって思ってるんだよ」

 太一の言う通り、微笑ましいことだと思ってると舞は怒り皺を浮かべ、殺意に満ちた眼光を放つ。

「あんたねぇ、私一人で行けって言うの!?」

「えっ? ああ……わかったぞ中沢、お前一人で行くのが怖いんだ」

 太一は意地悪な笑みで言うと翔は一つの疑問が浮かぶ。

「長谷川さんは? 今日帰る時、長谷川さんと仲良さそうにしてたけど」

「もえ――長谷川さんは明日から天草へ二泊三日で帰省するらしいの」

 今下の名前で呼ぼうとして訂正したぞ! 太一は聞き逃さなかった。

「中沢、今長谷川さんのことを名前で呼ぼうとしただろ?」

「あんたの耳を削ぎ落としておくべきだったわ……ええそうよ、萌葱とも友達になったわよ! 彩はとても素晴らしい子よ、それに萌葱も気は弱いけどとても素晴らしい子なのよ!! 悪い!?」

「いや悪くないよ、確かに二人とも真面目で優しいから……それで、一人で行くのが怖いのかい?」

「べ、べ、別に怖くなんかないわよ! ただ友達の家に初めて行くから、その……どうすればいいかわからないのよ!」

 舞は顔を真っ赤にして両目を不等号みたいな形にし、裏返った声で言う。ようするに遊びに行こうと言ったがどうすればいいかわからず、幼馴染である太一とその友達である自分に相談を持ちかけたらしい。

「わかった、それなら一緒に行くよ。メルアド交換してるなら君の方から言っておいてね、僕も翔も神代さんのアドレス知らないから」

 太一はまるで先読みしたかのように言うと舞は青褪めた顔になった。


※二〇〇三年当時、コミュ障という言葉があったかどうか怪しいが、今の視点から見れば中沢舞はまさにそうだった。


 舞は悪あがきと言わんばかりに携帯電話を取り出して言う。

「それなら、今から神代さんのアドレス送るから! あんたたちのアドレスか携帯電話の番号教えなさいよ!!」

「それはできない」

 翔はキッパリと断ると更に青褪めるのを通り越して白くなる、それでも翔は追い打ちをかける。

「その人のアドレスや電話番号なんて他人から教わるものじゃない。お互い実際に顔を合わせて交換するものだと思う」

「ほう流石翔だ、いいこと言う! というわけだ中沢、神代さんのアドレスは本人に訊くよ。もっとも僕のアドレスが知りたいなら教えるからさ」

 太一の後半の台詞はとても優しい口調で、舞は正論を突き付けられて俯くと冷静になったのか素直になる。

「ごめんなさい……私の方から言っておく……そのあと詳しくメールするから……柴谷君、真島君、アドレス……交換してください」

 舞とアドレス交換すると、すぐに舞は彩にメールしたのか待ち合わせ場所を言う。

「明日の午前一〇時……新水前寺駅で集合だから」

 舞は照れ臭そうに言った。明日の午前一〇時に新水前寺駅に集合って――翔は家に帰ってそこで初めて気づいた。おいおい太一や中沢さんと一緒とはいえ女の子の家に行くのか!? 翔は生まれて初めて感じるドキドキに表情が固くなる。

 今夜は眠れなさそうだと同時に楽しみだと感じながら家に帰る。

「ただいま」

「おかえり翔、三日間お疲れ様」

 母親のお腹がまた少し大きくなったような気がする、翔は靴を脱いで上がると母親はポケットから紙切れを取り出した。

「そうだ翔、洋彦君からよ」

「見つかったのか!?」

「ううん、翔宛てに残しておいた手紙みたいなの」

「僕宛に?」

 翔は封された手紙を取って裏表を見るとただ一言「翔君へ」と書かれていた。

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